6/10 授業の感想6号と回答
感想6号(総数 112名:県大生 86名,山大生 26名)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
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原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
サンスカーラ sa.mskaara を基軸に,仏教の思想を駆け足で見ていきました.Dhammapada の一節(Dhp 5)も紹介しました.
- 仏陀のエピソードは知っていましたが私も世間一般の解釈をしていました。四門出遊の解釈は先生がおっしゃられたほうの話が正しいのですか?それとも先生がそう解釈されているということですか?私には判断ができませんでしたので教えてください。それから最後の方は「恨みの連鎖」というものについてでしたが私は恨みというものは恨むべき対象を正当に評価しているという事と恨みの分だけ害されたものや人を大切にしていたという事を内包しているから捨ててはいけないものだと思っていました。(つまり恨みの連鎖はまったく関係のない第三者が止めるべきもの) やはり当事者が解決せねばならないのでしょうか?また一つ悩みが増えました。先生の考えをお聞かせください。(1年男子)
(最初の質問について,正しいかどうかは釈尊に直接聞くしかありません.もし,「解釈」というなら,原典に照らすとき私の解釈が正しいと思います.原典と合致しているという条件をクリアした上で,もっと説得力のある別解釈がもしあるとするなら,今度はその方が正しい解釈ということになります.学問とはそういうものです.
第三者によって「報復合戦」という行為自体は止めることができたとしても,怨みの心を捨てるのは,怨みの心を持っている当事者以外にはできないのではないでしょうか.論理的にもそうですよね.)
- ガウタマ・シッタールタの四門出遊の話に関心を持ちました。東・西・北門で、人間のどうしようもない苦を知ることが無ければ偉大な王になっていたかも・・・と思うと、もったいないなと何故か私が感じてしまいました。先生のストーカーの話の説明で、苦がどんなものか、なんとなく分かりました。自分の力ではどうにもならない理想と現実の差が「苦」なのですよね?その苦を含んだ自分を受け入れるのは想像よりも難しいと思いました。自分を受け入れるためには、自分をよく理解して、どうしてそうなりたいのかを考える必要があると思うからです。(1年女子)
(「本当の意味で自分を受け入れて(肯定して)生きること」,それこそが「安心して生きること」に繋がるのです.)
- インドでは、男の子供が生まれるまで子供を産み続けるということですが、生まれた女の子供も男の子供と同じように大切に育てられるのですか?仏陀が、自分の本当の意味を知るために出家したと聞いて子供なのにそんなこと考えてすごいと思いました。自己形成作用=サンスカーラについてよく分かりました。人間には生老病死があり、サンスカーラによって、老病死のない自分を作っていると知りました。サンスカーラの説明でストーカーが例になっていて分かりやすかったです。(2年女子)
(男女の差別は厳として存在します.)
- インドでは男が産まれるまで子供を産み続けるということを聞いて驚きました。男が産まれたら子供を産むのは止めるのですか?それとも男を増やすためにもっと産むのですか?
それから、恨まれるから恨みかえすという連鎖は昔も今もかわっていないのですね。これから先かえていくべきだと思います。(1年男子)
(死亡率の問題もあり,二番目,三番目を目指す場合の方が多いです.
怨みの連鎖の問題も,老病死と同様に,誰でも「頭では」理解しているはずです.そして,それを実現する「べき」だと思っているはずです.問題は「本当に実現できるのか,自分は実現させるのかどうか」ということです.)
- 自分を本当の意味で受け入れられたら、今殺されても平気ということでしたが、ブッダは平気になったということなのですか?(4年女子)
(ブッダのところに殺人者が来たとしたら,老病死を抱えた自分を完全肯定しているためブッダは少しも慌てることなく,殺生という罪業を犯してはいけないと相手を教化するはずです.ブッダは先入観(=サンスカーラの産物)なく世界をありのままに見ることができますから,相手にとって最も効果的な処方箋を出すことができます.仏典にも,釈尊が殺人鬼を教化して仏弟子にしたというエピソードが載っていますよ.)
- 現在の日本は少子化が進んでいるという一方で、インドでは、男の子が生まれまで子供を生み続け、これからさらに人口が増えていくだろうと聞いて、国によってこんなにも違うんだなあとビックリしてしまいました。
今日の授業でgap(苦)のことについてお話をされていましたが、この苦というのは、それぞれの国によって捉え方などは違うのでしょうか違うんでしょうか?(2年女子)
(これからは「インドの時代」ですよ,皆さん!! インドを学んで時代を先取りしましょう.
何をもって「苦」とするかは文化によって左右されます.例えば昔の日本の武家社会では,「恥辱」こそ死に勝る最悪の苦でありました.)
- 生老病死を四苦として考えることには、共感しました。確かに生きていく中ですべていいことばかりなのはありえないです。(2年女子)
(生老病死の「生」は「生まれること」です.「生きていくこと」ではありません.それから,ここでいう「苦」とは「いいこと,悪いこと」という範疇で捉えるべきものではありません.生老病死は私たちには不可避なものであって,私たちの存在そのものでもあるからです.この点は授業中にも再三強調したはずです.きちんと理解してください.)
- 今日で仏教が終ってしまったのは少し残念です。今日の講義を聞いていて思わず「インドで長男に生まれなくて良かった」と思ってしまいました。それにしても先生はたくさんアニメをご存知なのですね
知っているんですね。今後どんなアニメの例が出てくるのかが密かな楽しみです。(1年男子)
(楽しんでもらって何よりです :-) 今度は何にしましょうか.)
- 今日の授業で、仏教というのは自己形成作用=サンスカーラを正しくコントロールするものだと初めて知りまたまた、真理にたどり着く方法が教え、方便だというこを知り、このことを知っていれば怪しい宗教団体に勧誘されてもそれが正しいかどうか判断するすべがあるで少し安心だなと思いました。ひとつ聞き逃してしまったのですが、スジャーターというのは、ミルク粥をもってきてくれた娘のことですか、それともミルク粥のことですか、もしくはその出来事そのもののことですか?(1年女子)
(ミルク粥を持ってきてくれた娘のことです.ミルク粥はパーヤサといいます.)
- ストーカーの例でサンスカーラの概念がとてもよく分かりましたす。悟ったらそれで終わりなのではなく、その後もコントロールし続ける努力が必要であり、強い自己抑止力が必要であると思いました。(1年女子)
(強い自己抑止力がある人(リンゴのある島まで自力で泳いでいける人)向けの教えもあれば,そうでない人向けの教えもあります.仏教はまさに「八万四千の法門」なのです.)
- ストーカーの例やめぞん一刻の例など仏教についてとてもわかりやすかったです。仏教の教えは、膨大な数あることがわかりました。昔、日蓮が他宗を攻撃していましたが今の日本には、このような“教え”の対立はどのくらい残っているのですか?(1年女子)
(日蓮に関して言えば,彼の批判は「教え」に対する批判ではなく,「末法の世に生きる生き方」を巡る批判です.イデオロギー論争をしていたのではありません.)
- 先生が復讐
復習法の「目には目を、歯には歯を」というのが平和的なものだとおっしゃられたときは、何がなんだか分からなかったのですが、日本人はちょっとぶつかられただけで、人を殺してしまうこともあるじゃないか。というような説明を聞いて、本当にそうだと思いました。(1年女子)
(当然ですが「目には目を」というフレーズも使われる脈絡を選びます.「憎しみの絶えざる連鎖」という意味で使う場合には,当然その連鎖は絶たれなくてはなりません.)
- 本当の意味で自分を受け入れた時に自分の前だけに本当の世界がみえるという考え方に「確かに!」と納得してしまいました。このような考えにいきついたガウダマ・シッタールタはすごいと思いました。もっと仏教について知りたくなりました。(1年女子)
(ブッダが凄いのは,それを「実践し実現した」ことです.)
- 人は老・病・死のない世界に生きる自分を形成している、という考えは今までの自分にはなかった考え方でした。
ブッタの出家の理由が「自分を本当に受け入れるため」と言うのは初めて知りました。今生きる世界から逃げるために出家するパターンが多いので意外でした。
教えには真理が載っていと思っていたので、私は誤解していたことが解りました。(1年女子)
(どんな真理であれ,それが「言葉」になったからには相対化を免れないのです.しかし,「言葉」なしには真理は伝わりません.いわば真理は宝,言葉は宝の地図,という関係にも似ているでしょう.)
- 最後にされた教えについては今日の世界情勢にも関係するのではないかと思いました。昔の出来事をすべて許す(忘れる)のは難しいですが、それよりもこれからのことを前向きに考えるべきだと思いました。
近頃講義が始まる前に流れているDVDの映像が気になってしかたがありません。その中で流れている音楽もとても興味深いです。あれは講義の中で見せていただけるのですか?(1年女子)
(MUTHU ですね.時間の関係で,残念ながら講義の中で紹介することができません.これからも授業前の時間を使って,少しずつ見ていこうと思っています.ちなみに,少し大きいレンタルビデオ屋(山口のお店はどこも大抵大きいですけど))にはたいてい置いてあるはずです.)
- 昔ひろさちやさんの仏教の本を読んだとき、仏教はこだわりを捨てることが大事なのだ、と書いてありました。自分流の解釈ですが、思い通りにならない=苦 (gap)をなくす、自己を受け入れる方法のひとつとしてこだわりを捨てるという行為があるのではないかと思います。授業では自己形成作用(サンスカーラ)を正しくコントロールできるようになることが悟りをひらくということなのだと教わりましたが本当にそのとおりだなぁと思いました。(1年女子)
(自分に執着しこだわりすぎると,「こうでなければいけない自分」をサンスカーラで形成してしまい,その,「サンスカーラで身勝手に作り上げた自分」と「真実の自分」との間に埋めがたいギャップが生じてしまい,苦しんでしまうのです.)
- ウソも方便という言葉は仏教ではありえないということが一番印象的でした。方便とは教えであるということを聞いて、とてもウソも方便の方便という言葉が重く感じました。教えというのは悟りに接近するための方法であって
ではないが、その方向性を示しているんだから、ウソがその悟りへの方向性を示すことはできないので、やっぱりウソは教えではないと納得しています。また今の世の中では、恨みがまた人を殺し、新たな恨みが生まれ、それが続いていくということが多々あると思います。特に戦争では国家レベルで何百年も前の恨みや怒りが残っているため、世界平和が訪れることは残念ですがほとんどないとおもいます。できるなら恨みの連鎖を断ち切って、世界中がお互いに平和への道を歩んでほしいと思います。(1年男子)
(私は「できる」と思っています.というより,「そうしなければならない」という信念かも知れません.)
- 私たちが、本当の意味で自分のことを認めていないということは、普段改めて考えることのなかった事でした。それは、根源にあることなので、分かっているつもりで通り過ぎているからなのではないかと思いました。そして、それを聞いてインドの人々の思想が、高度な次元のものであるということが理解できました。ガウタマ・シッダールタの話はこの講義で初めて知ったのですが、本当の意味で自分を受け入れるための修行はどのくらいの年月がかかったのでしょうか。ガウタマは一生のうちで、自分を受け入れていないことに気付き、さらにそれを悟ったということを知って、ガウタマの偉大さを知りました。(2年女子)
(諸説ありますが,修行期間は 6年ほどだったという説が一般的です.)
- 自己形成作用のストーカーの話がとても分かりやすかったです。
自分も普段から自己形成作用で自分の信じている世界を創造しているのだな、と思い少し自分がストーカーのような変な世界観を持っていないか不安になりました。(1年女子)
(ストーカーは極端な例ですが,私たちの中で自己形成作用を発動させていない人はいません.もしきちんと発動を制御できている人がいたとしたら,その人は覚った人(ブッダ)です.)
- upayaの考え方は、現代の世界情勢を見たときに必ず考えます。日本も含め、関係が上手くいっていない国家間では、謝罪や賠償が済んだはずの事でもずっと引きずっているように思うことがあるからです。だから、既に紀元前のインドで、仏陀がupayaの考えを持っていたことに驚くと共に、その時代から 2000年以上経った今でも、習得できていない自分達が情けない気がしました。(1年女子)
(仏教に限らず,歴史の風雪に耐えてきた宗教には,時代を超えて人々に訴えかけ,人々を教化する力があります.)
- ストーカーの例は分かりやすかったです。でも気になるのはどのように自分の考えが正しい世界を作り上げるかです。インドではガウタマ
ゴウタマシッダールタはどのように扱われているのですか?(神や昔の偉い人のように学校で教えられるのでしょうか?(1年男子)
(インド一般(=ヒンドゥー)の理解では,ブッダはヴィシュヌ神の化身の一つです.)
- 方便のところの説明がよく理解出来なかったので、出来ればもう一度説明をお願いします!あと、先週土曜までに授業評価が出来なかったので、山大生用のでしようとしたのですが、うまくいかなくて出来ませんでした。すいませんがもう一度やり方を教えて下さい、お願いします。(1年女子)
(方便のどこのところが分かりにくかったのでしょうか.このページの別の学生の応答を見ても分からなければ,研究室に直接聞きに来てもらった方がよいようですね.
掲示板の件も,何がどのようにうまくいかなかったのか分かりません.問題点を具体的に挙げた上で質問してください.一般論としては,「期限内に」「決められたユーザIDと」「決められたパスワードで」アクセスすればできるように設定しています.)
- 例えが非常にわかりやすかったです。どうすれば悟りは開けるのでしょうか?(1年女子)
(自分に合った処方箋(方便)に依ることで開きます.)
- 私も生老病死の四苦があるという事が分かっていても、認めたくないと思ってしまいます。私は時々自分が死んだ後のことを考えたりするのですが、途中で怖くなり考えるのをやめてしまいます。だから、先生の講義内容は、賛同できる所がよくあります。人生を後悔のないように過ごしていきたいと思います。わたしもブッダになりたいです。(1年女子)
(是非なってください.私もなりたいです.)
- 自己形成作用は誰でも持っているものだし、ストーカーは自分勝手に世界を作って、本当の世界を壊してしまうという話を聞いてコントロールする必要があるのだと思いました。先生が最後に教えてくださった教えは、今戦争をして、テロが起きて、その報復をしてとどんどん報復が報復を呼んでいる状況の中、とても大事な教えだと思いました。(3年女子)
(太線部:そうなんです.サンスカーラは特殊な人だけのものではなく,誰でも気づかぬうちに発動しているものなのです.)
- 人はいつか老いるし、いつ突然病気になるかもわからない、いつ死ぬかもわからないけれど、それは確実に生きていれば必ず訪れることだとわかっていたつもりでした。でも、やはり、言われてみれば、それは「いつか」起こることで「今」は大丈夫だと思い込んでいた気がします。
「生老病死」という人間にとって、ほとんど定めであるかのようなことと真正面から向き合うということには相当の精神力が必要だったのではないかと思いました。むしろ、次元の違う話なのでしょうか。どんな世界なのか私には想像もつきません。
自分の思い通りにならないことがあっても、自己形成作用を正しくコントロールしていけるような人間になりたいと思いました。(1年女子)
(ブッダの世界はブッダでなければ分かりません.私たちはブッダの残してくれた方便を辿り,ブッダの世界へと歩んでいけるのです.)
- 以前の講義でもおっしゃられていましたが、本当に宗教=恐ろしいものではなく、精神を支えるものなのだと感じました。そのときの感情をおさえて冷静でいられるということは、教えによる精神の強さなのだと思います。また、四門出遊や墓場での修行、ミルク粥のお話はどこかで聞いたことがあるな、と思っていたのですが、幼稚園のころに絵本で読んだ事があったからでした。今日まで忘れていたことなので、懐かしく思いました。ですが、出家したのは老病死が恐ろしいからであり、悟る事ができたのは、人に優しくされたからという認識でした。今日は正しく知ることができ、良かったです。(1年女子)
(下線部:あながち見当はずれではないと思います.「自分は自分一人で生きている」という自己をサンスカーラで形成していたシッダールタ(もしそうでなければ,妻子や国を捨てて身勝手に出家なんかしなかったはず)にとって,スジャーターとの出会いは「人は他者と繋がりあいながら生かされている」という真実に気づくきっかけになったと思うからです.)
- 人は誰でも「老病死」をかかえていて本当はそうなりたくないと願っているというお話を聞いて確かにそうだなあと思いました。私的には仏教徒だけれども無宗教だと思っている点においてもsa.mskaaraという力が働いているということですよね。間違っていたらすみません。りんごを例にした説明のところが分かりやすかったです。「その人その人にあった方法(治療)」という言葉を聞いたときに、このりんごの話だけでなく、自分の人生においても当てはまっているなと思いました。無理をせず自分にあっていることをすることが重要だと感じました。今日の授業の最後でした八万四千の一つを先生が読まれているのを聞いて、心地のいいメロディー(旋律?)だなと思いました。(1年女子)
(旋律でなくて韻律です.あの韻律はシュローカといって,インド人が最も好む韻律の一つです.心地好くて私も大好きです.)
- 今日の授業は難しかったですが、ハッとさせられるものが多くありました。授業の最初の方で質問があるのですが、男の子がどうしても生まれなかった場合には、インドでも「養子」として他人を一族に入れたりするのでしょうか?そうするとカーストやジャーティには影響は出ないのでしょうか?
生老病死についての観念は、誰もが同じではないのだろうけれども、根本的には恐怖や嫌悪があると思います。それらを受け入れられない、認められない自分を好きになることは、本当に難しいことだと思います。自己の根底にある形成作用(サンスカーラ)を適切にコントロール出来るようになることが、生涯において自分自身を創り上げていく課程の一部なのだと思います。ストーカーを例に挙げて説明なさっていましたが、非常に分かりやすかったです。別世界で自己を創り上げてしまい、そっちを現実として生きている彼らにとって、本当の現実世界に戻るには、ある意味一回自分(別世界で生きている方)を殺して(否定して)しまわなければならないということですか?もしそうだとすれば、とても恐ろしいです。(1年女子)
(養子を取るにしても,同一カースト内から取ります.それから,カースト=ジャーティです.
ブッダならざる身である私たちは,どうしても噴き上げてくるサンスカーラと付き合っていくしかありません.その付き合い方がいいか悪いかが,きちんとした信仰を持っているか否かの分かれ目になります.)
- ガウタマ・シッダールタが出家したのは、老・病・死を含めて、自分を本当の意味で受け入れるためというのは聞いたことがありませんでした。もともとそんな考え方を持っていた、というのは意外でした。すごいです。また、インドでは四つある方がいいので、生をいれたということですが、生まれることも苦しみということでしょうか。前の授業でもひとの世界に対する認識のようなことを話されていましたが、神がいるかいないかは誰にもわからないんだから、神がいる世界に住むという自分をつくっているか、または神がいない世界に住んでいる自分をつくっているかどうかなんですよね。そういうふうに自分をつくっている考え方を自己形成作用=サンスカーラというんですよね?それは、理想の自分であったりするんでしょうか?また、それは主観とは違って・・・、そこらへんがごちゃごちゃしています。仏陀はそのサンスカーラを正しくコントロールできる、ということはえ~と、普通のひとは、自分が林檎を食べたことがなくて、人から林檎の味を言葉で聞いた場合に「林檎の味はこんな味だ」と理解してしまう自己を自己形成作用=サンスカーラによって無意識に形成してしまうけど、ブッタは食べるのが一番に林檎の味をしることなのであり(=真理)、勝手に林檎の味を知っているつもりの自己をつくらない・・ということでしょうか。ついでにいうと、それを食べるため(=真理に到達する)の方法を示すのが教えで、だから教えは、真理そのものではなくて、真理に到達するまでの道であり、その方法である方便は、人によってその方法は違うから、たくさんあるんですよね。
ストーカーの髪型は林田君に似ていましたね、わたしはメカ沢君が一番好きですけど。(1年女子)
(「生まれ」も自分にはどうしようもないことですよね.ああいう家に生まれたかったとか,こんな顔でこんな才能を持って生まれたかったとか思っても,自分の力が及びません.自分の思い通りにならないこと(=サンスカーラで形成した自己と,真実の自己との間にあるギャップ)を「苦」と呼ぶのです.
「主観」は,サンスカーラによって身勝手な自己が形成された後に発動されるものであって,サンスカーラは主観より一層根源的な作用なのです.
おお,クロマティ高校ネタ.私もメカ沢は好きです.弟のメカ沢βもいいですよね.「メカラッタ」(かないみかさんの声がなんともナイスです) 今度実写版の映画が公開されるとか.)
【総評】たしかに方便は真理ではありません.しかしそれは,「方便は真理とは異なった二次的なもの」を意味するものではありません.方便は,ことばにならない真理をことばの次元に投影したもの(真理の影)であり,それを通して,真理にいまだ至っていない者が真理に至る唯一の方法・手段なのです.(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp