【大法鼓経 だいほっくきょう マハーベーリースートラ Mahabheisutra


【内容】

 『法華経』の一乗説,『大雲経』の如来常住説,『大乗涅槃経』の如来蔵・仏性説の強い影響下に成立したと考えられる中期大乗経典.また『不増不減経』『央掘魔羅経』との親近性を示し,『大集経』諸品とも関係している.

 経の冒頭に「涅槃の楽」を説く偈が示され,その義を解明しつつ,流れるように教説が展開していく.経は大きく3段に分かれ,第1段は主題の提示と本経の特徴,第2段は「涅槃の楽」の解明の主要部,第3段は如来滅後の護法をそれぞれの中心題目としている.第2段に経全体の六割弱の分量が割り当てられており,本経の中心をなしていることが明白である.ただし第3段の割り当ても二割五分にのぼり,経全体の思想を理解しようとする場合,決して看過できない分量となっている.

 さて,経の中心思想「涅槃の楽」とは,「解脱を得た如来が常住・安楽・有色(=姿・形を具えている)」ということである.如来蔵・仏性思想もこの如来常住思想の下に統一的に理解されており,上記諸経をよく咀嚼したうえで,独自の論理を展開している.

 経題中の「法鼓」は初期仏教以来,仏陀の説法の意味で用いられている.これは衆生の煩悩や邪教徒の説を打ち破る仏陀の説法を,戦いの際に鳴り響き,敵を打ち破る軍隊の太鼓(戦鼓)に擬えたものである.本経においても「法鼓」は仏陀の説法を表わしているが,打ち破られるものが「空性説」であるところに独自の思想がある.すなわち『大法鼓経』という経題は,「如来常住説(及び如来蔵・仏性説)をもって,空性説を打ち破る経」ということを含意しているのである.このように本経は空性説に対する対決姿勢が際立っており,如来蔵系経典群の中でも特異な位置を占めている.また「五千起去」「父少子老」「化城喩」「高原穿鑿喩」「長者窮子喩」を用いつつ,全体に渡って一乗,如来常住を主張している.そのためインド産の確証のある,数少ない『法華経』の註釈書としての性格も合わせ持っており,資料的価値が高い.

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【資料】

 資料は漢訳(求那跋陀羅訳『大法鼓経』T No.270)と,チベット訳('phags pa rNga bo che chen po'i le'u zhes bya ba theg pa chen po'i mdo, tr.by Vidyakaraprabha, dPal gyi lhun po. rev.by dPal brtsegs, P No.888)それぞれ一種類が知られている.チベット訳冒頭部より知られるサンスクリット原題は,Mahabheriharakaparivartaであるが,本来はMahabherisutraであったことが確かめられている.チベット訳は漢訳に比べて相当量の増広を受けているが,共通部分の教説に関しては両者は概ね一致している.求那跋陀羅は『勝鬘経』『楞伽経』という如来蔵思想史上重要な経典の訳者であり,本経は彼の訳した最初の大乗経典である.

 本経のサンスクリット原典は伝わらず,註釈類・インド産の経論における引用も知られていない.チベットの『宗義書(Grub mtha')』『如来蔵の麗飾(De bzhin gshegs pa'i snying po gsal zhing mdzes par byed pa'i rgyan,Bu ston)』,中国の『勝鬘経宝窟(しょうまんぎょうほうくつ 吉蔵)』『華厳五教章(けごんごきょうしょう 法蔵)』,日本の『一乗要決(いちじょうようけつ 源信)』などに所説の一部が引用されるのみである.

 チベット訳からの全訳はまだ発表されていない.一方国訳は『国訳一切経 法華部』(1928)所収の「大法鼓経」(馬田行啓 249-286)がある.

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【ハイライト箇所】

(1)
[世尊]「迦葉よ,誰かが“このような経はない”と言ったとしたら,私はその者の師でもなく,その者は私の弟子でもない」
[迦葉]「世尊よ,大乗の中にも空性の義を説く経がたくさんございます」
[世尊]「空性を説くものは[小乗・大乗を問わず]何であれ言外の意趣を持っていると知りなさい.このような経こそもはや言外の意趣を持っていないものと知りなさい」

(『大法鼓経』P No.888 Tshu 112b1-3

(2)
[世尊]「世俗のアートマンというものを打ち破るために無我を説いたのだ.もしそのように説かなかったとしたら,[衆生は]どうして師[である私]の教説を信じようか.“仏陀世尊は無我をお説きになる”と奇特の想いが生じてから,その後数多の理由根拠をもって[小乗の]教説に導くのである.そのように導いた後,更に[大乗という]上の教えに対しての信が生じ[大乗に]入ったなら,空性の教えなどを学ばせ,精進し勤めさせる.そしてその後,彼らに“解脱は清涼・常住・有色である”と説くのである.
あるいはまた,世俗の者の中には“解脱は実在する”と言う者もあるが,私は彼らを打ち破るために“解脱は決して存在しない”と説いたのだ.もし師がそのように断見と似たものを説かなかったとしたら,[衆生は]どうして師の教説を信じようか.それ故数多の理由根拠をもって,解脱が滅尽であるから無我であると説いたのだ.その後,解脱が滅尽であるという見解を見て愚か者たちは滅するので,その後で更に私は数多の理由根拠をもって解脱の実在性を説いたのである」

(『大法鼓経』P No.888 Tshu 113a6-b3

(3)
[世尊]「迦葉よ,私は[滅度の後でも]そのような[徳を具えた]善男子,善女人に法身を示現してあげよう.彼らがどこの聚落,都城,町に住んでいようとも,その場所で私は彼らに[自らを]示現して,“善男子[,善女人]たちよ,如来である私は常住である”と説いてあげよう.
今日よりこの経を保ち,読み,誦し,他の人たちにも宣布し,“如来は常住・恒常・清涼・不変である”と説き,知らしめ,“世尊は常に住される”と自らの思いが浄らかで,偽善なく偽りなく欺瞞なくそのように知らしめる者,浄心を具えた者に,私は自らを現前に示現してあげよう」

(『大法鼓経』P No.888 Tshu 130b8-131a4

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