12/3 授業の感想10号と回答
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前回説明した「宗教における聖と俗」「仏教の伝播主要3ルート」を承けて,今回は「インド社会と仏教」「南伝仏教,チベット仏教,中国仏教」を見ていきました.
- 授業の最後の方の話でしたが、仏教が社会運動としてもしっかり機能して花開いたのは日本だと聞いたときはとても感動しました。やはり、救いを求めている多くはごく一般の人で、そのような人の助けになることこそが宗教の素晴らしさだと思います。俗の部分である結婚式や葬儀にも仏教が関与できるようになって本当に良かったと思います。 (2年女子)
(本当にそうだと思います (^^) )
- インド社会と仏教について話を聞いて、納得しました。カーストのあるインド社会では仏教は根を下ろせず、さらにイスラームの侵入ということもあり、海や山を越えて伝播していったのですね。そして、遠い日本で約千年後に、インドの理想であった仏教が社会運動になり、花開いたということに感動しました。(3年女子)
(ホント,感動です! )
- 授業の途中で話された、キリストの例はなるほどと思いました。いつもなにか違和感を感じていたのですが、パレスチナ生まれのキリストがあんなに西洋神ぽいのは理想が投影されてそうなったのか!と納得しました。
仏教の枝分かれの中で、中国の仏教は一部エリートの者に留まったにもかかわらず、日本では花開いた理由がよくわかりませんでした。次回の話でしょうか?自分が今もっている根本的な考え方などのルーツが底にあるような気がして、もっと知りたいと思いました。(4年女子)
(次回以降,お話ししていきます.)
- インド社会では、カースト社会に所属している在家者が、俗なるものを捨てた出家者を支えていくということでした。福田という思想があるからだということでしたが、そのことに対して、在家者も出家者も疑問を抱いたりはしなかったのですか??こういう状態というのはごく自然なことだったのですか??(2年女子)
(そうです.それがインドの文化なのです.)
- 伝播の話で、インドという社会構造自体に仏教が合わなかったと聞き、今までイスラーム王朝に追い出されたと認識していたので(世界史でもそういう風に習っていましたし)驚きました。自分がインドのことをよく理解していなかった証拠だと思います。発祥地より伝来した先で信仰されている宗教は仏教くらいではないでしょうか。国境を問わない教えをもつからこそ、でしょうね。玄奘三蔵の話が出たので疑問に思ったのですが、当時唐の僧侶にとって、ヒンディー
ヒンドゥー(もしくはパーリ)語は必須教養というか、誰でもわかるものだったのんでしょうか。でなければいきなりインドに留学したり、持ち帰った経典を漢訳したりもできなかったとは思うのんですが…。(2年女子)
(言葉遣いに注意.それから「ヒンドゥー語」というものはありません.音が近いものには「ヒンディー語」がありますので,多分それと混同されたのでしょう.ちなみに,玄奘が修得していたのはサンスクリット語(インドの基準語,標準語,雅語)です.
中国において仏教はエリート主体に伝播されていきました.玄奘も間違いなく宗教エリートでした.もっとも,彼の語学力は卓越していましたが.)
- 仏教がなぜインドを離れて流れていってしまったのか、蓮華の例えでよくわかりました。俗があるから聖があり、聖があるから俗がある。その二つの存在を肯定し、その中で闘いながら生きていくのが大乗仏教における人間のあるべき姿なのだなと思いました。(2年女子)
(うん,うん (^^) )
- インドでは思想ではなく行動によって、社会の一員と認められるのにカースト制の中に生まれなければ一員になれないということが少し理解しにくかったです。(2年女子)
(カースト制度とは,カースト毎に設定された様々な義務を遂行していく行動体系・行動原理に基づくものだからです.まだ分からなければ遠慮なく質問にいらっしゃい.)
- 蓮華と根無し草の説明では聖と俗の関係が良くわかりました。私は根無し草はいつしか蓮華になるものではないかと思います。実際的にはありえないのですが、波に乗って流された根無し草はあちこちに散らばった後に根を下ろしはじめ、それは蓮華の根のように太くしっかりしたものとなると考えています。さまざまな土地を転々としてきたからこそその華と根は強く、その土地土地に良い意味で染まっていくのでしょう。根無し草は北伝仏教そのもののような気がします。(2年女子)
(おお,グレイトな感想だ (^o^) )
- 仏教はカースト制度を否定しているのにインドの人は仏教を受け入れられたのですか?受け入れられなかったから、仏教がインドの外にいったのですか?(2年女子)
(仏教はカースト制度を理念的には否定しても,社会的には否定も肯定もしていません.インドでは,出世間集団である仏教徒は,社会制度(世間の制度,世俗の制度)には実際レベルでは関われないのです.)
- (1) インド大乗仏教の目指した社会運動的側面というのをもう少し詳しく説明してもらえるとありがたいです。 (2) それと、各地に流れた仏教がそれぞれの地で根付いたのは、その土台となるものがあったからだと言われましたが、詳しくはどのような土台があったのでしょうか? (2年女子)
( (1) 「全てが菩薩として歩む」ならば,どうしても個人レベルでは止まれず社会改革運動に向かいます.大乗仏教は,文面からはその方向性が窺えますが,実際の行動とはなりませんでした.
(2) アニミズム,祖霊信仰,儒教・道教など様々です.)
- 俗を捨てた在家信者は、カースト社会においての位置は、所属していないと考えて良いのでしょうか。(4年男子)
(下線部:論理矛盾です.「俗を捨てた在家者」という概念はありません.「俗に留まっている者を在家者と呼ぶ」からです.)
- 在家者と出家者の関わりがよく分かりました。俗なる物を捨てるのがインドにおける出家で、出家したら俗なるものにはノータッチになり、また、生産・経済活動にも従事しない。そして出家者を福田と考える在家者が経済面で支えるということよいのですね。(2年女子)
(ご名答 :-) )
- 先週は聖と俗の意味がぴんとこなかったけど分かった気がします。聖が思想で俗が行動ということですか?(2年女子)
(そうではありません.「日常的行為」が俗に属します.)
- 今日、改めて思ったのですが、よくカースト制を批判しますが、私たちがカースト制を批判することはつまり、国や社会、人々の生産活動や経済活動など、インドの人々の生活を全否定してしまうことになるので、軽々しく外者が何も知らずにカースト制を批判することは、してはいけないことだと思いました。
仏教が、日本に入り鎌倉時代になってエリートの物から一般民衆にも広まってきて、インドで目指していたことが達成されたようですが、それは時が流れ、仏教が広まるにつれて積まれる経験などから達成されてきたのでしょうか、それとも、日本の文化や社会など、日本独特のものと仏教が結びついた結果なのでしょうか。(2年女子)
(カーストはインド文化そのものです.
ご質問の件,両方だと思います.たしかに日本独特の土壌があったことは事実ですが,そこで根を下ろし花開くべく,仏教が着々と育ってきていた,という側面もあるからです.)
- インドで仏教は生まれたのに、今のインドには仏教徒の存在が少なく、仏教勢力が衰えたのはなぜだろうとずっと不思議だったが、今回の講義を聞いてなるほどと思った。日本で根付いた社会運動としての仏教は聖と俗の境がうまくいったから成功したのかなと思った。しかし、今の日本の仏教は葬式仏教といわれるように俗の部分が多く、聖なる部分はあまり意識されないていないように感じる。(2年女子)
(「葬式仏教」の抱える課題も,講義で扱う予定です.)
- 出家者と在家者の境にある程度一線引かなければならない。しかし、関与していかないとエリート仏教になってしまう・・・。大乗仏教が理想とした、ヒンドゥー社会に属しながら染まらず花を咲かせること、つまりヒンドゥー社会との共存ができたなら、どうなっていたんだろうと思います。もしかしたら、何かが犠牲になっていたかもしれないし、上手く機能したかもしれません。しかしはっきりと言えるのは、根無し草である花が、世界へ出ていき、しっかりと根を張れたのは、その花自体が何より強く美しく魅力的だったからだと思います。 (2年女子)
(素晴らしい花ならばこそ,「世界に一つだけ」じゃなくて,たくさん咲いて欲しいです.)
- (1) 今まで私がラマ教と呼んでいたものはチベット仏教、ということであっているでしょうか? (2) チベット仏教は大乗仏教、大乗仏教は「俗」を認める。俗の中に生きる人にも、処方箋を出そうということで、お手軽なマニグルマが誕生したのでしょうか?(2年女子)
((1) はい,あっています.「ラマ教」などと呼ばないようにしましょう.この呼び名は,チベット仏教が仏教の一形態(=一処方箋)であることが分からなかった時代の残滓です.
(2) そう考えて結構です.)
- 出家することが一種の通過儀礼になっているということに驚きました。一度出家したらもう俗世界(カーストの社会)には戻れないのですか?(2年女子)
(還俗はいつでもできます.)
- 最初は仏教について、ぼんやりとした印象しか持っていませんでした。でも授業を受けているうちに、誰の中にも根付いている、人間にとって大切なものを説いてくれる宗教だと思いました。全く押し付けがましい感じがしないので、宗教という意識はないのですが。(2年女子)
(「何をもって宗教と考えるか」にもよりますが,間違いなく仏教は宗教ですよ.)
- 正直どんどん混乱してきました。聖と俗の区別はつきます。しかし、インド仏教は、大乗仏教しようにも限界があってできない。という部分がよく分かりませんでした。インド社会が、もともとカースト社会だからでしょうか??(2年女子)
(そうです.質問にいらっしゃい.)
- インド社会と小乗仏教との接点などはあるのですか?(2年女子)
(在家者と通じて接しています.)
- 根なし草の例えで、強い波が来れば花(仏教)は落ちてしまい、そしてそれは別の地で根付き始めたという考えがとても分かりやすかったです。根づくために各地で葬儀などをしたと知り、その方法はその地の人の心を最もつかんだ行いだったのではないかと感じました。(2年女子)
(自分の信じている宗教が,自分の死んだときに面倒を見てくれないというのはとても寂しいもののはずです.)
- 皆さんの感想を見ながら思ったのですが、仏教文化の講義が進むほど仏教が好きになる、もしくは宗教に対するイメージが変わったとよく見ます。 自分もそのうちの一人でありますが、自分を振り返ることが出来ます。自己相対化が出来るように思います。生活の中に生きる大乗仏教ですが、すべては日常のなかにあるということだと思います。人々はどんなに崇高な教義であっても自分とリンクしなければまるで意味をなさないのです。人は生きるのに何かを犠牲にして生きているという事実を無視して本当にりんごを食べる、等身大の自分を見ることは出来ません。大乗仏教がブッダを目指す釈尊とリンクしてきました。今まで大乗仏教に対してどうもいいイメージはありませんでした。念仏を唱えて、楽して極楽浄土を願う宗教みたいに思い描いていました。しかし大乗仏教の業績はだれもが同じフィールドに立っていること、だれでもブッダを目指せること、それだけでも人々は安心と勇気が持てるのだと思います。(2年女子)
(大乗仏教は,画に描いた餅ではない,ホンモノの処方箋を提供してくれます.)
- 今日の授業で、聖と俗は光と影のように二つで一つなのだと更に強く感じました。修行や瞑想といった「聖」の部分を行なう為には、経済活動や社会的義務といった「俗」の部分も必ず必要であり、もし「俗」を悪しきものだという人がいれば、それは間違っていると思います。社会からのはみ出し者である出家者が生きていける道があるというのは本当に豊かな国でなければできないことだと思うので、当時のインド社会の豊かさが伝わってきました。
残念ながらインドでは仏教が根付きませんでしたが、東へ向かった仏教がこれからどのように変化していくのかが楽しみです。 (2年女子)
(楽しみにしていてください :-) )
- インドにはカースト社会という文化の基盤があるから、生れによる人の差別を否定する仏教的思想がそこに根付けないということが分かりました。聖は俗にはなれないが、俗も含めたその文化の中に根ざし、俗なるものと共にあって欲しいと思います。「カースト社会の中で俗に関与すると、出家者はそういうカーストとして見なされてしまう」という文化の中では、仏教は聖・俗を併せ持った宗教として存在できないのだなと思いました。
アラカンに達した人の写真を今回見せてもらいました。その彫りの深い、威厳のありそうな顔を見ると、五十年修行したということや、人々の尊敬を集めていることにも納得でした。しかし、一方では、この人やその修行の中にばかり仏教の真髄はあるわけではないとも感じます(もちろんそこにはないという意味ではありません)。サンスカーラによる苦しみ、それからの開放を目指すこと。こうした仏教の考えは、この世界にいる全ての人々、そこにある生活そのものに向かう教えであると思います。こうした認識差は、小乗(上座部)と大乗の在り方を象徴するものの一つであると考えます。(2年男子)
(「処方箋は人ごとに変わって構わない」,この仏教の基本的考え方は,大乗仏教にしっかりと受け継がれているのです.)
- 聖と俗のお話で、大乗はすべての俗に関わることはないとうかがいました。
確かに、すべての俗に関わってしまうと、俗の集合と聖の集合がイコールになってしまいます。そうなると聖と俗が完全に一体化したものが、果たして宗教としての意味合いを持つのかという点で疑問が残ります。聖と俗が完全に一体となると、意識的にサンスカーラを排し、自灯明を目指すこともなくなるのではないでしょうか。言い方を変えると、日常それすなわち聖なのだから、いちいち聖のことなど考えずとも大丈夫だろう、という意識を持ってしまうことになるような気がします。
逆に小乗のように聖と俗を切り離しすぎると、それはそれでブッダの行動(梵天勧請以後の説法)とも逆の道をひた走ることになっているように思えます。そういった意味でも大乗の俗と聖の扱いは丁度良いかかわり方をしているのではないでしょうか。
社会制度(カースト社会)を否定するのではなく、無視するというのも、彼岸にたどり着く方法の一切を否定しない仏教らしさが実によく表れています。もし大乗仏教が社会体制を否定していたなら、他国に伝わった際に、支配者からのひどい弾圧を受けることになっていたでしょう。社会体制を否定することなく、自分のスタイルを貫いたことは、仏教が今日まで生き残っているひとつの要因だと思いました。(2年男子)
(「それぞれに合った処方箋」,それはまさに大乗仏教に体現されています.)
- 今回の講義では、インド社会と仏教の関連性ということが一番印象に残りました。
インド社会はカースト社会である。つまり、インドにおいては「カーストになる」ということばはありません。「カーストに生まれる」と言うべきなのだということが分かりました。逆に言えば、私はインドに生まれていないのでヒンドゥーにはなれません。カースト社会に所属していないのだから当然です。出家とは、このようなカースト社会を出ることを意味します。小乗仏教は聖なるものと俗なるものを切り離してしまいました。「生まれによって浄・不浄の観念に基づいて職業が決まる」というカーストを認めるわけにはいかなかったからです。しかし、出家者は在家者に支えられて初めて成立します。ジレンマもあったでしょう。エリートだけではない。一般の人々(在家者)にも有効な処方箋を出したい。大乗仏教は人々の要請にもきちんと答え、俗なる部分にも関与するようになります。「皆でブッダを目指す」という仏教本来の教え(原点)に戻ることが出来たわけですが、聖が俗へと落ち込むという問題も生まれます。
講義では、泥の中に埋まる蓮華というたとえで分かりやすく説明していただきました。つまり、インドの基本構造はカースト社会ですから、その上(泥の上)に仏教(蓮華)を根付かせようとすると、どうしても俗へと落ちてしまう(泥に埋まってしまう)のです。これが、インド社会の限界であったのだ、ということが分かりました。インドにおいては、このような理由から仏教は「根無し草」にならざるを得ませんでした。強い波(イスラームの流入)が来ると、元々根がありませんから吹き飛んでしまいます。しかしながら、カーストの構造を持っていない別の地域においては、逆に根付き、そして花開くことになります。南伝、北伝、チベット仏教という3つのルートを通して仏教は広まります。各地域ごとに理想のブッダ像が変化していったり、ストゥーパも地域ごとの特色や文化の影響が見られたりと、映像を観ていてとても興味深かったです。気候や風土も影響しているのだと改めて実感しました。
アフガニスタンの問題についても考えました。バーミヤン(バーミヤーン)遺跡の破壊については私も残念なのですが、現在修復作業も行われているそうです。調べてみると、「2001年3月遺跡の大半がテロによって破壊されるが、2003年7月ユネスコの世界遺産に登録されることとなる。」ということが分かりました。歴史的に見ても非常に重要な遺跡ですし、アフガニスタン復興のためにも修復作業は大切になってくると思います。遺跡の発掘、そして保存というのはまさに平和の象徴であると思います。現在の状況を見ていると心が暗くなりますが、だからこそ仏教を学びしっかりと生きていくべきであると思います。日本も、この修復、保存作業に積極的に関与しているそうです。その日本における仏教の社会運動的側面(特に鎌倉期以降)についても大変興味があります。 (2年男子)
(興味を持って学んでいってください :-) )
【総評】インドでは,蓮華たらんと欲しても仏教は蓮華になりきれませんでした.その仏教がシルクロードに乗って,ついに日本に辿り着きます.次回以降の展開を乞うご期待! (鈴木隆泰)
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