12/17 授業の感想12号と回答
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日本人のエートスにつけ込み,国家が仏教(らしきもの)を利用して民衆を支配していた時代にに,二人の天才が現れます.伝教大師最澄と弘法大師空海です.
- 鎮護国家のための奈良仏教は、政治的性格の強さを思わせました。宗教が政治に利用されることが多々あることを思えば、あえてそれが特別なことであるとは言 えないかも知れません。いつの世も政治と宗教は密接な関係を持っていますが、大事なことは、たとえそうであってもその中で宗教の本質的な部分を発揮できる かだと思います。仏教に限らず、今のイスラエルなどに見られる争いの解決についても、それはいえると思います。いまそのような地で声高に言われている宗教 は、争い(利権)のために利用されている、ただの単語なのではないでしょうか。
最澄や空海について今回は学びました。彼らが唐に往き、帰国して行ったことは鎮護国家の枠の中でのことだといえますが、実際に唐で(だけではないかもしれ ないが)得た教えは確かに仏教の本質であったのだろうと感じました。彼らを先駆けとする後の鎌倉仏教は、その本質を具現していると思います。多くの処方箋 を出すための総合仏教を目指した最澄の姿勢は、もう「国のための仏教」ではないといえる気がします。日本の仏教界に民衆教化の視点を与えた彼らは、やはり 大きな存在です。 (2年男子)
( (^^) )
- 日本で仏教が仏教らしくなるのにとても時間がかかっていたんだなと思った。半分の遣唐使船が難破してしまったのに最澄と空海の乗ったそれぞれの船は沈まな かったというところが運命的で感動した。それから、2人はとても偉大な人なのに意地悪しただの意地悪されただのという話を聞いて、何か愛しい気持ちになっ た。また、自分の実家の仏壇にも小さな弘法大師様がいらしゃるがそれを毎朝、亡くなった祖母は拝んでいた。「南無大師遍照金剛・・・・・今日も一日お守り 下さい。」と呟きながら。その背中を見て育った私にとって「南無大師遍照金剛」は元気の出る呪文である。この言葉を耳にしたり、自分で口にすると、朝の明 るい光と澄んだ空気と線香の香りの中にあった祖母の背中が見えて、すっきりした気分になる。 (2年女子)
(今度は,あなたがその背中を誰かに見せる番です :-) )
- 今日の授業は、当時の最澄と空海のことがよく分かって面白かったです。高校の日本史ではここまでくわしくは教えてもらえず、よく理解できていなかったので・・・。 たしか、最澄が弟子の泰範を返してくれと空海に送った書状が、有名だと習った気がします。が、どうしても思い出せないので調べてきます! 「大乗戒壇」という語の意味がよくわからなかったので、広辞苑で調べてみたのですがやはりちょっと。分かりやすく言うとどういう意味なのでしょうか? (2年女子)
(現在は国宝に指定されている『伝教大師筆尺牘(久隔帖)』という書状です :-)
大乗戒壇とは,『梵網経』という大乗経典に記してある戒に基づいて授戒する機関のことです.それ以前の戒壇は,小乗の戒律に基づいて授戒していました.「何人授戒していいか」という部分は依然として国家に握られていましたが,仏教者が戒壇制度の運営に自発的に関わりだしたという点で,「仏教の国家からの自立」への方向性に先鞭を付けたとも言えると思います.)
- 日本における仏教の役割は、飛鳥・奈良時代においては人より国を守ることだったのですね…奈良の大仏は疫病への睨みであるだけでなく、民間人に仏教が普及 しないように見張る意味も込められていたと知り、小中学校以来『民衆の幸せを願ってつくられた』と思っていたので少しショックでした。 人を救うための宗教なのだから、やはり民の間に入って行ってこそ意味がある。要は仏教は国家のための手段として、かなり本来とは違った使われ方をしていた ということでしょうし、一番大変な時期に仏教に出会えなかった人たちを気の毒に思いました。 (2年女子)
(だからこそ,何かにつけ私たちは「歴史」に学び,同じ轍を踏まないようにしなければなりません.それが,過去のつらい境遇にあった人たちに対する,現代に生きる私たちの責任だと思うからです.)
- 日本の仏教は政治的な影響がものすごく絡んでくるんだと思いました。又、日本人は自分の住んでいる土地から何かを生み出そうとするのではなく、他の土地の 既存のものを真似ようとする傾向が強いように思われます。それは物事を複雑にします。自分には当てはまらないものも無理やり受け入れようとするからです。 頭で考えると納得できるけれど、実生活となってみると違和感を感じるのです。処方箋はみんな違うことを理解することは今日本で一番重要なことではないかと 思います。 (2年女子)
(同感です.日本だけでなく,世界中でもこのことを理解してもらいたいと思います.)
- 最澄も空海も、ものすごく頭が良かったのだと思いました。 やはり何かに期待されすぎたり、期限があったりするより、自分が思うまま、自分が納得するまで勉強し追い求めていくことが大切であると、2人の話を聞い て、感じました。最澄が入門させた弟子の泰範は、空海の意図で寝返って知ったのでしょうか、それとも、泰範の意思(空海の力に惹かれたなど)なのでしょう か。 (2年女子)
(泰範は空海,そして密教に惹かれて寝返った,と伝えられています.)
- 空海についてはいろいろな場所で取り上げられていますが、最澄に関してはあまりメディア等で聞いたことがないな、と講義を聞きながら思いました。それは、 空海の方がより民衆と関わっていたということになるのでしょうか?また、中国留学の話で、期待されている「還学生」は一年、「留学生」は無期限、という事 を聞いて、ちょっと矛盾を感じました。日本としては、期待している学生は早く帰ってきてほしいと思うでしょうが、私は、留学生で行った人の方がより仏教を 知って帰ってくるような気がしてなりません。最澄が1年より長く留学できていたら、日本の仏教がどう変わっていたか、とても気になりました。 (2年女子)
(留学生の場合,そもそも日本に帰ってこられる保証がなかったのです.)
- 私も高校で日本史をとったことがないのですが、日本史はやはり頭に入れておきたいと、今日の講義を受けて思いました。奈良仏教の背景や、桓武天皇の平安遷 都が、仏教とつながりがあったこと(仏教が力をつけすぎたため、奈良におしこめ、国家の中心を京都に置き、再び天皇に力を戻すためだったこと)を知り、こ ういう風に学べば歴史も理解が早い!!と発見できた一日でした。また、最澄(天台宗)・空海(真言宗)がどっちがどっちか覚えにくかったのですが、内容を 知ると自然と頭に入りました。また、小学生の時に私と母親共に空海についての本にはまり、(わたしの実家は鹿児島県の霧島なのですが、)「空海が杖をつい て水を湧かせた」といわれる霧島の山奥の地に一緒に分け入って探したことを思い出し、懐かしく思いました。 (2年女子)
(霧島ですか! いい温泉がありますね (^^) )
- 高校の授業で最澄や空海の勉強をしたけれど、二人の間にこんな確執があるとは知りませんでした。最澄は、とてもすばらしいと思うけれど、その才能のせい で、留学も早く帰されたりしたり、空海にはいろいろと邪魔をされたりして、少しかわいそうな人生を送ってきたのに反して、空海は、最終的には、一番おいし い生活をしていているけど、昔は、留学生としてきちんと努力して、成功をおさめたからこそ、すばらしい生活が送れたということを知りました。 どちらがすばらしいかは、分かりませんが、二人とも自分自身が頑張ったからこそ、宗を開けたので、今の仏教もきちんと存在しているのだと思います。 (2年女子)
(二人とも,日本仏教に「夜明け」をもたらした大功労者です.)
- 今まで鎮護国家の仏教も一つの仏教であると考えていました。でも先生のおっしゃるように鎮護国家の仏教はりんごに向かっていないし処方箋もだしていないか ら仏教とは呼べないなあと思いました。 最澄と空海のことは中学高校の歴史の授業で習ったことはありましたがそれぞれが天台宗と真言宗の開祖であることくらいしか知りませんでした。二人はまった く別々のことをした人たちだと思っていたので二人に接点があったことに驚きました。日本歴史の背景には仏教が存在しているのだと思いました。日本仏教を知 るためには日本の歴史も学ぶ必要があるなあと思い、もう一度高校の歴史の教科書を読んでみたくなりました。 (2年女子)
(下線部:より正確に言えば,「民衆には閉ざされ,鎮護国家だけに用いられているならば,それは仏教ではない」です.)
- インドも中国も、そして日本も一度は仏教が民衆の元から離れ、一部の人間の都合に合わせて機能している。これは、とても残念なことだ・・・と思うのと同時 に、宗教が人間の作り出したものであり、人間が関わる以上、当然のような気もした。(でもそれは処方箋が出せないため、もちろん“仏教”ではないのだが)
最澄はプライドを捨てて空海に弟子入りした。最澄の行動から、総合仏教が本気で目指した本物であるのだと実感できた。 (2年女子)
(下線部:よいセンスです.宗教はとっても人間くさいですよ.)
- 奈良仏教と比較して、平安仏教は「民衆の視点」が加えられた、という話が最後に出ましたが、どういう意味なのか、よくわかりませんでした。 (2年女子)
(鎮護国家ばかりでなく,民衆教化に向かう方向性を有していた,という意味です.)
- 中学校の日本史の授業で、政権を握ろうとしていた僧侶たちから距離を置くために平安に遷都した、そのおかげで僧侶たちは実権が握れず泣くことになった・・・ということから、「ナクヨ(794)坊さん平安京」と覚えるように、ともう一つの暗記法を聞きました。 (2年女子)
( (^^; )
- 授業の最初のイメージでは、アジアの仏教についてしかやらないのかと思っていたので、空海や最澄についてやったのは不思議な感じがしました。 (2年女子)
(日本についてもやるとシラバスでご案内していますよ.それに,日本もアジアの一部です.)
- 都が京都に移されたということは、歴史いままで歴史で習ってきていましたが、今回は仏教的な面からその事柄を知ることが出来たと思いました。国が僧を特別 扱いしたことで、僧がでしゃばり始め、遷都の原因になったのだから、国は自分の首を絞めたようなものだと思いました。その根底を覆したのが最澄と空海であ ると思いました。延暦寺でも僧になることができるようになったことで、幕府と僧との関係も少し距離を置くことができたのだろうかと思いました。 (2年女子)
(下線部:最澄の開いた日本天台宗と彼の求めた「大乗戒壇」は,その後の仏教の方向性を決定づけました.彼は偉人ですよ,本当に.)
- 最澄と空海、2人の境遇は全く正反対だと思うが最終的に目指したものは民衆教化という点で同じだと言っていいと思う。この2人の先駆けといえる行動がなければ日本の仏教は奈良仏教のまま、鎮護国家の仏教のまま、根から成長し花開くことはなかっただろう。それはまさに中国での仏教の浸透のしかたと同じ道をた どろうとしていた日本での仏教をこの2人が大きく転換したのだと思う。 (2年男子)
(ナイス感想! )
- 今まで仏教のことを学んできて、つい最近の授業でも仏教と三法を一緒にして考えないようにしなければいけないと学び、21年間、どちらかというとキリスト 教のほうが華やかに見えたり、うらやましかったりした時期もあったけど、仏教の面白さが少しずつですがわかってきたような気がします。今年はもう授業はあ りませんが、来年を楽しみにしています。先生も良いお年を。。。 (3年女子)
(あなたも (^^) )
- 最澄が作ろうとした総合仏教を学ぶのはかなり大変なのではと思いました。全部中途半端に学ぶわけにもいかないだろうし・・・。 (2年女子)
(総合病院に行ったからといって,全ての科を受診する必要はありません.自分の病状にあったところで治療してもらえればいいのです.問題になるのは,自分の病状にあった適切な診療科がその病院にないことなのです.最澄の目指した総合病院は,あらゆる病状に対応できるものだったのです.)
- 小さい時に、私の地元で『おだいしさま』という、一年に一回、お地蔵様に拝むとお菓子をもらえるというイベントがありました。そんな昔から仏教に親しんでいたことがすごいと思いました。また、そのイベントの大師は、空海なのか最澄なのか知りたいと思いました。 (2年女子)
(おお,それはうちのゼミの今年の卒論生のテーマでもあります.教義レベルでは「空海」が正解なのですが,大事なことは,「大師が誰か知らなくても,きちんと行事が実施されてきた」という事実なのです.卒論発表を是非聞いて欲しいです.)
- 大学のとき日本史を勉強していて、最澄と空海については知っていた。二人の日本での立場、中国への留学、どちらも初めて詳しく学んだ。なんか、とてもおもしろくてわかりやすかった。とにかく興味を持ちました。 (2年女子)
(下線部:「高校のとき」??)
- 奈良から平安に都を変えた理由として、奈良仏教と国家の距離を置くということがあったと初めて知りました。 最澄と空海同じ時に同じくらいの偉人が生まれるとやはり反発してしまうのですね。二人で協力していたら、またさらなる偉業を成し遂げたかもしれないと思うと残念です。日本仏教の基礎となった二人の功績がどう生きてくるのか、これからの展開が楽しみです。 (3年女子)
(「両雄並び立たず」と申します.)
- 最澄が中国で密教を十分勉強できず、帰国して空海に弟子入りしたというのに驚きました。最澄は還学生であり、留学生である空海に弟子入りするのはプライドが許さないのでは、と思ったけれど、最澄は本気であらゆる人のための総合病院をつくるつもりだったのだと思いました。 (2年女子)
(「実るほど頭を垂れる稲穂かな」)
- 今回の講義では、仏教が初め、天皇中心の国家体制を守るために使われていたのだということが理解できた。その流れの中でも、日本人のエートスが利用されて いることから、エートスとはありとあらゆる場面で利用または悪用されるものなのであると感じた。それは、現在世界各地で起こっている戦争や対立などとエー トスとの関係から見ても言えることであろう。宗教や思想というものが常に人々のそばにあり続け、大きな影響を及ぼしているということを再認識させられた。 (2年男子)
(日本人もかつて利用されてしまいました.同じ轍を踏んではいけません.)
- 今回の講義では、日本仏教の流れを最澄と空海を通して学ぶことが出来ました。 仏教の教義面だけで日本仏教は語れません。「日本仏教は堕落している」、「インド仏教が正しくて日本仏教は間違っている」と言っている人もいますが、それ は間違いです。仏教とは、本来その土地その土地に合った(その人その人に合った)ものであるはずですから、インド仏教と日本仏教は違って当然です。また、 「どちらが偉いか」、「どちらが上か」ということも関係ありません。 ただし、奈良仏教はいわゆる鎮護国家の仏教です。より正確に言うと仏教ですらありません。民衆を救うために大仏を作ったのではなく、むしろ民衆を統治する ために作ったのです。天皇中心の国家体制(国体)を守るために仏教という強力な魔法と日本人固有のエートスを利用する。全ての人が幸せに生きられる世の中 を作っていくべきであるのに、これでは一部の権力者や権力と癒着した僧侶しか救えません。また、奈良から京都に遷都したのも民衆を救うためではなく、力を 持ちすぎた奈良仏教から距離を置くためであり、結局は天皇中心の国家体制を維持することが目的だったのです。 このような状況の中で最澄と空海が登場します。特に私は香川県の善通寺市生まれなので空海のファンです。香川県は今でも水不足に悩まされており、満濃池を 作った空海は郷土のヒーローです。ただし、空海は最澄に対して冷たかったという事実には驚きました。地元では空海の悪い面はほとんど語られないので新鮮で した。もっとも地元の空海伝説に「咽喉の渇いた空海に梨を分けることすらしなかったケチなおばあさんを空海が懲らしめる」という話が伝わっています。「お ばあさんの梨を呪術を使って全部石ころに変えてしまう」というものです。似たような話がいくつも残っており、事実かどうかは別にして空海を怒らせると怖い というのは地元の人ならば知っています。 そうは言っても、空海は五色台の牛鬼(顔は牛で胴体は鬼)や悪狐を退治してくれたり、ため池を作ってくれたり、四国八十八箇所を作ってくれたり、さらには うどんを中国から伝えてくれました。これが讃岐うどんの始まりである、とも言われていますが事実かどうかは怪しいです。 最澄はまさに「最も澄んだ」人であると思います。綜合仏教(綜合病院)を作り、全ての人を救おうとした最澄の姿勢は本来の仏教のあり方(原点)に戻ったも のであり、画期的なことです。今の仏教が、天台宗の流れにあるのも当然であると思います。奈良仏教から民衆という視点が入った平安仏教へという歴史的過程 を踏まえ、鎌倉仏教についても学びたいです。 (2年男子)
(天台宗は,現在まで続く日本仏教の色合いを決定したという点でも,大変重要な意味を持っています.)
【総評】平安仏教を経て,ついに日本仏教が「仏教」として始動しました.年明けには鎌倉新仏教を見ていきましょう.(鈴木隆泰)
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