5/14 授業の感想4号と回答
感想4号(総数 172名:県大生 75名,山大生 97名)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
複数の同一または類似の感想は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
お待たせいたしました.ついに今日は satya の謎解きをしました.さらに進んで,カースト制度の概略についてもお話ししました.
- 授業開始の時から気になっていた satya の意味を知ることができて良かったです。ガーンディーのとった非暴力・不服従の行為がインドの独立につながり、そこにまた satya が関わっているということに驚きました。また satya の意味通り独立を実現してしまったガーンディーも偉大な人だと感じました。インドに残る身分制度は僕が日本にいる以上少し変に思えます。これからインド文化を学んでいきながら、身分制度の深い意味などが理解したいです。(1年男子)
(「ガーンディー」と正しく表記できていて結構です :-) )
- satya のことですが、日本政府が出す公約も satya になりますよね?守られてはいませんが。それならば、satya にはならないのでしょうか?(1年女子)
(「真実のことば」「違うことのないことば」のみが「satya なことば」の資格を得ます.ことばが軽すぎる人は信用できません.大人があんなことをするから子供が真似するのです.)
- satya という言葉は、今の日本の政治家を見ても、今の日本に一番必要な言葉のように思われました。(1年男子)
(いつから政治家のことばがあんなに軽くなってしまったのでしょうか? satya 云々以前に,あれじゃ只の嘘つき集団です.それとも,政治家という人はもともとああいう人たちなのでしょうか? そもそも「せいじか」なのですか,それとも「せいじや」なのですか? 議論しないのが民主主義政治なのですか? 彼らに問いたいです.)
- (1)日本の神【仏様】などはインドから入ってきているのに、かなり絶対的なイメージが強く、インドの神のようにどの辺が人間くさいのでしょうか?
(2) satya の力はやはり長い年月その誓いを立てれば立てるほどその願い事が叶いやすくなるのでしょうか?(1年女子)
((1) まず,仏さまは神ではなく,神すら超越した存在であると見なされています.さて,インドの神々は仏教を通じて日本に入ってきたため,仏教色に染められています.インドオリジナルが持っていた,ある意味での「おどろおどろしさ」は薄められているのです.
(2) 実現する(真実とする,satya にする)ことが難しいものほど,得られるものも大きいと考えられています.)
- カースト制度について私は、生まれには卑しいも何もないし排他的なところや人間の持つ自由性が否定されている所があまり好きではありません。しかし話にもあったように、世襲制の根底には親への尊敬や敬愛があるのだろうし日本人が忘れてしまった何かがそこにはあるのだと思います。他の宗教や文化を考えることは難しいけれども頭から否定するのではなく真剣に取り組んでいきたいです。(1年女子)
( (^^) )
- 今回、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラといった階級について学んだわけですが、私はずっとこれを「カースト制度」というのだと勘違いしていたことに気付きました。
実はお恥ずかしいことに、私はガーンディーという人物が何をして有名になったのか知りませんでした。インド独立の為に”非暴力、非服従”の誓いをたてそれを守り抜いた、というお話を聞いて感動しました。(1年女子)
(それはよい「恥じ入り」です.今回の講義を聴くまでは,ガーンディーについて知らないことを恥じとすら思っていなかったわけでしょう? これからも大いに恥をかいて,知識の幅・理解の幅を拡げていきましょう :-) )
- 予定表によると7月30日か8月6日が試験日ですが、交換留学の予定があるため8月6日はでられません。できれば7月30日に試験をおこなっていただきたい次第であります。(1年男子)
(成績評価については最初の授業の時にも言いましたし,そもそもシラバスに書いてあります.)
- 今日の授業で satya の意味が少しわっかた気がしました。インドの人々の信念や行動力の源はここにあったんだと感じました。ということは、やはりインドにおける宗教は人々と深い関わりをもって切り離せないものなんだなと改めて思いました。神々の持つ人間くささも人々を惹きつける一つの要因だろう。浄か不浄かの観念は、違いはあれ、どの国にも少しはある考え方だろうし、その違いこそが文化じゃないかと思います。(1年男子)
(下線部,その通りです.ヴィシュヌは様々の化身を持っていますが,その一つである恋多き牧童クリシュナが一番人気です.)
- カースト制度がバラモンなどだと勘違いしていました。(1) var.na 制度もカースト制度も同じ階級同士でしか結婚は許されないのですよね。
satya とは何か不変的な万物の根源だと想定していましたが、誰でも意志があれば生み出せる物なのですね。しかし satya を創るのが目的ではなく個々の生活の中で自然発生し、satya の捉え方は人それぞれ。形はなくても心に通ずるものがある!うーむ、もっと深く学びたいです。
最近 おかげでインド関係に興味をもっています。今日の新聞に非識字率35%のインドで電子投票機が効果を上げているとありました。伝統的な文化に目を向けているせいか、斬新な物がどうも受け入れられない。ふと思ったのですが、(2)日本のお経は一部に人しか読み、唱えられていませんが、4つのvedaもそのようなものなのですか?(1年女子)
((1) 同一カースト内での結婚(内婚)が奨励されていますが,男性が上位カースト,女性が下位カーストの場合に限っては認められていません.逆の場合,生まれた子供はヴァルナ外(不可触民)に落とされます.
(2) 一部の宗派(例を挙げれば真言宗)を除き,本来はお経は広く公開されるべきものです.それができていないのは「怠慢・教化不足」との批判を免れません.真言宗のお経(『理趣経』など)は Veda と共通点がありますね.秘儀であるがゆえに元来は非公開なのです.)
- 今朝、教室に入る時放送していたのはインドの何かの劇ですか?きれいだった!私の祖母は仏教徒で朝と夜いつもバラモンをよんでいましたが、そのときはぜんぜん興味がなくて気になりませんでした。今日の授業の勉強でやっとバラモンの意味が分かりました。(1年男子)
(おお!? おうちにバラモンを呼んでいたのですか? ひょっとしてインドの方ですか??
授業前に流していたのは「ムトゥ 踊るマハラジャ」です.あれを見てテンションが上がり,おかげで授業中眠くなかったという意見も頂いたので,これから折を見て授業前に流したいと思います.)
- 朝、ほわほわした気持ちで学校に着くと教室から外まで奇妙な曲が響き渡っていました。中に入るとまさしく「インド!」というかんじの色鮮やかな映像で目が覚めました♪(1年女子)
(ムトゥの効果は大きいようですね.)
- 授業は重たい内容でしたが、こんなに異文化について興味をもって勉強をしたのは初めてなので、異文化と日本文化と照らし合わせることであらためて日本文化を見つめなおすには良い機会だとおもいました。(1年女子)
(他者を知ることで自分がよりよく見えてくるものです.もちろん,他者を知る目的が必ずしも「自己をよりよく知ること」でなくても構いません.)
- 今日の講義を受けて、satya についての謎が解けました。初めてその言葉を聞いたとき、なぜ人がずっと立ち続けるのか、なぜ腕を挙げ続けるのか私には分かりませんでした。しかし、それは全て言葉と関係する真実・不妄、必ずその通りにするという satya によるものだと知り、納得しそして言葉がもつ不思議な力に驚きました。もう一つ思ったことは、インドの神々は私の、神は超越した存在というイメージとは全く違い、人間くささを併せ持つということです。なんだか少し神が身近な存在に思えました。(1年女子)
(「宗教≠religion」であるように,「神」も必ずしも「The God」とは限らないわけです.)
- 今日の授業今までで一番楽しめました。インドの神がいまひとつ弱いとかなんか好きです。あとカースト制度ってもうほかの大学生は知っていたと思いますが僕は歴史にまったく興味がなかったんで、名前だけしか知らなかったのですが、ちょっと日本の士農工商っぽいですね。ということは、シュードラだったひとは今は差別されたりされてないのでしょうか?日本には多少まだ同和問題がのこってますよね?よかったら教えてください。(1年男子)
(不可触民の話を含め,カーストの説明は次回以降も行う予定でいますので,授業中にお答えします.)
- 「千と千尋の神隠し」に satya が関係しているなんて驚きです!そうやって見ると映画とかは深いんでしょうね。高校の地理に時間でインドについて習ったのですが、シュードラの下にもう1つ「ハリジャン」と言うのがあったのですがあれは何なんですか??直接、四姓制度には関係の無い存在なのですか? (1年女子)
(ガーンディーは不可触民をハリジャン(神の子)と呼びました.次回以降に説明します.)
- 今日は一気に核心に迫りましたね。
先生から教えていただいた satya は十分理解できました!!大それたことはできませんが、自分にもsatya が持つ事ができるわかったので、これから何かを思って行動するときには少しはsatya を意識してみたいと思いました。
satya は絶対そうなるというのと同時に、絶対そうしてみせる!というや決意の固さも表していると感じました。
バラモンが最高権力者になった理由って・・・すごいです(汗。brahmanからバラモンに、そしてbrahmanというのは恐ろしいものだと感じました。生かすも殺すも言葉次第で、インド文化での言葉の尊さが伝わってきました。
本当は神を頼って雇主がバラモンに頼んで祭祀をしてもらいのが普通でしたが、いつしか弱った神が力をつけたいがためにバラモンに祭祀を頼むようになったというのはバラモンをいっそう最高権力者にした原因だと思います。Give and Takeが逆になったようにも思えます。バラモンはさぞや甘い汁を吸ったのでしょうね(笑。
今現在にもbrahmanを使える人はいるのでしょうか??
先生に質問なんですが、かなりの漫画またはゲームなどなどたくさん知っていますが昔からそんなにマニアだったんですか??ついていける内容がかなりあるのですが、たまにマニア過ぎてびっくりしますw(1年男子)
(今でも brahman を使うバラモンは健在ですよ.
昔から「こんなに」マニアです :-) 「濃いやつ」「コアな人」とも呼ばれるらしいですね)
- カースト制度が法律により撤廃されたときどのようにインド人は感じたのですか?(1年男子)
(「どう感じたか」はよく分かりませんが,今でも厳然と残っていることだけは事実です.カーストなしにヒンドゥー文化は成り立たないでしょう.)
- 人間は神がプルシャを生け贄にして造ったのにもかかわらず、神は使役される立場だったということに驚きました。ですが考えてみると日本の賽銭もギブアンドテイクなんですよね。(1年女子)
(プルシャ(原人)の神話では,神々はプルシャの子供であり,プルシャは自らの子供を使って供犠 yaj~na を行わせ,自己を解体して万物を生み出したとされています.)
- 今回の講義では satya とは何かという核心的な所に踏み込んだ内容でとても分かりやすかったです。日本の言霊信仰が実はインドから伝わったものであると知って、また一つインドを身近に感じることができました。また、Gandhi の非暴力・不服従の本当の意味が分かりとても良かったです。(1年男子)
(下線部:言霊信仰はインドから伝わったものではありません.「誓いを立てての有言実行」「~断ち」が仏教経由でインドから伝わったのです.それを受け入れる土壌の一つとして,日本にそれ以前から言霊信仰があったことが挙げられると思います.)
- 言霊という概念がインドから伝わったというのは疑問です。言葉が力を持つという考え自体は、どの民族であれ言葉を用いる人間であれば考え得るものであり、固有の概念であるとは思えません。むしろ世界中に存在するのではないでしょうか。(1年男子)
(あなたも誤解していますね.一つ上の感想と回答を参照してください.)
- ジャーティ制度は世襲制だとおしゃいましたがヴァルナ制度ではなにによって階級が決まるのですか?またヴァルナ制度だったら庶民から武人になったり階級の変化ができるのでしょうか?(1年女子)
(ヴァルナも生まれによって決まりますよ.ジャーティの理論的根拠ですから.それから,ヴァイシャがクシャトリヤになるなど,ヴァルナ間の異動は(原則として)できません.ただし伝承をあえて作ったり曲げたりして,ヴァルナの変更を試みた例はたくさん知られています.)
- 授業を聞いて satya の意味がようやく理解できた。神よりもブラーフマナの立場が上になっていく過程がとても興味深く、なるほど!と思った。歴史的な制度や文化、考え方が今現在にも影響を与えていることを学び、思想の影響力の大きさに驚いた。多くの文化を理解し、受け入れるためには、その国の宗教や言葉などの文化を一方的に否定したり偏見の目で見てはならないと強く思った。(1年女子)
(大事なことは「自分の幅を拡げていく」ことなんだと思っています.)
- 今日の授業の内容は濃かったですね(^^;)眠気も吹っ飛びました。satya についてよくわかりました!私自身「~断ち」を何気なく実行してたこともあって、考え方が似ていることに驚きました。(3年女子)
(うーん,いいですねー.あなたの中にもインド文化が息づいていたんですよ!! )
- satya という観念のもとでインドの人が動いているという意味が授業を聞いていてわかった気がしました。言葉を大切にするという考えは、言葉を使える人間としてとても重要な事であると思いました。
プルシャプルジャの説明のところでチラッと言われたリリスってなんですか?エヴァ…で出てきたような気がするのですが。関係なかったらごめんなさい。(1年女子)
(関係あります,というかエヴァを念頭に置いてお話ししました.
リグヴェーダによれば,プルシャ(原人.人類を含めた万物の原形)はたくさんの頭・目をもち,神々(これもプルシャから発生)がプルシャを犠牲獣として供犠をおこなったところ,プルシャが自己解体し万物が発生したとされます.プルシャをリリスに,神々をゼーレに置き換えると,少し似ているところがありそうですよね.)
- ジャーティ制はインドに昔から根付いている制度ですけれども、インドの若者は世襲制に不満を抱かないのですか?今の情報化社会の中ではいろいろな他文化の影響も受けやすいと思うのですが…(2年男子)
(この話題は,都市化や IT 産業の発展との関係で授業中に話しましたよ.時間があれば次回も触れるかも知れませんが,まずは一回,一回の授業の中で消化していってください.)
- あんまり関係無いのかもしれませんが受験生だった時「漫画断ち」をしていたのを思い出しました。 (1年女子)
(勉強時間が増えれば必然的に漫画を読む時間を圧迫するので,純粋な「漫画断ち」にはならないかも知れません.でも,誓いを立てて実行しきったという点では satya の獲得に繋がります.おめでとう.)
- 身近な話題でアジア文化について学習できるのはとてもいいと思いました。私は satya のように言葉の力を信じています。インドの昔からそのようなことが始まり現代まで続いているのはとても面白いなと思いました。インドの歴史を知るにつれて、日本との関わりが少しづつ見えてきたような気がします。私はインドの日常生活について知りたいので機会があれば是非、教えてください。 (1年女子)
(講義でも折に触れて話していきますし,研究室に遊びに来てもらってもいいですよ.)
- satya ってすごい!と思いました。日本でもあるのでうれしくなりました。有言実行することはなかなか難しいけれど私も何か大学生活のなかで satya したいです。(1年女子)
(「satya する」という動詞形になりましたか! 是非 satya してください :-) )
- satya という言葉が言葉が真実になるということはわかったが、実際にはどういうことなのかいまひとつ理解できません。(1年女子)
(インド人は「真実のことば=satya なことば」には不思議な力が宿っていると考えたのです.)
- 今日の講義で satya の意味がわかり、今までのモヤが開けた気分です。しかし、satya で宣言を守り抜いた人たちが万が一願いが叶わなかった場合、satya の存在を疑うというのはないのでしょうか? 5/7の授業の感想で、ガンダムについての先生の意見「人類の覚醒(ニュータイプ)の夢を打ち壊してしまった後続作品には~」という文章がありました。最近のガンダム作品にニュータイプの概念が存在しないのは、「ファースト以降、ニュータイプが一種のスーパーヒーローになってしまったし、人間の進化をこんなにも簡単に描いてしまっていいものか」という(←かなりうろ覚えなので実際氏が言っていたものとは異なります^^;)原作者の富野由悠季氏の考えを反映したものだと思われます。たしかに、最近ニュータイプの人がいないのは寂しいものですが…(^^; (1年男子)
(芸術作品は発表されたらもはや作者の手を放れます.富野氏が今更なにを言おうとそれは「私の好きなファーストガンダムへの冒涜」としか受け取れません.ララァを殺しておいて,一体何を言っているんだ!! ... だから私は彼の発言に耳を貸さないのです.彼の他の作品も以降一つも見ていません. 「冒涜した」「いや冒涜じゃない」などという議論自体不毛でもありますし.
satya の力が実現しなかった場合,自分たちの側に何か問題があったと考えるのが一般のヒンドゥー教徒です.もちろん,悪態をつく人(例外)もあります.)
- 例えば、ある人がバラモンに依頼(?)して祭祀を行ってもらったとして、その人の期待していたようなことを神がしてくれなかったらそれは satya ではないわけですよね?バラモンが強いのは satyavacana をもっているからなのに、願いとおりにならなかった場合はどうするのかなと疑問に思いました。(1年女子)
(一つ上の回答に示したように,願主の側で自分に何か問題があったせいだと考えるのが一般的です.)
- satya の話、よかった。千と千尋見てたので、よくわかった。僕はよく何かを決めたり目標を立てたりするけど、基本的に実行しないので、僕には satya の力はひとかけらもないとおもった。でも、そんなことより、カースト制度の話のとき先生が熱弁されていた
していた異文化理解の話が1番よかった。ただ、自分とは違う文化を自分の矮小な知識に基づいて一方的に批判したり断罪するのは文化侵略だ。ということがよくわかった。なんか感動した。当たり前のことだけど難しいことだと思うし、意外とみんな出来ないことではないかと思う。正直、自分も出来ていないと思う。 (1年男子)
(「できていない」ことを自覚するだけでも進歩です.折に触れて思い返してください.)
- とうとう satya がきましたね。今日の授業は今まで気になっていたことが、どんどん出てきてとてもおもしろかったです。バラモンが何故強い権力を握っているかも分かりましたし、語源も知ることができました。日本にも satya の考え方が伝来していたのには驚きました。こんなに身近にあったのですね satya は。私も受験の時、「おちる」という言葉に気をつけていました。結婚式での言葉は知らなかったので、新たな知識が増えました。病院にお見舞いに行くときにユリを持っていったらいけないとよく聞きますよね。あれも satya の考え方なのですか?よく分からなかったのはプルシャのことです。言葉の力を持っているバラモンが口から・・・というのは理解できるのですが、庶民と奉仕者は同じ足ではないのですか? (1年女子)
(ユリは匂いが強いから,が理由だったように思います.
同じ脚部でも,腿と足では部位が違います.浄・不浄の観念は,人体の上部・下部と連結されているのです.)
- 教室に入ったとたん、インド映画が流れていたのには驚きました。インド映画はダンスシーンが多いと聞いたことがあったけれど、すごく激しいダンスをしていたのでインドの映画俳優は体力勝負だなあと思いました。今日の授業でやっと satya について知ることができました。でも、それよりも印象に残ったことはカースト制度で出てきた異文化理解のことで、先生の声も少し大きくなっていたような気がしました。 (1年女子)
(激しいダンスだよね :-) )
- 今日の授業は濃かった。以前テレビで座ったまま火だるまになってる人がいました。はっきり覚えていませんが、確かガーンディー
ガンディーが生きている頃のインドの出来事だったかと思います。政府に不満を持つその人は自分を火だるまにして反発の意を示し、人々はそれを見て拝んでいました。私はこの異様な光景に驚きましたが、今日 satya の意味を学んで、その人の誓いだったのかと、複雑な想いながらも納得しました。 (1年女子)
(ベトナム戦争に抗議するビルマ(現ミャンマー)の僧侶が,焼身して抗議をした例は知っていますが,ガーンディー存命の時代にもあったというその例は知りませんでした.ガーンディー自身はハンガーストライキをしましたが. ハンガーストライキにせよ焼身抗議にせよ,その根底には satya の観念が働いています.)
- サティアグラハ運動は、高校の時にサチァーグラハ運動と習ったのですが、発音はどちらも正しいのですか? (1年女子)
(どちらも違うかも. というより,カタカナに正確に転写するのは不可能です.最も原音に近いのは「サティヤーグラハ」です.)
- ジャーティ制度の机を拭く人と床を拭く人の話は目からうろこでした。床を拭く人の仕事がなくなるから、床に関しては手を出さないという心構えをきいたとき、なんとも言えない気持ちになりました。お金を積まれても自分の仕事以外をやらないのは、他人のためだと言うこの心意気が、とても素晴らしいです。(1年女子)
(いえ,必ずしもそうではありません.例に挙げたものは,職掌分化であると同時に「床を掃くような不浄な仕事は,自分のカーストの仕事ではない」という発想があるのです.)
- 今日はとうとう「satya」が出てきましたが、なんとなく考えていたものとは違ったので、新鮮で面白かったです。インド人は有言実行なのか、と思いました。それにしても何故「手を挙げ続ける」とか「転がり続ける」なんて言っちゃうのかわかりません。言葉が力を持つというのはよく理解出来ますが、上記の人々は単なる宣言ではないのでしょうか?(1年女子)
(そうです.それは宣言です.「satya にしていく宣言」と「宣言が satya となったときにもたらされる功徳」との間には,形而下の繋がりはありません.そこに繋がりがあると信じるところに,ヒンドゥー教(=インド文化)の一端が表れているのです.)
- 今日の話はすごく楽しかったです!!私は異文化について先生が仰って
話していたのを聞いてもっともだと思いました。私も留学して異文化に触れたことがあります。最初は大変だったけど、最終的にはとても好きになりました。異文化は比較してこそどんな特色があって、どんなものだと分かっていくけど、だからどっちが優れているとか悪いとかではないんですよね。私は国の数、人の数ほど文化があると思ってます。どんな文化があるか、それがどういう文化なのかを知り、柔軟性を持って自分から学ぶことがとても大切だと思いました。 (1年女子)
(異文化との出会いは自分と他者との間にもあります.これからも学んでいって欲しいと思います.)
- satya な言葉が持っている力は確かに偉大だと思いました。先生も言われてたように千と千尋の神隠しにもその影響があって、あの映画には、千尋という名前の子が千と異世界の国では呼ばれ、だんだん自分の本当の名前が分からなくなってしまいそうなほど千という言葉の力に押しつぶれていく様子が描かれ言葉ってすごいって思いました!!(1年女子)
(よしよし,あなたはことばの力をよく理解してくれているようです :-) )
- yaj~na のときにバラモンは何も報酬がないのでしょうか。(1年女子)
(たっぷりもらいますよ.犠牲獣はバラモンのものです.)
- (1)私はいつも有言実行派なので satya ですよね?でも明日何時に起きるとか明日髪を切りにいくとかそういった小さなことの satya です。ガンディーの非暴力・不服従のことは知っていましたが、何度聞いてもものすごい強い精神力だと感動します。 (2)「やるといったら最後までやる」とよく日本で親や先生に言われますが、それはこの satya からきてるんでしょうか。 ((3)この感想は月曜日までと先生はおっしゃいましたが、それは日曜日の深夜24時までですか?それとも月曜日の24時まででしょうか。) (1年女子)
((1) 小さな satya ですが,たしかに satya ですね.
(2) ことばを大切にするのはどこの文化にも見られますから,別段インドの影響というわけではないと思います.
(3) 「月曜日一杯」なので,厳密には「月曜日の深夜 24時まで」ということになります.)
- 日本人の言霊信仰とインドの satyavacana の共通点について、面白いと思いました。でも言霊的な発想はどの言語にも存在するのではないでしょうか。(3年女子)
(一つ上でも回答しているように,ことばを大切にする文化は,程度の差こそあれ広く見られるものです.しかし,インドの satya を重んじる姿勢は抜きんでいますし,日本も仏教を通じてこの思想を受け入れています.)
- 高校で satyaagraha のことを「真実把持」と習ったときには全く意味が分かりませんでしたが、今回の講義で「非暴力・不服従という誓いを立て、それを守る運動」だと聞いて、やっと意味が分かりました。もう少し分かりやすい日本語に訳してくれればよかったのにと思いました。(1年男子)
(残念ながら,satya のことを正しく理解している人は(特に中等教育レヴェルまでには)余り多くないのです.)
- 宗教学の授業を受ければ受けるほどに、最初に持っていた自分のイメージからかけ離れていきます。毎週の授業が楽しみです。(1年女子)
(こちらとしては「してやったり」という感じです :-) )
- 福田(ふくでん)について。苗字の福田(ふくだ)は福田(ふくでん)がもとになってできたのですか?
カースト制度についての話を聞いていて、いろいろな批判が頭に浮かび、少し軽蔑をした目でみてしまいました。しかし、批判を言う人は異文化を学ぶ必要はないなどという熱弁を聞いて、自分の今さっき考えたことは、間違っていたことに気づき、恥ずかしい気持ちになりました。(1年男子)
(姓氏の一つとしての福田(ふくだ)と,pu.nyak.setra の訳語である福田(ふくでん)とがルーツを同じするかどうかは不明ですが,どちらも「福をもたらしてくれる田畑」という意味は共通していると思いますよ.素敵な苗字ですよね.)
- 今まで、カースト制度ときくと、差別とかそういう言葉を連想してしまっていたけど、今回の講義でそれが誤った認識であったと感じました。インドの神様はいまひとつ弱く、人間くささをあわせ持つと知り、自分の中で想像してた神様と随分違い、驚きました。だんだんと講義内容が難しくなっていっている気がします。ちゃんとついていけるか少し心配です。(1年女子)
(毎回ノートを読み返すなど,復習をしっかりしておきましょう.参考文献にあたってみるのもいいですよ.)
- 先生からカースト制度について学びましたがどうしても納得できないことがひとつありました。先生はわれわれはカースト制度は文化だから否定できないとおっしゃてましたが僕はそうは思いません。国が認めていない以上インドの人たちは僕たちにカースト制度について非難されても仕方がないのではないかと思いました。だんだん講義がインドの中心に差し掛かって面白くなってきたと思いました。(1年男子)
(ふむふむ,なかなかよい視点ですが問題があります.以下に説明しましょう.
まず根元的な問いとして「国とは何か」があります.国が国民の総体であるなら,国民文化であるカースト制度を国民の総体が否定することには問題があります.カースト制度はヒンドゥーの各種システムを支えるもので,それなしにはヒンドゥー文化は成立も存続もしません. 次に,「国が国民文化を法律によって規定してよいのか」という問いが続きます.政治の文化への介入は往々にして悲劇を招いてきました. かのガーンディー自身,カースト制度そのものは否定しなかったのです.
いかがですか? でも私の意見に賛成できず,理由を挙げて反論してきたことはよいことです.これからも遠慮せずにどんどん反論してください :-) ただし「回答を望む場合には土曜日一杯までに感想を提出」のお約束は守ってもらえればと思います.)
- 神様ってその存在自体がもうそれはそれはすごいものなのかと思ってました。バラモンという存在があったとは… 最強の腹痛に見舞われたとき、「もう何もしません 頼むけん腹直してごせー」ってトイレでひたすら神様にお願いしてたのも、バラモンが神を勇気づけてそのお礼で治ってたのか…。 あっ千と千尋の例めちゃんこすごいと思いました!大好きなんです。まさにその通りですね~ あと、何よりもな~るほど~って思ったのがインドの聖者の話です。satya をもっている人を祈っていたんですね!すごい納得しました。先生の授業聞いてて結構興奮します^-^ (1年女子)
( ^-^ )
- satya のところまで進んだときの「やっとこの話が出来る!」という先生の嬉しそうな顔が、今回の一番記憶に残ったところです。(^^) 高校までに習ったことと、先生の授業で教わることとの微妙な食い違いを理解し直していくのに苦しんでます。シュードラの奴隷⇒奉仕者や、非暴力・不服従≠無抵抗など、言葉で理解していても自分の中のニュアンスが訂正できていなかったり。正しく覚えて行きたいんですが、先入観を払拭するまではまだちょっと掛かりそうです。努力します。 (1年女子)
(先入観を打ち破っていくことは,古い皮を被った自己からの脱皮です.応援します.)
- 今日は、授業に大幅に遅刻してしまい、satya の大半を聞き逃しました。 だから、予想ですが、今日の授業は「インドの口語の影響力の強さについて」とみた。 satya にしろ(?)、ヴァルナ制度にしろ、「語られる言葉」がキーポイントだったけど・・・どうなんだろう?ま、この掲示板や、今後の授業でカバーするつもりです。 「文化圏の違いを理解すること」について、先生は力説されていました。今日のような内容だと、比較的「文化圏の違い」については、ピシピシ感じるところもあります。しかし、「理解する」ことということと「知る」ことには大きな差が潜んでいるのではないかと、今日は感じてしまいました。この授業が、もしも「文化人類学的」とは違う所から、「異文化」を攻めてくれたら、うれしいと思います。(文化の違いを、自文化理解の貢献に使用するアレ。あんまり好きになれないのです。) (4年男子)
(自文化を理解できない人に他文化(異文化)を理解できるとは考えにくいです.両者の理解は車の両輪のように機能していくものではないでしょうか.それから,遅刻は極力しないようにしよう :-) )
- まだまだ、序の口でしょうが、少しずつ見えてきそうな勢いです。satya を知れたことが、大きな一歩の様な気がします。「~断ち」はやりますね。日本独自の習慣かと思いきや・・・。日本とインドがとても強く、密接に関わっていることを今日も痛感できました。もうひとつ印象的だったことがあります。先生が異文化について語っていたときの言葉です。現在、異文化異文化と言われ取り上げられるが、どうすれば理解しあえるのかはいつも曖昧なままで、よく分からなかったのですが、何だかスッキリしました!!なぜ分からなかったのか。日本人だからですね。根本的に日本人に宗教は無いから。私は今日の授業を受けて、それが原因の大きなひとつだと思いました。 (1年女子)
(私は日本人に宗教がないとは考えていないのですが,それは今は置いておくとして,異文化理解が日本に足りないのは,日本の地理的・歴史的状況が関係していると思いますよ.興味があれば自ら調べていってください.それが大学生です :-) )
- 今日の授業の内容はとても濃かったです。大きく分けると、satya とカーストについてでした。satya については、私の今の現状に変えるべきことがあることを学ばせていただきました。satya には真実・不妄などの意味があって、発した言葉を実現するところに力が宿っているんですね。日本にも古来言霊信仰があったことを知り、有言実行などもその影響なんでしょうか。今朝、私母親にゴミを出すことを頼まれていましたが、わたしは忘れてしまいました。今朝の私の言葉にはsatya は宿っていませんでした。このように私は言葉を大切にすることなく、言葉を神聖なものとしてとらえていませんでした。このことはこれから私が改善していくべきところだと思いました。次にカースト制度については、今もインドに現存している部分があるということで、現在の私たちの生活がいかに恵まれているのか考えさせられました。しかし、私の立場ではそう思いますが、インドの人々の立場からはそれが普通のことで、私たちのほうが違っているのかもしれません。四姓の最上位はバラモンいうのだそうで、しかもバラモンはsatya な言葉 brahman を使うことのできる人であるということ、したがってバラモンの言うことは絶対で従わなければならない。真実の言葉は実現されるべきであるけれどガーンディーの場合のsatya とバラモンの場合のsatya は使い方が正反対だと思います。ガーンディーの satya からは深い尊敬と感動、バラモンの satya からは悲しさや窮屈さを私は感じてしまいました。 (3年女子)
(satya の実現にお互い励みましょう :-) )
- 今日は、ほんとうに国際文化らしい内容でした。カースト制度からは、異文化のことを理解する上ですべてをそのまま受け入れるのではなく、自国とどのように違うかを確かめる上で勉強になったと思います。私なら、給料が上がれば毎日働こうとするかもしれないのに、インドの人はちゃんと自分というものを持っているなぁと思いました。また、自分が宣言したことを最後まで貫き通すところもすごいと思いました。聖者が関係しているためかもしれませんが、インドは奥が深いです。「非暴力、不服従」は、話を聞いてすごく厳しいものだということが分かりました。私なら耐えられません。 (1年女子)
(お金があるだけでは幸せになれないということを学ぶこともできるかも知れません.)
- 今回の講義を受けてインドの神様がバラモンから力をもらっているということを初めて知り、バラモン階級の人がカースト制の一番上になっていろ理由もわかりました。言葉がそれほどに力を持っていて、ブラフマンがそのような意味も使われ方もあるというこも知りませんでした。satya についての理解は大変難しいと思います。先生が言われたとおり高校の倫理ではサティヤーグラハを真理把握と訳してありましたが、satya を守りぬくというのが真理への到達と思ってよいのでしょうか?satya が人それぞれ違ったものであるならば、真理とは人によって変わってくるのですか?(1年女子)
(「satya を守りぬくというのが真理への到達」なのではありません.ことばを守り抜けば,そのことばが真実のことば(satya なことば)となり,その satya が願いを叶えるパワーをくれるという思想です.それから,「satya が人それぞれ違ったものであるならば、真理とは人によって変わってくるのですか?」の部分は,「真理(どちらかと言えば客観的)」を「真実(どちらかと言えば主観的)」に取り替えればその通りだと思います.人の数だけ真実は変わってよいのです.「これだけが真理だ,真実だ」と言い出すと悲劇が始まります.)
- 今日一番印象に残ったことは var.na 制度と jaati 制度についてです。私は今までカースト制度について「差別であり、いけないもので、なくすべきだ」と善人ぶって考えていました。しかしそれは彼らに対してもっとひどいことをしていることに気がつきました。彼らの文化を侵略し傷つけることことは一番したくなかったはずなのに・・・。また、私は悪いという一面でしか見ていなかったことに気づかされました。彼らの世襲制・出自による将来の決定の根底には父母に対する尊敬がこめられています。それに対して私たちに与えられている職業選択の自由は=親(の職業)を尊敬しないということに連なると気づきました。そういう意識はしていませんでしたがやはり、異文化についてどうこう言う前に自分の文化についてよく考えねばと思いました。(1年女子)
(異文化を適切な目を持って観るときに,初めて自文化への目も開け,そうして intercultural な世界が開くのだと思います.)
- 少し前にインドの修行僧を取り扱ったテレビの番組で、七年間一度も声を出さないという決まりをたてそれを実行して三年目の僧の話や、五年間座ることもなく立ち続けている僧の話を聞いた。それを知って俺は正直何か幼稚な修行しているという印象を受けた。道行く人々はこの僧たちに賽銭を渡すのだがこれもある意味同情めいた感じがした。しかし今日受講して幼稚なのは自分であることに気が付いた。彼らがやっていたことは単なる心身の修行を越えた、まさに satya の実行であったのだ。道行く人々の僧への感情とは同情心からほど遠い、崇高なものであったのだろう。先生の仰った
言ったとおり言葉の力が弱小化した日本では到底見られない光景だと思う。俺は資本主義が嫌いであると同時に今の日本文化があまり好きでない。簡単に言うと、科学技術ばかりが先行してしまって道徳的思想が追い付いていないのではないかと思う。科学だけでは人間は絶対に幸せにはなれない。今日の授業を聞いて日本がインドから学べることはまだまだたくさんあるなと思った。(1年男子)
(自分を甘やかさない自己反省に,あなたの前向きで真摯な態度を読みとることができました.「科学だけでは人間は絶対に幸せにはなれない。」という意見に賛成です.私は人間にとって大切なのは「科学,哲学,宗教」だと思っています.その上で,あえて言わせてください.資本主義は経済体制の問題であって,道徳とは必ずしも関連していないと思います.もちろん「拝金主義,マネーゴッド(お金こそ神さま)」は論外ですが,それと資本主義が直接リンクしているわけではありません.どのような経済体制下においても,煩悩を剥き出しにする人は「拝金主義」に走り,自らの心を蝕んでいきます.「道徳」もあるに越したことはありませんが,何より「哲学と宗教」が必要です.道徳は時と場合によって(時には体制側の思惑によって)変更されることが稀ではないからです.)
- 今日の授業は濃かったです。学ぶところが多く、とても充実した時間を過ごせました。
まず、言葉が持つ力というものに改めて気づかされました。誓うということがどれだけの意味を持つかについても考えさせられ、私自身、言葉を疎かにしていたなと反省しました。satya について、やっと第1回目の謎が解けました。違うことのないというのは、本当に大事なことです。本当に・・・。
次に、ヴァルナやジャーティといった身分制度についてです。私は、このような納得できない制度があるインドに対し、いやな文化だと思うことがありました。神話など、興味深い文化をたくさん持つインドなのに、本当に残念だとしか解釈できませんでした。けれど、今日先生が「異文化を一方的に批判し断罪するのは意味のないことだ。迎合と批判だけなら、勉強する必要などない。」とお話しされて、無理に受け入れる必要はないのだと思い、異文化に対するあるべき姿勢に近づけた気がしました。(1年女子)
( (^^) )
- 今日の授業では satya について説明していただきました。satya=真実という言葉上の意味だけは以前から知っていましたが、日本の言霊思想とまで関連付けて考えてはいませんでした。カースト制度についてもそうですが、異文化理解のうえで自分の独断的、感性的などの要因で馬鹿にしたり思想的に良し悪しを決めるのでなく、まず理解するためには「ここは自分の国と一緒だ」というアプローチで共通点を探したりするのも一つの手だなと思いました。考えや思想というのには何が正しいとか悪いというのは明確的にないと思います。何が正しくて何が間違っているか、一見そのとき正しく見えることも歴史が経てば間違いになるかもしれません。また正しいことと間違っていることにどれほどの差があるかもそのときになってみないとわからないと思います。私は先生の言われた「個人的にはカースト制度は嫌い」という考えは大事だと思います。というのは、嫌いだからとその文化を切って捨てるのでなくなぜ嫌いか?ということを論理的に裏づけを持って考え、学習するのが大事だと思うからです。どんな考えも全て良いと考えるのならそれは、自分の意見を持ってないのに等しいと思います。自分の考えはきちんと持った上で学んでいく、また学んでいくうちに自分の考えが固まっていく、ただ歴史的事実を教わるのでなくそこから自分で自分の意見を論理的に考える。というのが私の考える大学の学習です。 (1年男子)
(真の意味での「歴史的事実」とは,「歴史の解釈」に他なりません.だからこそ歴史が「学問」として成立するのです.君はそこをよく理解してくれていますが,理解していない・理解しようとしない人が多いのですよ.)
- 今日の授業はとうとう satya について学べて、とても濃い授業でした。ガーンディーのサティーヤグラハの中に satya が入り込んでいたなんて、言われてみて驚きました。satya を「千と千尋の神隠し」に例えて説明してくださるのもわかりやすく、楽しかったです。satya が日本語でいう、「誓い」にあたるというお話で satya がどういうものかがかなりよくつかめると同時に、やはりインドと日本は深く繋がるところがあるのだとしみじみ感じました。今後の授業では、その satya がインドの人々にとってどのようなものなのか(私達の誓いというものの感覚とはどこが異なるのか)、わかるようになっていきたいです。
加えて今日の先生のアツイ異文化理解についてのお話は、聞いていてこちらも熱くなってしまいました。いい授業を受けさせていただいているなあと感じました。この授業はいつも、ただ歴史や思想を客観的に学ぶ授業ではなく、「今」の「私」が先生のお話から「何を考えるか」「何をするか」という問いを突きつけられる授業で、受ける私に常に緊張感を与えてくれます。「アジア文化論Ⅰ」という先生の表の授業の裏に隠された(?)思いや考え方をなんとしてでも自分のものにしていきたいです。 (1年女子)
(なんか,もう言うことなしって感じだなぁ.)
【総評】「真実」も「文化理解」も,煎じ詰めれば「人間の主体性」の上に確立されるものだと思います.そして「真実」や「文化理解」を成立させる土台である「主体性」を確立していく過程で,他者との共感・共鳴を経ながら,自らの枠を拡大していけるのだと信じます.
satyam eva jayate (satya は必ず勝つ)(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp