5/21 授業の感想5号と回答
感想1号(総数 174名:県大生 81名,山大生 93名)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
複数の同一または類似の感想は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
宇宙(マクロコスモス)と人体(ミクロコスモス)との相即,梵我一如,業・輪廻・解脱について説明しました.結構盛りだくさんでした.
- 僕にはもう、死んだら何も残らないという考えが染み付いているので、輪廻のような考えが信じられたら死への恐怖も感じずに安らかに死ねるんだろうと、少し羨ましく思いました。
質問:地球にも生と死があるから、やはり、輪廻の輪の中に組み込まれているんですか?(1年女子)
(日本の宗教教育はどうなってしまったのか...
インドではいきものだけでなく,宇宙自体も生滅を繰り返します.もし「ビッグバン→膨張→収縮またはブラックホールに呑み込まれる→またビッグバン」という図式が成立するならば,インドの宇宙生滅観はまさにそれと同じです.)
- インドの人は今まで何度か機会があったのに身分制度を考え直さなかったのか生まれ変わり
うまれ代わりのことをふまえてもよくわかりません。下の身分の人たちから反対の運動などは起こらないのでしょうか?あと、輪廻転生の考え方には学ぶべき点も多いと思います。死ぬと無にかえるという考え方より今をよりよく生きることができそうだと思います。(1年女子)
(ヴァルナ外の下層カーストを中心に,他宗教への改宗運動も皆無だったわけではありません.でも改宗したとしても,インド社会においては「改宗した人たちのカースト」という新しい(しかも以前と同程度か下)カーストとして認知されるだけなのです.インド社会を飛び出さない限り,真の意味でのカーストからの脱却は無理です.インド文化を支えるものがカーストなのですから.)
- Harijan(ハリジャン) , candala(チャンダーラ) とは何ですか?(1年女子)
(ヴァルナ外の不可触民のことを,不可触民差別に反対したガーンディーが「ハリジャン(神の子)」と呼んだのです.不可触民の一般的呼称は様々ですが,その一つがチャンダーラです.)
- 輪廻転生からの解脱とは、生ある物(atman)が死ぬとbrahmanに組み込まれるという解釈であっていますか?インドで焼いた死体をきちんと埋葬せず、自然界にさらすのは やはり梵・我の考えからきているとおもいました。日本式の墓は 容器に隔離されて一体には なりえそうにありません。死後どんな気分か感じることは不可能ですが じめじめしたところには居たくないなと思います。インドには お墓はあまりないんでしょうね。(1年女子)
(アートマンと生き物はイコールではありません.生き物をあらしめている常一主宰の本体であり,輪廻を超えて変わることのない魂(霊魂)です.アートマンとブラフマンは本来は同一なのですが,生き物は業のせいで輪廻サイクルに閉じこめられています.このサイクルを断ち切り,アートマンとブラフマンを本来あるべき状態(アートマンとブラフマンの合一)を得ることが解脱です.それは生死を放れた絶対の安静(シャーンティ)と考えられています.
インドには,歴史上の偉人(例えばガーンディー)を除き,個人のお墓はほとんどありません.
じめじめしたところはいやですよね.私も居たくありません :-) )
- 今回の講義で印象に残ったのは『輪廻転生』の考え方でした。昔からこの考え方は知っていたのですが、改めて生と死について話されると、私は正直恐怖に似た感情を覚えました。しかし、インドの人たちは『輪廻転生』死んでもいつか甦ることができると思っているということは、死がそこまでの恐怖ではないのだろうと思いました。この、考えは、前世・来世の考え方と一緒ですよね???(1年男子)
(そうです.前世・来世の考え=輪廻の考えです.)
- 輪廻転生は本当にあるんでしょうか??(1年女子)
(ある人にはあるしない人にはありません.また,もしあるとしても「客観対象としてある」ということではありません.「もののありかた」にはいろいろなありかたがあるのですが,科学主義的ありかたのみを「ある」とする偏った見解が蔓延しているので,あえて注意を喚起しておきたいと思います.)
- 私も昔から輪廻転生に疑問をもっていました。本当にあるのか無いのか・・・。もちろんどちらかを肯定するわけでもないし、否定するわけでも無いのですが、その存在を知りたいと深く思います。母が、今ご縁のある人は、前世でも来世でもご縁があると言っていました。そう思うと、亡くなったおじいちゃんや、おばあちゃんに、又違う形で出会えるのかな、と思うと少し嬉しくなりました。輪廻転生を信じたくなってきました。(1年女子)
(結局「輪廻をあるとする世界を選ぶのか」「輪廻をないとする世界を選ぶのか」の選択なのです.パスカルがパンセの中で「神ありか,神なしかの世界を選べ.どちらかに賭けろ.もし後者に賭けたとしても君は何も失わない.もし前者に賭けて当たれば君は全てを得ることができる.だから神ありの世界に賭けなさい.」と言ったのと同じです.)
- 今日の輪廻、業の講義を通じて、業の考えを使えば、大体のことは、納得できると思いました。自分はなぜ、大金持ちの家に生まれなかったのか、前世の自分にもっと頑張ってもらいたかった。今に自分は来世の自分のために良い身口意の三業を行っていきたいと思いました。少なくとも来世の自分も人間として生まれたいと思います。(2年男子)
((^^;
でも,「お金なんてたいしてなくても大丈夫」と思えるようになるのも,宗教から得られる知見・功徳の一つかも知れません.)
- 太陽と目、風と息、水と精液というような対応の仕方の考え方が面白いな、と思いました。インドにも日本と同じような「他界観」があるんですね。日本には古くから「肉体は滅びても魂は再生する」という考えがありますが、それと似たようなものでしょうか。brahman と atman の違いは、輪廻を離れ解脱しているかどうかによるものと考えて良いのでしょうか?あの輪廻を離れるには相当の努力が必要である気がします。私は輪廻から外れようなんて考えもしませんが、インドの人は考えることがユニークですね。「ヨーガ
ヨガ」が瞑想の心をつなぎ止めておくものであるという話に驚きました。(1年女子)
(授業中にも説明したように,他界観はどの民族,どの宗教にも見られるものです.インドのそれがユニークなのは,生死を無限のサイクルと捉えたことにあります.
アートマンは輪廻するもののうちにあるブラフマンという理解でよいです.)
- (1)インドの映画にでてくる人の衣装がすごくきれいで、女の私としてはすごく憧れます。 (2)インドの宗教思想は、仏教と類似している点が多いのは、やはり仏教もインドが起源だからでしょうか? (3)輪廻転生は本当にあるでしょうか?よくうまれかわった人間の話などは聞きますが。でも私の家で不思議なことがあります。私の家で飼っている愛犬が、家族に何か困りごとがある度に病気になり、困りごとがなくなると嘘のように治ります。両親は犬がその身に業を引き受けて大事になるのを防いでくれているのだと、言っています。前世で何らかの借りがあると、来世でその借りを返すと聞いたことがあるので、私の犬も生まれ変わったのかなと思っています。 (4)ところで、どうしてインドでは仏教が国教とならなかったのでしょうか?(1年女子)
((1) 人の美しさは外面の造形によって決まるものではありませんが,外面の造形に関してだけに限るなら,インド女性は世界一の美女です.
(2) その通りです.仏教はヒンドゥー社会(インド社会)に生まれ,そこを飛び出しました.インドから解脱したと言ってもよいかも知れません.
(3) よいお話を聞かせてもらってありがとう :-)
(4) インドは今も昔も世俗国家で国教はありません.)
- 納得はできないが、生物が小宇宙であるということについて考えることがある。例えば地球も人も全体の七割は水でできている。これは単なる偶然だろうか。インドの人々が人体を小宇宙だととらえたのもわかる気がする。今を生きている僕にとって来世のために現世を生きる業の考えはない。良い行いをするのは他人もしくは今生きている自分のためだ。決して輪廻思想をもってのことではないし、来世なんて本当にあるのか疑わしい。インドの人々の思想は理解できない部分も多いと思った。(1年男子)
(拠って立つ文化基盤が全く違うのですから,私たち日本人がインド文化に納得できなくてもそれはある意味で当然です.でも,納得はできないままに,それはそういうものと理解する必要はあります.)
- インドの「梵」に基づく宇宙観が、現代科学で言われている宇宙観(宇宙論?)とほぼ同じなのですごいなあと思いました。 (1)だけど一点から始まり一点へと還っていくというのは、輪廻の思想と矛盾するのではありませんか。
(2) 解脱するというのは輪廻の輪から外れることとおっしゃいましたが、解脱した後は永遠にそのときの形のままでいるのですか。それとも魂だけの存在であって形はなく、ただその者がそこに在るというものなのですか。
自然と人との相対化については、エジプトにも太陽の死と復活があったと思いますが、インドの人たちはもっと大きく捉えていたのですね。目と太陽を相対化するという発想、すごいと思いました。(1年女子)
((1) 解脱は輪廻を超えていますから,両者は並び立ちません.
(2) 解脱した者は絶対の安静(シャーンティ)に赴くとされています.しかしそのシャーンティの状態がどういうものなのかは,解脱していない私には分かりません.)
- 輪廻転生だとか業だとか、私の宗教と言っていることが似ていたので親近感を感じました。いくつかの共通点もあったのでもともとはインドのものだったんでしょうね。(1年女子)
(ちなみにどちらの宗教でしょうか? 差し支えなければ教えてください.)
- 輪廻転生についての観念はインドのほかにチベットにも強く影響を与えていると聞きました。これはヒンドゥー
ヒンズー教の影響なのでしょうか? (1年女子)
(質問は土曜日までに.
直接的には仏教の影響です.チベットは仏教圏ですから.でも,インドにおいて仏教に影響を与えたのはヒンドゥー文化ですから,広い意味ではあなたの言うとおりです.ただし,誤解を招きやすいので,「仏教の影響」と答えた方が賢明です.)
- Haijanの人々は、奉仕者の下ってことですか?彼らの仕事はなんだったんですか??Varna制とJati制、制度が二つあることが、あまりしっくりきません。それぞれの意味は分かるんですが、VarnaとJatiが同じに思えて、なぜ分けるのかわからない・・・(1年女子)
(彼らの仕事は「血」や「殺生」に関わるものが多いです.
実効性のある制度はジャーティ制(カースト制度)の方です.ヴァルナ制はそのジャーティ制を理念的にバックアップしているのです.)
- 今日は他界観についての講義が印象的でした。自分では日本にも同様の輪廻観があると思っていて、それはインドのそれと同じものだと思っていましたが、先生の話ではレベルが違うとのことでした。インドと日本では、どうレベルが違うのでしょうか? 輪廻の信仰の度合の違いなのでしょうか?それとも、輪廻観自体のレベルが違うのでしょうか?(1年男子)
(日本人の多くは,頭の中で(=観念的に)「輪廻ってあるのかな.ありそうかな.」と思っているだけなのに対し,インド人の多くは骨の髄までこの思想に浸かっていて,彼らの行動の規範となっています.そういう意味で「レベルが桁違いだ」と言ったのです.)
- 今日の授業は主に、カルマ(業)と輪廻についてのことが思いに残りました。幼いころなど、ちょっと親に嘘をついてしまったあとに残る嫌な思いや後悔を思い出します。何か後で自分に悪いことが起こるのではないかという恐れなど。普通に生きていてカルマや輪廻という存在を知らなかった子供のころにもこうゆう思いになったということは、(親に道徳的な教育を受けていたのかもしれませんが)自分の親やそのまた親、つまりご先祖様と辿っていくと、カルマや輪廻という思想をもっていたひとがいたのかな〜などと考えてしまいました。DNAに刻み込まれていたのでしょうか?(3年女子)
(そうして伝わっていくものこそ文化です.)
- 話の中に出てきた宇宙や輪廻の話など5世紀前にはもうそんな思想があったなんてインドはすごいという思いに尽きます。(1年女子)
(紀元前の5c前です.為念.)
- アートマンから解脱してブラフマンになるというところが、きちんと聞いていたのに今ひとつ
いまいち理解出来なかったので、もう一度説明してほしいなと思いました。 (1年女子)
(解脱,ヨーガについては次回以降に授業で説明を続ける予定です.)
- 今回はインドにおける他界観について教わりました。輪廻というのは聞いたことがありましたが、それに“業”というものが関係していることや、それがまた人々が前向きに生きていくことにまで関係していたのには驚きました!カースト制度はあまりよくないものだと勝手に思っていましたが、インドではそれと業・輪廻が結びついていて、社会倫理を形成していることを知って、反省しました。 最後にひとつ質問なんですが、どうして輪廻から解脱しようとするんですか?輪廻の中に留まっておくことはいけないことなんですか?(2年女子)
(生まれたものは必然的に死ななければなりません.そして死は往々にして苦痛を伴います.もちろん,死んだとしても必ず生まれ変わってはくるのですが,どういう状態に生まれるかは前生における行い(業)によって決定されます.そして,よい状態に生まれるほど,死に際しての苦痛も大きいと考えられたのです.つまり「楽も多い分,苦も多い」と. 言うならば,輪廻は「また生まれてこられるや」という楽観的なものではなく,いつ果てるともない苦の連続でもあるのです.結局,この苦から逃れるには,輪廻そのものから離脱して絶対の安静(シャーンティ)たるアートマンとブラフマンの合一(=アートマンのブラフマンへの帰一)に赴くしかないわけで,この離脱のことを解脱モークシャと呼ぶのです. ただし,本当に全てのインド人が解脱を望んでいるのか...それは次回以降に説明しましょう.)
- アートマンは何故ブラフマンに戻らないといけないのですか?生と死の中で回り続けるわけにはいけないのは何故ですか? (1年女子)
(上の回答に示していますけど,「結局最後には元々住んでいた家に戻る」と考えてもよいでしょう.)
- 輪廻転生、人は生きる事、例えば病気やら身近な人の死やらの苦痛で満ちているので解脱して生死の環から逃れたいとおもうのでしょうか?だとしたら私も少し共感しました。(1年女子)
(下線部も,たしかに解脱を望む大きな理由の一つでした.)
- 輪廻の話と合わせて聞くことで、カースト制度のあり方が少しわかった気がします。でもそれは本当に輪廻を信じていなければ単なる合理的な考え方に過ぎません。インド人というか、インド文化圏の人々の信仰心はすごいなと思いました。でも日本にもそういう考え方ありますよね。「前世の行いが〜」とか、「日頃の行いが〜」とかいう業の思想。それはやっぱりインド文化圏から来たものなのでしょうか。(1年女子)
(その通りです.仏教経由でインドから伝わったものです.)
- 業(カルマ)についての話、発見でした!行為だけでなく、行為の影響力という意味も含まれているんですね。輪廻の状態を決定し、また輪廻の原動力にもなる・・・。そうすることで、インドにおける社会倫理の基盤が成り立っている事を知り、感動しました。この授業は、毎週私に新しい発見を与えてくれるので、とても幸せです。(3年女子)
(喜んでもらえるとこちらも張り合いがあります. 他の方も遠慮しないで,この彼女を見習って,もっと喜びましょう (^^; )
- 踊るマハラジャを見てみたいと思いました。ミーナはかわいい(*^_^*) 毎朝、ぜひ流してください!!あと、インドの民族衣装にも興味があります。あっ、今度、インドの民族衣装を着て授業をして欲しいです!!ターバンあたりを巻いて。ある意味似合うと思います!!授業は・・・、「牛」だとちゃんとわかる絵でした。先生の努力が見て取れました。あとは、今までどうしてカースト制が続いているのか理解できませんでしたが、輪廻転生のことを考えると、納得できました。 (1年女子)
(たしかにインドにターバンを巻いている人はいますが,「インド人=ターバンを巻いている」というのは,ヨーロッパ経由で伝わった誤ったインド観です.ターバンを巻くことを習慣にしている,というより厳密には義務化しているのですが,それはシク(シークとも)教徒です.イギリスの植民地政策のもと,シク教徒はイギリス人の料理番や召使いとして雇われることが多く,そこから「インド人=ターバンを巻いている」という誤解が生まれました.もちろん,「ターバンを巻いている=その人はシク教徒」とは限りません.
私の描画力は確実に進歩していると言えるでしょう :-) )
- 今日の授業で日本の仏教がインドから伝わってきた背景がよく分かりました。というのも、業 karman の行為またその影響力が身口意
新口意の三業であるという事はよく家庭の中で話になるので、それがインドから伝わってきたものだと知ってなるほどなと思いました。ヨーガの体操は最近とても話題になっていますが、やはりインドでも人気があるのでしょうか? (1年女子)
(ハタヨーガはインドでもポピュラーです.もちろん,インドには本物の(というと語弊がありますが,要するに,古くから伝わる瞑想としての)ヨーガもありますよ.)
- インド人の輪廻転生の考えを理解することができたと思います。身苦意の三業などの話を聞いて、インド人の発想はすごいと思いました今まで、身苦意の三業のような考え方は聞いたことがなかったので、面白いと思いました。カースト制度に対してすごく批判していましたが、インド人の独特の考え方を少しずつ理解していく中で、カースト制度の廃止を拒否し続けた理由がわかってきたような気がします。 (1年女子)
(そうなんです.多くのインド人にとって,カースト制度の廃止は「輪廻転生の考えを捨てろ」,もっと言えば「改宗せよ」と迫られているに等しいのです.これは文化侵略ですし,インド人の精神生活に対する侵略でもあるのです.)
- 今日の生死輪廻の話の中で太陽も沈んだとき一度死んで、日が昇るとき、生き返るというお話をされましたが、昔のインドの人たちは、日食の時どう思っていたのでしょうか?日本人のように不吉の前兆だと恐れていたのか、それとも太陽の生死輪廻の瞬間を見られるということで、とても喜ばしいことだったのでしょうか?教えてください。(1年男子)
(インドでは蝕のことをラーフと言って,悪魔ラーフによって日月が食べられてしまうことを意味します.太陽の輪廻は日没と日の出の繰り返しす毎日の中でいつでも見られます.)
- ムトゥは楽しそうだとは思うけど、何の話なのかさっぱり分かりません。次回あらすじも教えてください。(1年男子)
(前回の感想と回答でサイトの紹介をしています.君は見ていませんね? それに興味があるんだったら自分で借りるなり積極的に動いた方がいいですよ.)
- この授業は今までなんとなくしか知らなかったことや、間違って覚えていたことを新しい見方から学ぶことができ、毎週楽しみにしています。インドの宇宙観がビッグバンの原理と同じことに驚きました。宇宙と宗教、宇宙と人間には本当に何か関わりがあるのかもしれないと思えました。(1年女子)
(人間も自然・宇宙の一部ですから,全く無関係であること自体が元来あり得ません.もちろん,インド式宇宙観で全て事足りるわけではありませんが,「科学主義的宇宙観・人間観」だけではないものがあることを知ってもらえればと思っています.様々な見方を知った上で,それらの共通点や相違点を見ていくことが大切だと思っています.)
- 仏教の中でもやはり人の来世は業によって決めてくるのですけど、本当にすぺての人が輪廻転生できるのでしょうか?(1年女子)
(下線部:半分正解,半分不正解です.その理由を説明するにはかなりの時間を要します.後期の「宗教文化研究(仏教文化)」を聴いてもらうしかありません.遠隔講義ではありませんが,単位互換科目で,山大生も受講できます(県大に来ての受講です).この「仏教とは何か?」のサイトも参考になると思います.)
- 輪廻転生と業についての考え方は非常に面白いと思います。しかしながら、それはあくまで考え方として面白いだけであって、前世の行いがよかったから今悪いことをしていても栄えていられるというのには賛同しかねます。確かに広義では自業自得ということになると思いますが、来世に持ち越しではなくて、今生にて発揮されるべきだと思います。インド人の方にしてみれば私の考え方は刹那的と見えるのかもしれませんが、本当にあるかどうかもわからない来世にすがる気にはならないというのが私の意見です(1年男子)
(あなたの意見,大いに結構だと思います.文化背景や歴史が違いますから,インド人と同じ価値観を持つ必要は全くありません.大切なことは(あなたは理解しているはずですが),他者の価値観に賛同できなくても,あなたに危害を加えるものでない限り決して排撃したりしないことです. インド人であれ日本人であれ,要は「幸せに生きる」ことができればそれでよいのだと思います.)
- 今回はのっけから『太陽が目』『風が息』『水が・・・精液?!』なのでびっくりしました!!水っていつもこんなイメージですよね。心理テストとかでよく水関連のテストをしたら、すぐあなたのH度はとかそっち方面ばかりです。これもインドから来てるのでしょうか?(1年男子)
(そりゃちょっと私にはわからないなぁ (#^^#)
ただ,水と生命の関係を重んじることは世界中に見られますね.そして,生命の誕生プロセスは神秘的でもあり,よい意味でエロチックでもあると思います.心理テストもそういうところと関連付けているのではないでしょうか?)
- ブラフマンとアートマンの違いが私はあまりはっきり知らなかったので今日の講義を聞いてすっきりしました。牛の絵はとても上手で私もチャレンジしてみましたがあんなにうまくかけず、無愛想な牛になってしまいました。。。しかし、ブラフマンとアートマンの違いがはっきりしてしまった今、ひとつの疑問が沸いてきました。どうしてアートマンを解脱させる必要があるのでしょうか?別に原理や仕組みが同じであれ、人は人、宇宙は宇宙でいいのに。。。なぞです。 (1年女子)
(あるべきものをあるべきところに戻す,それが絶対の安静(シャーンティ)をもたらす,と考えられたのです.)
- 生死の問題は、考えるときりがないけどいつかは死んでしまうんだからあまり深く考えすぎないほうがいいのかなとも感じました。(1年男子)
(もし「明日までの命です」と宣言されてそれでも大丈夫なら,考えなくてもいいのかも知れないですね. さらに言えば,こういうことは多分「考える」ことじゃないような気もします.文化が教えてくれるはずのものなのです.)
- 今回の講義を受けてブラフマンとアートマンとの関係をさらに詳しく知ることができました。講義の説明で両者がマクロコスモスとミクロコスモスという関係になるということもなんとなくわかった気がします。死後の世界観については様々なものがありますが、どれも信用できそうな、できないような・・・。死への恐怖心を少しでも取り除くために人間は色々と想像するのだと思います。輪廻の輪から解脱するための瞑想とはどんなことを考えているのですか?(1年男子)
(ヨーガとは「心作用の抑制」であると伝統的に理解されています.清廉な生活をしながら自らを律していく中で,定められた坐法に従って座し,呼吸を整え,心の働きそのものを制御していくとされています.)
- ガーンディーがカーストを認めていると知って驚きました。 (1)カースト制がよくないと言っているのはインド人以外ばかりなのですか?梵我一如という考え方はなんとも大きな見方だなと感じました。たしかに太陽と目が対応しているといわれればなるほどとも思うけど、人体がmicrocosmosだなんて、少し失礼かもしれないけど、とても偉そうな考えだなと思いました。(2)私にはこれがまるで人間中心の言い方に見えるからです。また、身口意の三業という言葉は以前祖母に聞いたことがありました。たしかその時は、こうやって必ず影響があるのだからよく考えて行動しなさいと教えられました。(3)業という考え方は日本だけのものではなかったのですね。 (1年女子)
((1) カーストに異議を唱えるインド人も皆無ではありません.例えば仏教の開祖である釈尊もそうですし,近くでは,マハールカーストという不可触カースト出身で,新仏教運動を起こしたアンベードガル博士などが有名です.
(2) 「自然と自己の相即」がテーマですから,別段人間中心の言い方ではないと思うのですが. そもそも,人間中心では何かまずいのでしょうか? 人間中心だから人間が大事なのではないでしょうか.少なくとも,人間を客観視しすぎて人間を機械か何かのように見てしまうよりはよいのではないでしょうか.
(3) 日本における業・輪廻の思想は,仏教経由でインドから伝わったものです.)
- ガンジス川は骨がいっぱいあるんでしょうか?(1年女子)
(そういうことです.よく焼かれた骨は粉状になって散骨されますが,生焼けのものもガンガン流します.そして河の生き物たちの命の糧となります.)
- まず最初に、教室に入ってムトゥ
ナトゥのおかげで目が覚めました。今度レンタルして全部みたいです。(1年女子)
(ナトゥじゃなくてムトゥです (^^; ナトゥはナンちゃん主演のムトゥのパロディです.)
- インドがカースト制を変えるチャンスがあったのに変えなかったのは、その文化の中にいない僕たちだったら変に思うけど、現地の人たちにとってみたらカースト制がインド社会の中での基盤になっているから、やっぱり実際に現地に行ってみないとインドの人たちの考えは理解できないと思った。 (1年男子)
(そんなことはありません.現地に行ったがゆえに,かえって誤解を抱いてしまう人も少なくありません.なぜなら,自分の経験した範囲だけで全てを判断しようとするからです.大事なことは「きちんと学ぶこと」です.)
- インドの人たちは生死が繰り返されているということははじめて知りました。来世にいい人生が送れますようにと今の生活を一生懸命生きたりする考えは、いいことだなっと思います。でも、死体を流したりというのは、私だと、来世のために一生懸命生きた人たちをきちんと供養してあげると思いました。(1年女子)
(火葬してガンガーに流すことがインドの人たちにとっては何よりの供養なのです.「不浄な肉体」を火とガンガーの水(彼らはそれを聖水だと信じている)によって浄めることで,魂(アートマン)の再生(最終的には解脱)に役立てるからです.)
- 以前本で読んだのですが、インドでは、死後の体をガンジス川に流すのが、彼らにとって最高の喜びであるとありました。死んだ後の体は物として扱われると今日聞きましたが、魂をガンジス川に流しているのではなかったんですか?それとも流された体を魂が見ることが喜びなんでしょうか?(1年女子)
(一つ上で回答しているように,不浄な身体を浄化しているのです.)
- 輪廻の状態を左右するのは業と言うことでしたが、業を行う時、その本人が「この行為は業。この行為は業ではない。」などと決めているのですか?それともそんなのは一切関係なく無意識の行動も全て業として誰かに影響を及ぼしているのですか?(1年女子)
(下線部の通りです.もちろん,その「誰か」の中には「行為者自身」も含まれます.)
- 先生の牛の絵かわいかったです。(1年女子)
( (*^^*) )
- 天照大神は厳密にいえば中性だと聞きました。キリスト教、勿論ユダヤ教もイスラム教の神も性別を超越してるそうです。そして質問ですが輪廻をしない、天界とは別の次元に住んでいる仏が神より高位の存在であると思っていますが正しのでしょうか。昔から神と仏のどちらが偉いのかとずっと気にしていました。遅れましたがよかったらお答え下さい。(1年男子)
(「厳密にいえば」という意味がよく分かりませんが,天照大神の元になったのは「ヒルメ(日神に仕える巫女)」ですから,元来女神です.「中性」というのは,後から加えられた教義変更によるものではないでしょうか.それから,クリスチャンの神は「父なる神」だと思います.「男女の超越」も同様に後から加えられた教義変更によるものかも知れません.
インド思想に基づけば,神が輪廻の中にいまだ囚われているのに対し,仏は輪廻の束縛を超越しています.そうであるがゆえに,神は仏に仕えたり守護したりするのです.したがって,あくまでインドに限った上での話ですが,神より仏の方が偉いです.)
- satya の持つ二面性についてのお話が聞こえませんでした。ここでもう一度教えてください。(1年女子)
((a)「brahman は satya なことばである」,(b)「satya なことばは brahman に限らず.宣言してそれを実現したら,その宣言は satya なことばとなる」 この(a)と(b)が二方向性です.」)
- 業は輪廻の状態を決定するまでにとどまり、いくら良い業をつんでも、輪廻の輪を断ち切ることができないと聞いてあれっと思いました。善業は直接解脱につながらないのですね。
手塚治虫先生の「火の鳥」は輪廻の輪を描いたものということは知っていましたが、火の鳥はいったい何を象徴しているのかは見当がつきませんでした。今回の講義で brahman が火の鳥に相当することを知り、目から鱗が落ちる思いをしましました。(1年男子)
(下線部:原理的にはそういうことになります.ただし,生きている以上人は行為(業)をなさざるを得ませんから,超人的修行者を除き,普通の人には事実上,解脱は不可能ということになりますよね.)
- 業と輪廻についてですが、先での「楽」を求めて善行を積むのですか? 来世での富、名誉、地位が欲しいが為の行いだとしたら、それは醜く歪んでいます。
儒教における五つの徳目「仁義礼智信」、武術家においては「厳勇」、この七つを体現するは必然であり、楽を求めるなどすべきではないでしょう。(1年男子)
(どうしてあなたは自分の価値観を押しつけるのか!?
なぜそれが必然なのか説明しなさい.)
- インドで牛は神聖な動物ですが、牛に転生した場合その人は前世で善業を積んだ人なのですか?(1年女子)
(牛は確かに神聖ですが,輪廻の世界観では人間より上ではありません.)
- 今回の生と死に対するインド人の思想を学びふと思い出したのですが(今回の授業と直接は関係しませんが)以前、あまり名前をはっきり思い出せないのですが、旦那さんが亡くなると奥さんも一緒に火葬されるという習慣があったと聞いたことがあります。それは実際にいつのころまで行われていたのでしょうか。また階級によっての習慣だったのでしょうか。イギリス人は人権侵害かなにか、とにかくキリスト教の考えを基準にその習慣を避難したとも書いてありましたが、まさに文化侵略ともいえるし難しい問題だと思います。どちらにしろ自分の基準だけでなくてなぜその習慣があるのかという根本的なことの知識が不可欠ですね。 (1年女子)
(その習慣はサティー(寡婦焚死)といいます.1829年に禁止されましたが,それはインド人のラーム・モーハン・ローイによる20年越しのサティー禁止嘆願運動を,時のベンガル総督ウィリアム・ベンティングが聞き入れたことによります.)
- 今日の講義を受けていて、昔本で読んだ『くもの糸』を思い出しました。(参照 http://www.alps.or.jp/match/shibai/kumonoito/index.html)悪さばかりするかんだたという大泥棒がいたのですが、死後はもちろん地獄行き。しかし彼は現世で1度だけ良いことをしていて、それを見ていたお釈迦様がなんとかこの男を地獄から助けてやりたいと思いました。・・・という話なのですが、これはかんだたの現世での業によるものだと思うのですが・・・。(輪廻という点では違うかもしれませんが。) (1年女子)
(輪廻そのものです.悪人のカンダタは輪廻して地獄に堕ちました. この話は芥川龍之介が小説化していますね.)
- ウパニシャッドの重要事項の一つの梵我一如の思想の中で人体を宇宙に例えているのを聞いてめちゃくちゃ感動しました。少しは自分の体を労りたいと思います。 (1年女子)
(労ってください :-) )
- 解脱という言葉は世界史で釈尊
釈迦が目指したものみたいな感じで覚えていたけど、実際どういったものなのかわかっていなかったので、今回の授業で輪廻と関わりのある話だと分かってよかったです。 (1年女子)
(釈迦とは,仏教の開祖釈尊が出家以前に所属していた部族の名称であって,個人名ではありません.)
- 確認したいのですが、atman と霊魂とは同じであるとおっしゃっていましたか。霊魂の意味が知りたいのですが、霊魂とは、生物の根本原理を意味するのですか。 (4年女子)
(はい,そう申し上げました.生物の根本原理であるアートマンは,輪廻を超えて実在し続ける個人の本体であると見なされたとき,必然的に「霊魂」の役割を引き受けることになったのです.最初から「アートマン=霊魂(特に日本的な意味合いでの霊魂)」ではなかったことは確認しておきましょう.)
- 授業の始めに見た映画で気づいたのですが、額にイボがついている人といない人がいたのですが、なぜですか?不思議に思いました。今回も前回に続きとてもおもしろそうだなぁと思いました。この映画を最初から最後まで見てみたいと思いました。(1年女子)
(額の印はビンディとかティラクと呼ばれるもので,元来は自分の所属する宗派を示すマークだったのですが,現在はかなりファッション化しています.)
- 輪廻転生ってのは、だいたいどの宗教でも見られると思いますが、インドの宗教が発祥なんでしょうか?(1年男子)
(業に基づく輪廻転生の観念はインドが発祥です.それに,「だいたいどの宗教でも見られる」ものではありません.)
- 今日の授業を受け『輪廻転生』について大変興味を持ち、少し自分で調べてみました。輪廻転生という言葉は聞いたことがありましたが、意味は全く知りませんでした。私は一体何に生まれ変わるのだろう・・。希望するなら、深い森の中の雑草です笑。次は何も考えずにのんびりと一生をおくりたいものです。今の記憶を持ったまま生まれ変わることができないのが残念です。そもそも誰も生まれ変わりを体験することはできないし、自分自身の死を経験することもできないのに、どうしてこのような考えが生まれたのでしょうか。(1年女子)
(人間には,分からないことを何とか分かろう・知ろうという根源的欲求があるからです.)
- 輪廻転生を講義できいて生死のことについて考えてみると、とても奥が深いことに気付きました。今現在、私たちがしている行動(業)が、来世につながっていてそれによって人生も決まるという考えを持つと、生死について何も考えていない人より充実した人生がおくれる様な気がしました。私も生き方が少し変わってくる気がします。やはり悪いことは出来ないんだなと思いました。最後にでてきたyogaについても興味があります。先生はこころのyogaは何だと思いますか?(1年女子)
(正しい生き方・考え方よりもたらされる心の安定(しっかりと繋ぎ止められた心)だと想います.)
- 転生と業の内容が面白かったです。韓国でもおばあさんが弱い動物をいじめたらその動物に転生するというのをおっしゃったりしますが。やはりそれも宗教の中の一つか知れません。(1年男子)
(韓国も東アジア仏教圏ですからね.)
- 授業の前に流しているインドの映画はほとんど踊っているように見えるんですがほかの映画もこんな感じなんですか?(1年男子)
(歌と踊りはインド映画の醍醐味(←これもインド起源のことば)ですが,もちろんそうでない映画もありますよ.)
- インドには何か特殊な恋愛形式とかありましたでしょうか?
そして輪廻転生の話ですが、やっぱり未知の話は興味をそそられます。人間では分かり得ないものについて話すのも楽しいですよね!(1年男子)
(特殊な恋愛形式ですか? 結婚形式では,かつては悪名高い「幼児婚」がありました. この幼児婚はさておき,インドでは結婚は親同士が決めるのが昔からの伝統(たてまえ??)です.)
- 輪廻転生の考えはとてもよいと思います。自分が現在恵まれていなくても「これは自分のせいなんだ」と思えるし、悪いことをしている人にムカついても「あの人は来世でひどい目にあうんだ」と思えば少しは苛立ちも収まりますしね(笑)今まで私は輪廻転生というのはただ生まれ変わる事なのだと思っていましたが、そこには現世の自分の行いが大きく影響するんですね。今自分が死んだら来世でどのくらいの幸せをつかむことが出来るんだろう??なんて考えてしまいました(笑) (1年女子)
(要は,いかに今納得して安心して生きられるか,なのだと思います.)
- とても濃い授業で理解するのが大変でした。輪廻転生という考え方はカースト制の階級制度を巧みに説明できてしまうところがすごいです。低い身分に生まれてきたのは前世で悪行をしたせいであり、今世で善行を行えば来世は良くなるという考え方は私にはない考え方でしたが、考えてみるとそんなのもありかなと面白く感じました。あと、ガンジス河に何故死体が浮いていることがあるのかがやっとわかりました。でも、沐浴したりするのに衛生的には問題ないのですか? (1年女子)
(それに堪えられなければインド人として生きていけません.逆に,私たち外国人が見よう見まねでガンガーで沐浴することは慎むべきです.特に頭まで水に浸かったり,口に含んだりするのは絶対にしてはいけません.危険です.)
- 今日の授業の宇宙と人体の関係についてでは、人間そのものを宇宙と考えるところが宗教らしいな、と感じました。目や息や精液などもを自然にたとえようとはきっとこの授業を受けなかった限り一生考えなかったと思います。しかしこれも行為の影響力ですね。不可触民という言葉が出てきましたが、この人たちはどのような生活をおくってきたのですか?また生死の繰り返しについてですが、これはどこでもこの考えは持っていてほしいものです。私は将来について計画を立てるのが好きですが、死後の世界も計画を立てています(笑)。しかしそのような希望があるから今を大切に生きようとか穏やかな気持ちで死後を迎えられると思うのだと思います。あとインドの映画を見て、インドの人がすごくかわいくみえました。インドの言葉はいままでわからなかったけど、字幕を見て、インドの人もこのような考えを持っているのだな、と感じました。宗教に対する考えは違っても、人間はやはり一緒なんだなと思いました。(1年女子)
(不可触民は,インドにおいて「不浄」とされる職業に就いています.)
- インドでの業の話を聞きいて、その他の宗教でも生きているときの善や悪によって死んだときに何らかのペナルティがあるという考えを思い出しました。次に輪廻してきたときか、死んだ後かの違いはありますが、現在生きているときの行為が後々の自分に帰ってくるという点でその他の宗教とよく似ているなと思いました。インドの人々もよりよく生きるということの発想からそう考えたのだと思います。日本の仏教やキリスト教などの発展、浸透していく歴史をみると私的な考えとして、今で言うカウンセリングのような役目も果たしているような気がします。いつの時代も生きること、死ぬことについて悩んでいたのだなと感じました。人類の永遠のテーマですね。あと輪廻については以前から知ってました。そこで子供のときの素朴な疑問なのですが、生物が輪廻転生していくということは、地球が生まれてからの生物の総和は変わらないということなのでしょうか?そういうことはインドでは説明されているのでしょうか?(1年男子)
(西洋合理主義的に基づく論理整合性にはインドは無頓着です.客観的事実でなく主観的・宗教的事実が展開されているのです.)
- 身分制度というものを一つの文化として見る(認めるとは異なる)目を持つことも大切なのだと改めて感じました。個々の生物の中に小宇宙が存在するなんて壮大な思想ですね。神様も輪廻転生するというお話には驚きました。あと多分勝手な解釈ですが、キリスト教のイメージが神(イエス?)を頂点とする絶対固定の三角形にあるとすれば、ヒンドゥー教?は神様を含めて全てが常に回る円のようなイメージであるように感じました。(1年女子)
(大きな世界の中に小さな世界があると同時に,小さな世界の中に大きな世界があるというのがインド的発想です.そういえば,原子のモデルと天体のモデルは,大きな質量が中心にあって,軌道上に小質量の物体が運行しているという点で似通っていますよね.)
【総評】授業がインド文化・宗教のコアな部分に入ってきました.自分の理解を整理しながらしっかりついてきて下さい.(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp