11/5 授業の感想6号と回答
感想6号(総数 76)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
複数の同一または類似の感想は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
「諸行無常」を基軸に説法遊行の旅を続けていた釈尊も,ついに入滅の時を迎えました.今回は釈尊の入滅,そして聖典編纂会議の持つ意味を説明しました.
- カッサパたちが第一結集を行ったことは結果的に釈尊の遺言を守らないものとなりましたが、彼らは彼らなりにリンゴの方向へ向かおうとしていたのだろうと思いました。カッサパはそのとき自分が出来ることを行ったのかもしれません。処方箋を固定してしまったことは問題でしたが、第一結集を行ったことで、教えの一部は残り、それが他にも無数存在する様々な処方箋を導くことに繋がったということなので、それは今できることを大事にした結果だったのかもしれないという気がします。授業の始めに挙げられた「プロセスを大事にする」という話を聞いてそのように感じました。(3年女子)
(そうですね.処方箋の固定には問題が残りますが,そこで固定してくれたおかげで,仏教が雲散霧消する危機が回避できたとも言えるからです.「今できることを大事にした結果」ですか,なるほど.私も勉強になります :-) )
- 1回目から思っていたのですが、(1)先生がこれほどインドや仏教に詳しいのはどうしてですか? (2)何がきっかけで、この分野に興味を持たれたのですか?(3年女子)
((1) そりゃ,私も一応専門家の端くれですから... (^^; 博士号も持ってますし.
(2) 人生を変えるきっかけがあったからです.ここではちょっと書けません.)
- 私たちの生活の中で「ことばは不完全」ということを考えてみました。これは、ことばの中で生活している私たちみんなが理解していなければならないことだと思います。(私自身このことを忘れているときが多いですけど。)そういうとき、相手のことを誤解したり、嫌な気持ちになったり、傷ついたり、逆もあるでしょうね。自分では相手を傷つけたことに気づいていないことの方が多いと思いますが。でも、それがこういう意味だったんじゃないか、と立ち止まれる瞬間も少なくありません。そういうことができるのは、その相手と過ごした時間がそうさせてくれるような気がします。率直に言えば相手がそうさせてくれているということです!ことばは不完全、それを補えるものは共に過ごしている相手と私との共有する時間の中にあるのではないかと思いました。(感覚としてあったものをことばに映すことは難しいです。)このことを認識したとき、人と話すということは大切なんだなぁ、と改めて思いました(3年女子)
(いやぁ,いい感想だなぁ.
「ことばの不完全さを補えるものは,共有する時間の中にある」,うー,しびれますぜ.さらに言えば「共有する時間,そして世界の中にある」かも知れません.)
- 「諸行無常である。サンスカーラの無軌道な発動を抑え仏陀を目指せ」という仏陀の遺言は、実に仏陀の言わんとすることを的確に表現していると思います。しかし仏陀の入滅後、弟子たちが仏陀の遺骨を巡って争奪戦を行いそうになったり、仏陀に対して反発するものが現れ乱れ始めた。集まった弟子たちは修行の進んだ、他の人と比べたら、仏陀と近しいところにあったはずなのに、なぜその中の誰も、仏陀の「処方箋はいくつでも生まれる」という教え、自灯明と灯せ」という遺言に目を向けることをしなかったか疑問です。彼らは本当に仏陀の弟子であったといえるのだろうかと思ってしまいました。弟子たちが仏陀になることは諦めて、「アラカン」を目指したという話を聞いて、仏陀となることは並大抵のことではないことがようやく理解できました。 (3年女子)
(ブッダは,近付いたと思ってもどんどん離れていってしまうもので,言わば「無限遠の彼方にある目標」と言ってよいでしょう.では,私たちは何を目指すのか.そこが(いわゆる)小乗と大乗の違いの一つです.)
- 釈尊の入滅後、自灯明という、自助努力に期待したということでした。なんだか、見放されたような気がするのですが、仕方のないことだったのですか? (2年女子)
(そうそう.良い感覚です.大乗の生まれる必然性の一つがそこにあります.)
- カッサパが仏教を定義したことは一見、良いことのように見えました。いい面もあるが、仏教を固定するという意味で悪い面もあるということになるほど、と感じました。確かに、釈尊の教えの重要なところはそれぞれに方便を許す、その柔軟性にあるのだと前回までの授業で理解しましたし。今回の授業では「自灯明」という言葉が私の中に残りました。釈尊の教えはあくまで教えであり、導きのひとつとはなりえるとはいえ、進むのはあくまで自分自身です。だから、自分の努力もを大切にしなさいということなのですね。(2年女子)
(その通りです.ただしそれを厳密にやると,一つ上の感想のように「何か見放されたような感覚」に襲われることも事実なのです.)
- 教義を整理しまとめることで、結果教義の意味を狭めてしまうことになる。釈尊自身の言ったことももちろん大事だけれど、自分自身で臨機応変にとらえなくては、杓子定規に当てはめるだけではそれだけの意味に固定されてしまう。教えが『処方箋』だとすれば、人の数だけ内容があるはずなのだからそれはおかしい…ということだと思います。『三蔵』の名前の由来も初めて知りました。(2年女子)
(そうです.人の数だけ処方箋があるのです.
三蔵は,経蔵(ブッダの教えを集めたもの),律蔵(ブッダの定めた出家者の規定をまとめたもの),論蔵(仏弟子が,経蔵や律蔵に対して註釈を施したりしたもの)の三種です.三蔵法師は,三蔵に通じた僧侶に対する呼称で,固有名詞ではありません.歴史上,三蔵法師はたくさん存在しています.)
- 患者に合った処方箋を作ってくれる釈尊は、いわば無限の処方箋を持っていたことになりますよね。その釈尊がいなくなってしまったから、マハーカッサパが教えを確定しようとしたのは必然だったの思うのですが、無限のものを確定するのは有限なるものにしてしまう気がしてなりません。それでもその中にありとあらゆる人に対する処方箋は必ず存在するのでしょうか?(2年女子)
(有限の中に無限は含まれ得ませんから,当然ながら「必ず存在しているとはいえない」が答えです.)
- 遊女を追う男たちの話がはっきりとは
いまいち理解できなかったので、できたらもう一度少しだけ説明していただけませんか or 説明して下さいませんか説明してもらえませんか?
今日は火葬や散骨、北枕など私たち日本人が当たり前のように行い、習慣化している出来事の根拠を知ることができてとても興味深かったです。すごく納得できました。聖典の編集を試みたマハーカッサパはとても大事なことをした偉大な人物だと思います。しかし先生が挙げられた挙げた二つの問題点を聞いて、彼は一番の基礎となることを忘れてしまったのだと思いました。周りをまとめたりすることに気がいき過ぎてしまって、自らの考えや自分自身というものを見失っていたのではないかと思います。自分がしっかりしていなければブッタの教えをうまく引き継ぐことも到底無理のような気がします。(2年女子)
(言葉遣いに注意しましょう.
遊女の話:遊女に騙され,彼女を追っている男性たちに対し,本当に追わなくてはならないのは遊女なのではなく,真実の自己(サンスカーラを排除した自己)であることを諭し,出家させたというエピソードです.
カッサパの件,たしかにそういう面があるとは思うのですが,彼は彼で「今できることをした」のだと私は思っています.)
- ブッダとアラカンは同じものと思っていました。如来、アラカンについてもう一度教えていただけるとうれしいです。(2年女子)
(えーと,何度もお話しているように,如来は救済者としてのブッダ,説法者としてのブッダのイメージが強く出てくることばです.アラカン arhat (阿羅漢,応供)は,「供養に値する聖者」の意味で,元来はブッダや如来の同義語でした.仏弟子中心の仏教になって,アラカンは「ブッダの手前にある状態で,仏弟子の至りうる最高の位」と見なされるようになりました.)
- 仏教は無限なものだと思いました。こうしなければならないとかないですし、何々しなさいという命令はありえないと思いました。その点でガウタマでさえ仏陀になりきれていないのでは???と思いました。(2年女子)
(そうではありません.医者でも患者にいろいろ指示をしますよね.大事なのは,患者毎に指示は違う,という点であって,決して指示や命令がないということではありません.)
- 釈尊という偉大なカリスマが「入滅」したことは、弟子たちにとって大きな衝撃であったことだろうと思います。しかし、「自ら医者になるべし」という自灯明の考えは、釈尊亡き後の仏教を支えるのに大きな役割を果たしたのではないでしょうか。サンスカーラを制御するためには人によって様々な方法があるという仏教にとって、聖典があるというのは少し妙な感じを受けました。(2年男子)
(世の中にも医学書があるではないですか.大事なことは,新しい患者や病状に合わせて,処方箋を更新していくことなのです.)
- 普段の過程の積み重ねが未来(結果)として現れるのであって、この未来(結果)が大事だからこそ今(過程)をどう生きるかが大切!という言葉はとてもひきつけられました。アングリマーラの話で、「聖処に生まれかわって以来」と付け足したのは、アングリマーラの殺人という事実は消えないけど、ある行為によって生まれかわった(=誕生した)今をどう生きているかが大事だということなのだと思いました。(2年女子)
(人は一瞬一瞬に輪廻転生(りんねてんしょう)できるのです.)
- 例外のない規則はない…言葉の限界ってあるんだなあと思いました。今日の授業を受けて仏教は果てしない宇宙みたいだと思いました。今までのイメージが変わりました。釈尊以外にもサンスカーラを制御できた人はいるのですか
いるんですか。(2年女子)
(言葉遣いに注意しましょう.
ご質問の件,難しいですね.仏教史を見るとき「いた」という立場も取れると同時に「いなかった」という立場も取れるからなんです.うーん,でもこれでは答えになっていませんね.そのうち授業中に扱うことにしましょう.)
- 人によって教え(処方箋)が違うということがどんなに大切かが授業にが進むにつれてよくわかってきました。確かに、どんな患者が来ても咳止めの処方箋しか出さなかったら、熱の人、骨折の人、手術の人たちは助かりません。釈尊の教えが、その人その人によって違うから、みな真理に到達していくのであり、もし、1種類の教えしかなく、その教えにみなが合わせ、真理に到達しなければならないのであれば、真理に到達する者はいなくなり、世の中が動いていかなくなるような気がしました。私たちも、一つのことを成し遂げるのに、1つの方法しかなかったら、誰も達成できなくなり、何も得られなくなるのではないかと思いました。(2年女子)
(その通りです.ご明察です.ぱちぱち :-) )
- 人は一瞬一瞬
日々輪廻転生しているという話を聞いて、確かに人は生きている中で様々な岐路を迎え、そのときそのときで生まれ変わっているようなものだと納得した。たとえ悪人だったとしても、これから善人として生きていく人もいるだろうし、その逆も十分ありえる。日本は何か失敗した人に対して、すぐにはそれを許すことができない社会である。更生して社会復帰を目指しても、その過程を受け入れてもらえず、なかなか社会や人々に受け入れてもらえない。日本人はその人の現在を見ようとせず、その人が過去に起こした罪のみを見てしまいがちである。この傾向はせっかくの生まれ変わる機会をせばめている気がする。過程が大事とされる釈尊の教えとは程遠いなと思った。(2年女子)
(ただ,その人の今をありのままに見る能力は,万人にはないのです.だからこそ,人は行動を通じて,他人に自分を分かってもらえるよう努めていかなくてはならないのです.)
- 私の高校のすぐ近くの山にストゥーパがありました。とてもおっきなストゥーパでとても目立っていました。でも周りにはまさに日本の墓(石墓)が、それを取り囲むように並んでいました。今思えば不思議な光景の様に思えますが、(1)インドでもそのストゥーパを取り囲むようにしてお墓があるのでしょうか。授業ではインドでは骨は川に流すと言っていましたが、では(2)インドにはお墓というものは一つもないのでしょうか。(2年女子)
( (1) 次の(2)とも関係しますが,ブッダの大ストゥーパの廻りに弟子の小ストゥーパを建立するということはありました.
(2) 一般人のお墓は原則的にありません.ガーンディーの「お墓」はありますが,遺骨は河に流してあるので,正確に言えば記念碑ですね.)
- 目覚すって先生の板書には書いてありましたが目指すの事でしょうか?あとカッサパがブッタを目指して失敗という失敗の字も則の字になってました。(2年女子)
(ご指摘の通りです.失礼しました.)
- 釈尊はアングリマーラが善人から悪人、そして悪人から善人に変わったように、一瞬一瞬を輪廻転生だと考えます。その話を聞き、人間は大変不安定なものだと思いました。しかし、そんな不安定な自己を支えていくのはやはり自分自身です。どんなに気持ちが移っても、核となる強い“我”を持ち続ける事は(困難ですが)大切なことだと思いました。それは、釈尊の期待する自助努力の根本ではないでしょうか。釈尊は我々に自ら考える試練を与え、処方箋を与えた者たちへ信頼を寄せています。“我”がしっかりしていないと、処方箋を上手く使いこなす事はできません。また、釈尊は自らが渡した処方箋はいつか必ず対処できなくなる事はあるが、しかし理解してほしかった根本的な事は不変であり、いつまでも人々に影響を与え続けるものである事を知っていたんだと思いました。(2年女子)
(核となる「我」は,身勝手なサンスカーラによって構築された「我」であってはならない,ということが大前提です.)
- 「ダルマ」がなにであるのかよく分かりません。さまざまな処方箋のことを「ダルマ」というのですか?でも処方箋=ウパーヤなのではないでしょうか
ですよね?ということはウパーヤ=ダルマということですか?(2年女子)
(言葉遣いに注意しましょう.
ダルマはブッダの覚った真理(覚りの体験)であると同時に,教説・教え(体験をことばに投影したもの)も意味します.後者のダルマが処方箋・ウパーヤです.さらに言えば,体験をことばに自在に投影する能力こそが,ウパーヤの本質です.)
- マングリマーラの話で、師匠は奥さんの話をすぐに信じたのですよね。つまりそれは、奥さんが作り上げたマングリマーラのサンスカーラに簡単に捕まったということですか?
先生は、講義の間に「別に北枕で寝るのは悪くない」とおっしゃっていましたが、先生は北枕でよく寝ているのですか?(2年女子)
(「奥さんの讒言によって,アングリマーラは大悪人であると思う自分」をサンスカーラで形成したのです.
寝る方向に関して:寝たい方向を向いて寝ています.)
- 今回の講義で処方箋の固定と教団組織についての話が分かりにくかったので補足説明があればお願いします。(2年女子)
(ご質問の件は,今回の講義のテーマの一つそのものなので,どこがどう分かりにくかったのか教えていただかないと,答えるのが難しいです.直接質問にいらっしゃい.)
- マハ−カッサパ達がブッダを目指したけれどもなれずに、如来と阿羅漢を二つに分けて阿羅漢を目指したというのが面白いなあと思いました。しかし、本人たちにとっては苦渋の決断だったと思います。どれほど釈尊が行ったサンスカーラを通さずに世界を見るということが難しいかということが分かりました。また、今まで釈尊が一人一人に見合った処方箋を与えていたのにそれが限定されてしまったというのは少し残念な気がしました。(2年女子)
(ご指摘のとおり,「諸行無常」を「画に描いた餅」にしないための苦渋の決断だったと思います.他人を批判するのは簡単ですが,「もし自分だったらどうするか」という視点から捉えることは,相互理解のためにも,文化理解のためにも,歴史理解のためにも,とても重要なことです.あなたはそういう視点で捉えることのできる学生さんのようですね.これからも励んで下さい.)
- カッサパ軍団が処方箋の固定をしてしまった話のときに江戸時代の治療法で現代に治療されるのと同じだという例えを聞いてそれはたまらないなと思った。しかし固定されて残った部分からもっと他にもいろいろな処方箋があったことがわかるのだし、仏教が全く壊れてしまうことは防げた。カッサパも医院長がいなくなって患者だけが残り、好き勝手に振舞う人々も出てきて慌てたのではないだろうか。カッサパの必死な感じが伝わってくるようだった。また仏陀になるのを諦めてアラカンをつくったところも人間らしいなと思った。授業の中に出てきた人物を最も身近に感じた瞬間だったかもしれない。(2年女子)
(いやー,これもまたいい感想です :-) )
- 仏教というものは人の数、症状の数によって処方箋はさまざまに広がっていくものであって枠はないということでいいのでしょうか?(2年女子)
(はい.「リンゴに向かっているかどうか」という枠があるだけです.)
- 人はみんな違うのだから処方箋は人それぞれであり、「これだ!」といった万人に通じる処方箋はないのではないのかと思いました。共通点はあっても、すべてが同じという処方箋はないと思います。カッサパは教えを集めて確定しようとしましたが、それはいい意味でも悪い意味でも後世に影響を及ぼしたと思います。出家者や修行の進んだものだけが集まり、処方箋を固定化することにより大きな偏りというものが出来ました。それは、今の世の中にも当てはまるのではないのかと思います。一部のものだけで決めたことは大きな枠組みに当てはめようとする時、それは当てはまりきりません。過去にも失敗していることは、私たちは何度も繰り返しているなぁと感じました。 (2年女子)
(「自分の問題として捉えてみる」ことが大切です.結構,結構 :-) )
- 今回の講義では、マハーカッサパによる釈尊の教えの「確定」(固定)という点が一番印象に残りました。マハーカッサパは、出家者向き(入院患者向き)の仏教だけを確定してしまいました。さらに言うと、その中でも修行の進んだ人向きの仏教のみを確定してしまったのです。真の仏教は、マハーカッサパの確定した仏教だけではありません。もちろん、一部は現在に伝わっています。マハーカッサパが偏っているにせよ、釈尊(名医)の処方箋を「ことば」の形で残してくれたのは意義のあることだと思います。聖典の編集会議がなければ、釈尊の教えはほとんど残らなかった恐れもあります。加えて、修行の進んだ人向きの仏教が残っているからこそ、他にもたくさんあったのだろう、という大切なことも分かるのです。
「ことばの限界」ということについても考えました。私たちはことばを使用しています。もし、この世からことばがなければお互いの意思疎通は大変不便になってしまいます。ことばがなければ、文化や社会も残りません。さらに、文字の発達によって私たちは後世まで多くの記憶を記録として保存出来るようになりました。近年では、パソコンという便利な機械にデータを保存するようになり、ますます情報量は増えています。今後も増え続けるでしょう。しかし、それが本当に良いことなのか。ことばも文字も限界があります。万能ではありません。
ことばの限界という点から、少し違うかもしれませんが、私は日本国憲法の問題を思い浮かべました。今ここで護憲、改憲を論じるのではなく、憲法の条文における「ことばの限界とは」ということについて考えてみたいと思います。現在、「日本国憲法は時代に合っていない。こんな旧い憲法はいらない」という意見もあります。「だから改憲だ」、「だから加憲だ」、「だから創憲だ」といった議論に発展していきます。私も、憲法が時代に合わなくなったという側面はないとは言い切れないと思います。例えば、プライバシーの問題や環境権の問題など、「新しい問題」にどのように対応するべきか、ということが挙げられます。さらに、現在は条文の拡大解釈によって、どんどん憲法が骨抜きにされていってしまっています。今回の講義の冒頭でも触れられていましたが、自衛隊のイラク派遣など、憲法無視であるとも言えます。しかし、憲法も「ことば」によって出来ています。つまり限界がある。時代の流れについていけなくなってしまったのは当然です。だからこそ、どうするべきなのか。単純に「旧いから変えてしまえ」、「いや、一字も変えてはならない」とは言えないのではないか。まずは憲法における「ことばの限界」の問題を肯定し、認め、そして大切にするところから考えるべきだと思います。 (2年男子)
(講義の内容からそこまでふくらませて考えてくれるとは,嬉しいとともに,頼もしさを感じます.
限界があるからこそ大切にする,それは「命」だろうが「ことば」だろうが,同じことだと思います.)
- マハーカッサパが釈尊の教えを確定させたのには、いくつか理由があったと思います。
まずは組織の実質的トップに立ったという観点から悪意を持って考えてみます。釈尊のカリスマ性は並々ならぬものであったためわけです。それゆえに実質的後継者であることは周知かつ自明の理といえど、マハーカッサパが釈尊のまねをした場合、反発するものが必ず現れると見越したのではないでしょうか。言い換えるなら、マハーカッサパはマハーカッサパであり、釈尊ではありません。無論釈尊にはなれません。
したがって、釈尊という最大級の師に対して出藍をやり遂げない限り「釈尊は良かった」、「釈尊ならこうしていた」と言われ、大衆の作り出す無軌道なサンスカーラ(理想的な万能の釈尊像)に付きまとわれることになるわけです。釈尊を師として尊敬していたのとは別問題で、組織をまとめる上で、このサンスカーラは極めて邪魔であるのは明白です。マハーカッサパは教条主義に陥るのを覚悟の上でも、釈尊の遺言に従い大衆の無軌道なサンスカーラの発生を止めることを選んだという建前のもと、それと同時に自分の立場を守ったのではないでしょうか。「自灯明はどこに行った?」と言われても大衆のサンスカーラを抑えたのだと言えば、論理のすり替えができることはこの最近証明されてますし。・・・どうも、どこぞの利己主義的な政治に毒されて、たちの悪い考え方をしているようで嫌な気分になりますね。
次に善意を持って解釈すると、伝言ゲーム時に起こる不具合を恐れたからではないかと思います。そもそも、経典を残さず、口伝の形で釈尊の教えを後世に伝えると、後に釈尊の語った言葉さえ本来と異なったものになる可能性はかなり高いと言えます。教え自体を時代に合わせていくというなら、それはそれで問題はないのかもしれません。しかしながら、変わったならまだしも、キリスト教のように支配者の都合の良いように解釈を歪め、言葉を変えられ、いいように利用される可能性をマハーカッサパは考えたのではないでしょうか。・・・私はマハーカッサパが釈尊の存命時には釈尊の教えを理解していたと思います。しかし、釈尊の入滅後、事実上の後継者となったことで、釈尊の教えを残さねばならないという使命感が強すぎたために、マハーカッサパは自灯明を見失ってしまったのではないかと思います。(2年男子)
(「悪意をもった解釈」,感服しました.
「善意をもった解釈」について一言.聖典の伝承は口承 oral による伝承が基本で,書物のかたち literal での伝承は後代になってからのものです.結集の原語が「合わせて唱える」ことからも分かるように,編纂された聖典は長らく口伝されていったのです.そして,口伝されながらもエントロピーが(ほとんど)増大しないシステムを彼らは持っていました.それは「ヴェーダ伝承の伝統」です.
古来,インドには「聖者のことば,聖なる教えを文字のかたちにしてはいけない」という考え方があります.そのためヴェーダ聖典もバラモンたちが口承で伝承してきました.彼らは聖典を記憶し伝えるシステマチックな方法に長けていたのです.そして,マハーカッサパをはじめ,出家者の指導的立場にあった人たちの多くがバラモン出身でした.彼らが,ヴェーダ伝承の伝統を仏典伝承のために応用したのです.)
【総評】「釈尊なくして仏教は成り立つのか」「処方箋は固定され続けるのか」「自灯明はどこへいった」 様々な問題を抱えながら,それでも仏教史は廻り続けます.そしてこれらの問題を「自己の実存に関わる問題」として捉え,真摯に向い合う人たちが出てきました.大乗の夜明けはもうすぐです.(鈴木隆泰)
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