7/8 授業の感想10号と回答
感想10号(総数 105名:県大生 79名,山大生 26名)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
複数の同一または類似の感想は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
ヒンドゥーとイスラームの接触,および両者を巡る歴史を概観した後,ヨーロッパ列強のインド支配を説明し,いよいよ映画『ガーンディー』の観賞に入りました.
- イギリスは、パレスチナ問題においても原因の種を作っている。帝国主義社会において、自国の発展ばかりを重視して他国のことを省みず利益の追求ばかりを追い求めた結果こうなったのだ。イギリスは責任をとるべきだと思う。インドの人は、ガーンディーがイギリスに対して行ったように、その誇れる文化を大切にして、原理主義などに走らず、お互いの意見を尊重し、自分の考えを武力によってではなく言葉によって解決していって欲しいと思う。(1年女子)
(「殺したから殺す」の無限連鎖は本当に悲しく,また愚かなことです.)
- 映画では、ガーンディーが暴力・不服従という方法でインドを独立に導いた凄さがわかった。私はただじっとしている、としか考えていなかったが、さまざまな暴力にもやり返さないということがどんなに大変かを知った。ガーンディーは凄い人だと改めて思った。(1年女子)
(satyaagraha は本当に凄まじい,命がけの抵抗運動なのです.)
- 以前にガーンディーの映画を少しだけ見たことがありましたが、そのときは幼かったためあまりよく分かりませんでした。しかし、今回の授業でガーンディーの映画では授業を受けていた分、前とはぜんぜん違っていました。(1年男子)
(映画『ガーンディー』の内容は以前から変わっていません.あなたの指摘通り,変わったのはあなたの知識,そしてあなた自身なのです.このことを,「自分が変わるとものの見方も変わる」ことの好例としてください.)
- 今回、ヒンドゥー教徒からイスラームに改宗した人も結局はインド社会に生きていた⇒ヒンドゥーの枠から抜けられていないという説明を聞いて、「だってヒンドゥー教=インド文化(インド人の生き方・考え方)だ!」とすぐに閃きました。分かってきたかなと思いました!!
今回からガーンディーの映画ということで、次回もますます楽しみです。satyagrahaの考えもそうですが、今回の映画のなかでの「彼らは死体は手にしても、服従は手にしない」といった演説を聴いて、かっこいいなと思いました。言葉の威力はすごいものですね。(3年女子)
(下線部:うん,うん.分かってきています :-) )
- 映画が暗殺とガーンディーの葬式のシーンから始まったのが衝撃でした。字幕を見ていると間違った訳が本当にたくさん使われていたのにも驚きました。この授業を受けずに見ていたら、たぶん私はそのまま信じ込んでいたと思います。(3年女子)
(あの字幕,ところどころで余りに駄目すぎです...)
- ビデオを見て、話を聞いて想像していたもの以上の部分が結構あって、映像で見た分少しは理解が深まったような気がします。ガーンディーの奥さんのアンタッチャブルに対する態度も、カーストの強力さがとても表れていたと思いました。イギリス人と対立していたけれど、やはり、イギリス人の中にもガ−ンディーに協力の姿勢を見せてくれる人もいたということが分かって安心しました。(2年女子)
(当たり前の話かも知れませんが,イギリス人全てが悪いわけではない,ということがよく分かります.同様に,太平洋戦争でも「日本人全てが悪いわけではない」と思ってくれているアジアの人は大勢います.いろいろな意見はあるでしょうが,私は少なくとも,そういう方々のせっかくの想いを打ち砕くべきではないと考えています.)
- ガーンディーの当初の望みが英国人と同等の待遇であったのは知りませんでした。スーツを着た姿も意外です。それでもsatyaの観念は彼の中に存在していたんですね。パスを焼くシーンでは彼は暴力で反抗しないだけであって決して無抵抗ではないことがよく分かりました。(2年男子)
(そうです.命がけの抵抗なんです.)
- 弁護士になるためにイギリスへ留学し、その後南アフリカに渡り差別を受けたことは彼にとってとても衝撃的な出来事だったと思います。暴力を受けたのにそれを暴力で返さないというところまでは思いつくことができると思いますが、さらに、正義のために自分命を犠牲にしてでも正しくないことには服従しないというのは並ならぬ正義感と勇気を持ったマハートマー=ガーンディーだからこそできた発想だと思います。そしてその正義感と勇気に加えてヒンドゥーの発想である satyaの力があったからこそインド独立は達成できたのだと思います。今日見た映画の中で、デモ行進中に警官の乗った馬が行進する人々の中を突っ切ろうとしたとき、そのときも逃げたりせずに立ち向かったところに感動しました。(1年女子)
(satyaの力を持っていたのはガーンディー一人ではありませんでした.だからこそ,インドは独立できたのです.)
- 「打たれても打ち返さず、避けもしない勇気」というガーンディーの言葉がありましたが、ガーンディーが殴られながらもパスを燃やし続けるシーンが、まさに彼の「非暴力・不服従」の精神の原点を表しているように思いました。ガーンディーが発する言葉の端々に「非暴力・不服従」の考えが表れていて、とても印象的でした。(1年女子)
(まさにsatyaは「真実のことばの力」でしょう?)
- 映画のなかの非暴力・不服従という抵抗運動の様子を見て、彼らの選択した道がいかに困難であり、またいかに効果的であったかという事をあらためて感じました。あのような人々に対して暴力を振るい続けられる人間はそうはいないのではないかと思いました。彼らがあそこまで自らの信念を貫きとおせたということには、輪廻の観念なども影響していたのでしょうか。(1年男子)
(ヒンドゥー教徒の場合はそうでしょうし,ムスリムの場合は,いつかは神の世界への行けるという信念があったことでしょう.「死後の世界に対する安心感」が,今生でいのちを思い切り燃焼させる起爆剤になりえるのです.)
- 私の知識不足ですが、インドはイギリスの植民地だったわけですが、インドの人たちは支配されているという意識はなかったのでしょうか?(1年女子)
(その点,やはりガーンディーには「理想主義」過ぎるところがあると思います.ただし彼の場合,「口だけでなく,ちゃんと行動する」ところが凄いのです.)
- ガーンディーの非暴力・不服従は、暴力の連鎖を断ち切るための一番有効かつ唯一な方法だったと思いました。 (1年女子)
(私もそうだと思っています.思ってはいるのですが,実践は本当に難しいです.)
- satyagraha運動では、非暴力・不服従での抵抗だったため多数の犠牲者が出たと思います。実際どのくらいの犠牲者がでたのですか??(1年女子)
(総数は,きちんとした統計を見たことがないので分かりません.このページをご覧になった方で,お分かりになる方は是非教えて下さい.)
- まず第一にガーンディーたちの行動を“無抵抗”と訳出していたのにびっくりしました。確かに、暴力という形での抵抗はしていませんが、ガーンディーたちの行動も大英帝国に対する抵抗ですよね。また、ガーンディーはインド独立のために抵抗を始めたのではなく、インド人もイギリス人も同じ神の子なのに、歩道を一緒に歩くことも許されないことにはっきり表れているように、大英帝国の一員としての平等の待遇を求めるために抵抗を始めたのだと初めて知りました。(1年女子)
(だんだんと彼も変わってきますよ.)
- ガーンディーの映画はとても勉強になりそうなので嬉しいです。非暴力・不服従の精神は私にはとても出来そうにありません。しあかし、その精神を貫き通したからこそインドの独立がなされたのかなとも思いました。インドの分離独立というのはガーンディーの本意ではなかったと聴いたので、少し残念でした。どうしてインドは分離独立してしまったのですか?(1年女子)
(なぜかを,映画を観ながら検証していってください.)
- 今日の授業で、アンタッチャブルのカーストの人たちが、集団でたくさんイスラムに改宗したが、それは、カースト制がなくなったのでなく、あるカーストの人が、他のカーストになっただけだと話されていました。ということは、アンタッチャブルの人は自分でカーストを変えることができるということですか?それとも、その新しいイスラムのカーストも、アンタッチャブルと同じくらい低いカーストなのですか?(1年女子)
(「ヴァルナ外」という意味では,アンタッチャブルと同じですが,扱いはアンタッチャブルよりは上です.ヒンドゥー社会にいる限り,カーストを変えることはできません.)
- 映画の字幕は実際違うので嫌な気持ちになりました。(1年女子)
(おお,同志よ!! )
- ガーンディーは南アフリカで行動を起こした若いころから、「非暴力、不服従」を唱えていたことがわかりました。字幕では「無抵抗」となっていましたが、先生が言われたように、ガーンディーの理念は「暴力による抵抗はせず、不服従による抵抗をする」ということだと思いました。あと、今日ガーンディーが言っていた言葉では、ヒンドゥーだけに固執しておらず、イスラームやキリスト教やその他多数の宗教をそれぞれ認めていました。ガーンディーが理想としていたことは、結局は全人類の「共存」なのではないかと思いました。(1年女子)
(まさに「理想」ですし「野望」でした.)
- 最初の説明の中でカーストの悩みが集団につながるといったところがよくわからなかったので説明してください。(1年女子)
(ごめんなさい.質問の意味がよく分かりません.「カーストの悩みが集団につながる(?)」という説明をした覚えがありませんので.直接聞きにいらっしゃい.)
- 映画の中でガーンディーがスーツを着ていたのは、イギリスに留学していたからですか?ガーンディーが運動を起こしていたのは、イギリスから独立するためだと思っていました。当初は大英帝国の一員として扱ってほしい、という運動だったのですね。映画の最初で、ガーンディーが「全人類の良心」である、と言われていたのが印象的でした。映画は造られたものですが、乱暴なシーンは本当に痛々しく、実際にあのような差別、暴力を受けて、それを暴力で返さない姿勢をずっと守り続けたと思うと本当に尊敬します。(1年女子)
(彼はかなり思い込みの強い人物で,「こうでなければならない」に固執します.そのためにかえって「正義は実現されなければならない」と,satyaagraha運動を貫き通すことができたわけですが. 彼のスーツ姿も,彼の「我々は大英帝国の一員だ」という想いの表れです.)
- 独立ではなくて大英帝国の市民として扱ってくれという主張はとても共感した。(1年女子)
(そうですか? 結局それは「自分たちは植民地で構わない」という主張と同等だと思うのですが.)
- カーストを否定せず、イギリスで平等を説くのはどういうことでしょうか。大英帝国の一員として平等であると言っていましたが、大英帝国内ではインドのカーストはどのようにはたらくのでしょう。奥さんは、身分の違いをいっていましたが、ガーンディーはカーストを否定はしていない。(1年女子)
(要するに,彼らの意識の中では,カーストと身分差別は(不可触民を除き)別のものなのです.)
- ガーンディーの映画にはすごく興味を持ち、見入ってしまいました。ガーンディー達は無抵抗だったわけではなく、非暴力・不服従という形で抵抗をしていたのだということを改めて知りました。あれだけ多くのインド人の心をつかみ、どんなことをされても、一緒に戦うという気持ちにまでさせたガーンディーは本当にすごいなと思いました。人を動かすのは絶対に簡単なことではありません。しかし、それが可能となったのはガーンディーの人間性や信念にインドの人々が魅せられたからではないかなと思いました。私もガーンディーの言葉に何度も納得しました。しかし、そういうことを言うことができるのも、それほどの経験や苦労があったからなのかなと思いました。非暴力のインド人に対して暴力を使い、差別することが不正なことだと英国民自身が悟るだろうという考え方など、非暴力・不服従の結末のように感じました。(1年女子)
(彼が「ことばを行動によって裏付けていく,真実のことばを持った人」だったからこそ,人々の心を動かしていったのだと思います.)
- DVDを見て、ガーンディーの起こしている運動には、すさまじい決意と努力があるんだと改めて感じました。DVDの中の言葉で、自分と言う存在は小さいかもしれないけど、自分と言う存在は真実には変わりないという言葉を聞いて勇気づけられました。また、牧師の協会での演説のシーンで、多くの人が途中で帰っていき、一見効果がないと思われるけど聞いてくれる人がちゃんと存在しているということにも、すべてのことには意味があり信念を持てば誰かが必ず心に留めてくれるのだと思い、とても勇気付けられました。(1年女子)
(「それが正しいことであれば,誰かは分かってくれる」という信念のは,暗闇に落ちたときの灯火でもあります.)
- 私は今日までガーンディーの行動を『無抵抗』ということばで認識していました。『無抵抗』ではなく、『服従しないという抵抗』なのですね。ガーンディーの抵抗は、自分がより辛い立場になろうとも恨みの連鎖を作らないという形であり、言うことは簡単でも実行するのはとても難しいものだと思います。今日の映画では考えを改めさせられました。次週からも楽しみです。また、ヒーンドゥー教から改宗して形としてのカーストは消えたとしても、社会の中には残っており、変化がないとのことでしたが、それはsatyaの力を使用しても消えないのでしょうか?(1年女子)
(妻にトイレ掃除をさせていたことから分かるように,彼は不可触民に対する差別には反対しました.しかしカースト(=インド文化)そのものは「神聖なもの」として肯定していました.繰り返しますが,カーストとヒンドゥー文化は不可分なのです.)
- 今日見せていただいたビデオだけでも何だか泣きそうでした。彼の意志の強さには計り知れないものがありました。非暴力・不服従を唱えては、なかなか民衆はついてこないのではと思っていましたが、彼の発する言葉には見えない力があり、彼の目には惹かれる何かがあったように思います。
ガーンディーは抵抗をしなかったと社会の時間には習いましたが、抵抗をしなかったのではなく、常に抵抗をしていたという事実に驚いたのがついこの前でしたが、今日は言い出したことを徹底的に遂行しようとするsatyaの力を信じる、しかし、暴力に訴えるわけでなく、捕まってもなおその道を貫き通そうとする姿に言葉では言い表せれないような感情を覚えました。
またかれのイギリスびいきぶり(イギリスかぶれ)には驚きました。こんな事実があったのですね。これからどのように再びカーストへ戻っていくのかが見ものです。(1年女子)
(「ことばを実現させることによってことばで表せない世界を開く」 satyaにはそういう面もあると思います.)
- 今までの授業で「インド人にとってヒンドゥー教とは何か」をしっかり説明を受けて、ある程度理解できていたおかげで、今日の「下層階級の人達がカーストから逃れるためにイスラーム教に改宗しても、インド社会に生きる限りカーストからは逃れられない」という説明が、とても簡単に理解できたし、当然のことだと思いました。
「ヒンドゥー教とイスラーム教が融合し始め、だんだんイスラーム教が外来の宗教ではなくなった」というのを聞いて、インド人の温厚な人柄が表れているなと思いました。
ガーンディーの映画で、最初の汽車(?)の中で席を移動しなかったシーンや、歩道を譲らなかったシーン、奥さんにトイレの掃除をするようにいったシーンなどでガーンディーがどういう人物なのかが表れているなと思いました。「独立ではなく、大英帝国市民として同じように扱ってほしい」と求め続けたこと、非暴力・不服従を貫いたことなど、とにかく正しいことを貫くところが凄いなと思ったし、なかなかできることではないなと思いました。こういうガーンディーの人柄が大勢の人々の支持を集め、動かしたのだなと思いました。(1年女子)
(第二段落:そうではありません.ヒンドゥーは何でも呑み込んでしまうのであって,決して温厚な宗教でも,また,インド人自体が温厚なわけでもありません(もちろん,暴虐だ,と言っているのでは決してありません).私が強調したかったのは,イスラームがインドに入ってきてから長期間経過し,ガーンディーの時代にはもはやイスラームは外来宗教ではなく,「インド人のムスリムが信仰する,インド人の宗教」になっていたという点です.両コミュニティーは,たとえカースト的にはムスリム側がヒンドゥー側に呑み込まれていたとしても,同じインド人として長らくインドの地に共存していたのです.そんな両者が血なまぐさい抗争を繰り返し,ついには国を分断する事態に陥ったことはまさに悲劇ですし,それを招いた植民地支配の犯罪性は決して忘れてはなりません.)
【総評】次回はアムリッツァー虐殺事件の場面もあります.心して観賞していきましょう.(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp