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oral を基調としたテクスト伝承が,あるきっかけを経て literal な伝承と併存することとなりました.これによって,それまでの集団によるシステマチックな伝承を離れ,個人の思想を文字で残すことが可能となりました.
- テキストが人の内側のみにあり、その人に付随していたoral traditionの時代から、アショーカの時代には文字にすることによってそういったものが記憶の中から外にでてくるようになり、個人の思想が残せるようになった。個人の思想を残せる、ということは新しい処方箋がやっとだせる、と先生は授業中に仰っていたのですが、個人の思想を残せるようになり、新しい処方箋がやっとだせるようになった、という部分が分かりませんでした。説明していただけないでしょうか。(2年女子)
(今までは,宗教エリート(=サンガを構成する出家者たち)向きの処方箋のみが,仏教公認の処方箋でした.しかもその伝承の大枠は早いうちに固定化されていたため,サンガの中においてさえ適用できない場合もありました.授業中に「江戸時代の処方箋」と譬喩したとおりです.そのような状況下で,「在家者向きの処方箋も出さなくてはならない.出家者向きの処方箋であっても,もっと別なものがあっていい」という出家者がいたとしても,記憶に頼る oral な伝承しかない場合,処方箋を伝え,残すためには,その記憶をきちんと管理するためのシステム,集団が必要となります.literal な伝承が登場してはじめて,集団の力を必要とせずに処方箋を残すことができるようになったのです.)
- アショーカ王によって、oral に加えて literal な伝承へ移行するきっかけが与えられた
oral から literal に変わったということを聞いて、「大きな変化は外からもたらされるのが多いのだな」と思いました。内にいると、「これは駄目」というのが自然に頭の中にインプットされ、思いつかない事も外にいると不思議と簡単に気付くことができます。 「ことば・記憶となってブッダは永遠の命を持つ」という話で、今までブッダを知らなかった人に、ブッダについて説明すると、その人はその話を聞いてサンスカーラによってブッダを作り上げる、と言われました。こうなると、シッダールタという人物ではなく、その人が考える理想のブッダになってしまいますね。 (2年女子)
(サンスカーラによる自己形成・世界構築,という点から考えれば,今,あなたの目の前にいる人物すら,その人そのものではなく,サンスカーラを通して把握した人,つまり「あなたが作ったその人」です.この点については繰り返し説明していますので,よく理解してください.)
- 今日の授業はブッダの教えを存続させるために固定化されてしまった仏教が、その固定していた殻を破っていくまでのドラマを見ているようで楽しかったです。文字にするとより固定されてしまうような感じがしますが、文字にすることによってブッダの教えは教えとして残ることができ、それ以外の処方箋と言えるものを排除する必要がなくなったから、「人の外側」に出て行くことが出来るようになったとは・・・。個人的にはアショーカ王に興味があります。今日の講義だと、少ししか出ていませんが、なんとなく名君のようなイメージが湧きました。果たして本当のところはどうなのでしょうか。(2年女子)
(評価はいろいろでしょうが,やはり名君と呼んでいいと私は思っています.)
- (1) タブーが破られたことは良かったのでしょうか、良くないことであったのでしょうか。かつてのように、人それぞれにあった処方箋が出せるということなので、やはり、良いことだったのでしょうか。
(2) あと、文字になることで、新しい処方箋が出せるようになるのは、なぜでしょうか。外に出て来たからということでしょうか。 (2年女子)
((1) よいことでした.
(2) 上の方でも書きましたが,集団に頼らずにテクストが残せるようになったのです.)
- 仏陀つまり法を伝承していくのは僧なのだ、その三つがそろわないと仏教はない。なぜならば仏陀にいる世界を作っていくのは人だからである。」なんだかこの仏法僧の三宝の関係を今日の授業ではっきりわかったようで、すごく充実しています。今まで漠然としかわかっていなかったからなのでしょうか…いいえ!きっと私はよりわかる世界に住み替わることが出来たのですね。こうして仏教文化を二度出てさらに考えが深まるということは、確認できる場所、布薩に参加しているようで、意味のあるものですね。(3年女子)
( (^^) )
- 口伝の仕方やそのときの様子は書物に残されていたのでしょうか?(2年女子)
(Veda の伝承に関しては,テクストが oral, literal 併存になった段階で書物(ただし写本)に残されました.)
- アショーカ王がタブーを破ったことにはおどろきました。王だからみな何もいえない状況だったようですが、皆それに、すぐに順応できたのだろうかと思いました。しかし、タブーを破りはしたものの、それが「殺生はいけない」というブッダの教えに感銘してそうなったので、他の人もあまりひどく反論する気にならなかったかもしれません。ただ後世の私達にとっては、この時教えが文字化されたおかげで、ブッダの処方箋を正しく知れるので、王が間違えてよかったといえるかもしれません。 (3年女子)
(アショーカ王のタブー破りは,仏教にとって大きな飛躍をもたらすきっかけとなりました.)
- 日本でお仏壇に食べ物や花を供えたり、お線香を焚くことはインドの人々がストゥーパに食べ物や花を供えることと同じ考えからきているのでしょうか?(2年女子)
(そうです.プージャー(供養)と呼ばれる儀礼で,インドから伝わったものです.)
- 聖典の伝承のあまりの徹底ぶりに驚きました。書写伝承なしに完璧に伝わっていったのはすごいです。「認識によって世界が生まれる」ということを今日の授業でもやりましたが、この考え方はこの授業を受けてきた中で1番印象に残っています。今までの考えが180度変わりました。他の誰かがつくった世界にポツンといるだけの自分では、自分の存在が小さすぎて押しつぶされそうになってしまいます。しかし、自分の認識が世界そのものなのだとしたら、自分次第でその世界を大きくしていくことができるし、無限の可能性を感じることができます。(2年女子)
( (^^) )
- 人間が不浄である説明が解りませんでした。 (M2男子)
(輪廻・カーストを前提とした,インド古来の人間観に基づいています.アジア文化論I で扱っています.)
- どんな思想をもっているかよりも行為のほうが大事という考え方。たしかに日本にはあまり見られない考え方です。そういう考え方もいいなあと思いました。また、記憶のなかで生き続ける永遠のブッダのお話を聞いて、自分のなかで“生きる”という言葉の意味が広がりました。いままで心臓が動いていることが生きていることの証だと考えていました。でもそうじゃないと思うようになりました。“生きる”という言葉の定義は難しいと思いました。(2年女子)
(「何をもって生きるとするか」は形而上的問題です.)
- アショーカ王が法を文字にしたことは本来だったらタブーなはずなのにそれが逆によい方向へ転がったということですか?結局はタブーを破ってしまったことがよかったといえるのでしょうか?(2年女子)
(タブーを破ることによる文化の新たな展開は,世界中で見られる現象です.もちろん,タブーを破ること=よいこと,とは限りませんよ.為念.)
- 仏・法・僧が仏教成立の必須条件だということがよくわかりました。また、信者は出家信者だけでも在家信者だけでもダメだということもわかりました。また、聖典が人間の記憶の中にあるものということに驚きました。どうも私たちはまとめる・記録する・後世に残すと聞くと、視覚的記録物を創造してしまう傾向があるので、それもまた「聖典を書物とみなす」サンスカーラを発動させているのだなと気付き、この世の中はサンスカーラで溢れているのだなと改めて思いました。(2年女子)
(より正確に言うならば,サンスカーラに溢れているのはあなた自信です.もちろん,ブッダ以外の全ての者がそうなのですが.)
- なぜ、聖典を文字にすることがタブーだったのですか?なにか理由があったのですか?(2年女子)
(タブーは,明確に区別しておくべき領域や範疇を混交したり不当に近づけたりする行為に適用されることがあります.聖者の声は声のかたちのままであるべきだ,という文化においては,聖典の文字化がタブーとされることは自然でしょう.)
- あるものの存在を知ったら自分がその世界に置き換わるという説明だったが、自分の持っている世界にそれが飛び込んできて、自分の持つ世界が膨らんだという発想はないのだろうかと思った。(2年女子)
(それだと,いつまでも「自分の世界」と「他者の世界」は呼応できないのではありませんか? )
- 「認識によって、世界は生じる」というのは、この世の真理だと思いました。それと、偶像崇拝を禁止している宗教があったのは知っていましたが、文字にしてもいけないというのは驚きでした。(2年女子)
(誤解しないようにお願いしたいのですが,ユダヤ教やイスラーム教の偶像崇拝は,タブーではなく神の命令です.一方,インドにおける聖者の造像禁止や文字化の禁止は,あくまでタブーのレベルです.また,偶像崇拝が全てタブー視されていたのではなく,あくまで聖者造に限定されていました.ヤクシャ等の半神像はたくさん造られていました.)
- 福田という話が印象深かったです。布施を払うことにより福が生まれるということだったのですが、賽銭と同じ考え方なのかなと思いました。賽銭は賽銭箱に賽銭を投げ入れるときになる音で神様が目を覚まし、鐘の音で神様が地上に降りてきて願いをかなえてくれるということですが、お金(布施・賽銭)により何か(福や願い)を得られるという考えは昔と今も変わっていないと思いました。(2年女子)
(同じところと違うところがあります.同じところは,どちらも見返りを求めて布施をするところです.違うところは,福田による見返りが「死んだ後のよい生まれ変わり」であるのに対し,お賽銭の見返りはすぐにもたらされる(と信じられている)ところです.)
- 今日の授業で一番驚いたことは、布薩にさえ出席していればその出家者がどのような思想を持っていても構わないということでした。宗教というものにとって思想とは大きな意味を持つものであると思っていたのですが、思想よりも行為のほうが大きな意味を持つとは意外でした。(2年女子)
(インドは「思想より行動」の国です.)
- 人間の認識によって世界が生まれ、人々は仏陀のいる世界、仏陀を認知する世界へ住みかわることができるので、ことば・記憶となった仏陀には永遠の命があるということにとても納得した。ストゥーパが仏陀そのものであるということを初めて知った。それから聖典と言われるとすぐに本のようなものを今までは想像していたが記憶の中にあるものだということを聞いて目から鱗が落ちた。(2年女子)
( (^^) その鱗こそサンスカーラなのです.)
- ストゥーパはたくさんあるとおっしゃっていたと思いますが、その全てにブッダの遺骨が納められているのですか?(2年女子)
(より正確に言えば, dhaatustuupa には釈尊の遺骨が納められていますが,他にも衣や頭髪を納めた stuupa も存在します.また,「ことば=ブッダ」という仏教に一般の理解に基づき,時代が下って大乗の時代になると,経典が納められている場所が stuupa になったり,経典を受持し読誦する人そのものが stuupa と見なされるようになりました.)
- 講義を聞いていると、(多少荒い表現ですが)仏教を「やっぱり宗教なんだ」と感じるときと、その逆に「宗教っぽくない」と感じるときがあります。(まずこの「宗教」という括りがひどく曖昧なのですが、そんなに深い意味だ取らないでいただけると幸いです。)先週などは前者のように感じましたし、今回の講義は後者でした。あくまで僕の中で、ですが。なんだか不思議です。(2年女子)
(その感覚,私にもわかります.仏教は間違いなく宗教です.)
- 自身の認識によって世界が生まれる、という考えができたら人は悩んだり苦しい思いをする必要はないのではないか。しかし、これに向けて人々がみな歩んでいったらみんなが自己中心的になって、まとまりがなくなるのではないか、と思った。(2年女子)
(サンスカーラの勝手な発動を放置しておくと,自己中心的な世界・偏執的自己愛に満ちた自分自身を作り上げてしまい,その結果,人はそのように「作られた自己」によって縛られていってしまいます.しかし,仏教の教えに共感し,その道を歩んでいくのも,サンスカーラを発動しているその人自身に他なりません。しかもサンスカーラの完全な制御はブッダ以外にはできないものである以上,ブッダならざる者はサンスカーラと共生していく道を選ばざるを得ないのです.「世界の中心にいる」という感覚も,自己中心的な世界を構築するのではなく,主体的に世界に向かい合うことで疎外感を解消し,他者との共感性を高めていくという意味で捉えるための処方箋であることをよく理解してください.)
- 入滅したが、ことばや記憶となって永遠の命となった仏陀というのはわかるのですが、ストゥーパとなって再構成され永遠の命を得るということがわかりにくかったです。もう一度説明していただけませんか?(2年女子)
(ストゥーパは生きているブッダそのものだからです.遺骨 dhaatu はブッダのエッセンスであり,それを納めた stuupa はブッダの本質を納めるものとして,生きているブッダを再構成できるのです.)
- 今回の授業を受けて、本当によく口伝だけで曲がることなく伝わったなと感じました。それにはサンガの努力が本当に重要だったのだと聞いて私にはあまり想像できないなと思いました。今回の授業は分かりやすく仏、法、僧の関係がよく分かりました。どれが欠けても成り立たない仕組みになっていたことがよく理解できました。(2年女子)
(よし,よし :-) )
- 「布薩に出席している限り、出家者個人がどのような思想を持っても構わない」という考え方がとても印象的でした。この考え方は、仏教と他宗教の大きな相違点であると思います。1ヵ月に6回の布薩を行うということですが、この「6回」という回数はどのようにして決められたのでしょうか。(4年男子)
(当初は半月に一回だったのが,在家者を巻き込むことで月に六回行われるようになりました.日本でいう「縁日」に近いものかと思われます.なぜ「六回」なのかについては,私もわかりません.回数に興味がありますか? )
- 言葉にするということは固定化してしまうことに繋がるのではないのかと思います。教えは人によってそれぞれなのだから、絶対だというものはありません。言葉にすることにより固定化され、それが絶対視されてしまう傾向が出てくるのではないのかと私は感じました。 (2年女子)
(もともと処方箋はことばなのですよ? お分かりですか? 体験をことばに投影することが方便の本質です.)
- 化野念仏寺の写真を見ると、まだ行ってから間もないのにいろんなことを思い出します。その中でも思い出すのは日本風のストゥーパを囲むようにして並んでいたたくさんの小さな地蔵(?)です。中には欠けたり、頭がなかったりするものもありました。あの地蔵は年月をかけて少しずつ今の状態(数)になったのでしょうね。それにしてもすごい数ですね。あれは遺族の方々によってできたものなのでしょうか?もしそうであるなら、ストゥーパを囲むようにしてあったから、浄化を促すためにあのように囲んであったのでしょうか?ストゥーパは福田としてだけではなく、他にも意味がありそうな気がしました。私の考えとしては今言った「浄化を促すもの」なんですけど。でもそれも福田につながっているような気がしてきました。この辺があやふやになっています。何にしても安心に向かわせるものとして存在していることに変わりはないですよね。最終的にはこのように思うのですが、どうなのでしょうか?(3年女子)
(ストゥーパは生きたブッダそのものですよね.ですから福田として機能するわけですが,同時に,「自分はいつでもブッダの側にいたい」と思う篤信家にとっては,ストゥーパの側にお墓を立てたいと思うのは極めて自然なことだったのです.インドでも同じことが起きています.)
- 最近ちょっと自分の理解不足な感じがします。サンスカーラが理解できた辺りからですが。「認識によって世界が生まれる」だけどそれはサンスカーラなのか、と考えるととても複雑になってきます。(2年女子)
(そうではありません.認識される世界を構築する作用,より正確に言えば,そういう世界を認識する自分を形成する作用がサンスカーラです.)
- 永遠のブッダの理由の一つである、「ことば・記憶となったブッダ」のところで、「私たちは福沢諭吉を知っているけどあったことはない。でも、覚えている限りその人の存在は消えない!」というのはとても分かりやすい例でした。ブッダも同様に、言葉とともに蘇っていったのですね。また、アショーカ王がタブーを破り書写伝承したそうですが、その当時では、これはかなりすごい偉業をなしたのではないでしょうか。でも、それまで誰もタブーを破ろうとしなかったなんて・・・。まあ、なかなか破ることができないからタブーなんでしょうけど。アショーカ王はすごい人ですね。(2年女子)
(「やっちゃった」人ですからね :-) )
- 日本では、異なる思想や見解を持った人間同士が互いを容認するという発想はないであろう。しかし、インド社会においては、頭で考えるよりも実際の行為を重要視する文化が根付いているため、布薩に出席している限り、出家者個人がどのような思想を持っていても構わないという考え方が生まれたのであると理解できた。このようなものの捉え方が、ことば・記憶と共にブッダは永遠に生き続け、記憶の中にあるブッダをことばによって蘇らせるという考え方を生んだのであると実感した。サンスカーラによってブッダを認知する自分を作り上げ、ブッダなき世界にブッダを生むのであると学んだ。(2年男子)
(それを「プラス方向のサンスカーラの発動」と呼びます.)
- 仏陀が言葉・記憶として、あるいは後世の信者によってストゥーパとして存在しつづけること、その言葉・記憶が法となり、僧の記憶の中に残っていく。僧の記憶の中で、法として仏陀は生き続ける。「仏・法・僧」の関係を整理するとこんな感じでしょうか。
布薩によってこの関係が維持され続ける限り、少なくともマハーカッサパ以降の教えは守られたのではないかと思います。これに対し、一般仏教徒は、ストゥーパや僧に布施をすることで自分たちも救いを得ていたという話だったかと理解しています。これは仏教的というより、古来よりのインド文化によるものということですが、この考えは仏教の考えにうまく合っていたものなのでしょうか。自灯明ということを考えると、それを妨げているように見えなくもないのですが、カッサパの結集が「自灯明を忘れさせてしまった」ということと関係はあるでしょうか。大乗仏教を生むきっかけがタブーの違反であるとは大変驚きですが、今後の仏教の流れがますます興味深くなりました。(2年男子)
(出世間性のみが仏教の本義とは言えませんが,福田思想に出世間性が見えにくいのは事実です.)
- 形あるもの、必ず「死」が訪れます。今まで私の考えていた「死」というものは、イコール「消滅」であり、その人との思い出や発した言葉は全く別の場所で存在していました。しかし本当の死というものは、肉体の消滅プラスその人に関する記憶の消滅のこtであり、いくら肉体が消滅しても自分の記憶の中でその人を思い描く事ができれば命は続いているのだと学び、今まで抱いていた「死」のイメージが変わりました。たとえ今私の肉体が消滅しても、私の事を想ってくれる家族や友人、先生がいる限り私は生き続けることができます。私を知る人々に肉体の消滅の時期が訪れ、私を知る人が居なくなった時、本当の死が訪れます。人生80年!などと言われますが、実際の死は2倍も3倍も先の事だと思いました。ブッダ
ブッタを永遠にしようとサンガを構成し布薩を開いたり、ストゥーパを建てたりする人々の姿勢から、彼が与えた影響がいかに大きいかを実感することができました。 しかし、もし私が当時の人間だったら、アショーカ王が文字伝承を始めた時、新しい処方箋が出せるようになったり、個人を離れて思想・教え・法が存在できるなど利点はあったが、その処方箋や思想がブッダブッタの元を離れ、一人歩きし、ブッダブッタ自身が忘れられてしまうことは無いかと心配になると思います。(2年女子)
(「ブッタ」でなくて「ブッダ」です.
ブッダは記憶や文字をことばとして発することによって蘇ります.ブッダが真理をことばにした瞬間から,ブッダの永遠性はことばの中に保証されているのです.人々が彼を永遠の存在にしようと意図したわけではありません.)
- 今回の講義では、聖典が文字にされることなく受け継がれていたことに驚きました。文字という文化が発達していながら聖典を記憶の中に残していたのは、聖典が常に頭の中にあることで、その教えを全て自分のものにしたい、理解したいという気持ちがあったのではないかと思いました。何かに記すと、常に聖典を頭の中においておく必要がなく、聖典のことを考える時間が減ってしまうのではないかと思ったからです。また、人々がブッダを認識する世界へ住み替わることで、ブッダが存在し続けるという考えに納得しました。今までドラマなどで「記憶の中で生き続ける」といった台詞があっても、何か嘘っぽい感じがしていたのですが、確かに記憶の中にいる人が過去に言った言葉や行動の影響を受けることがあるので、良い台詞だったのだなと思いました。最後に質問なのです。oralからliteralへの移行によって処方箋が固定されなくなったというようなことを仰られていたと思うのですが、なぜ法が文字にされると処方箋が固定されなくなるのでしょうか。法が、記憶の中にあるよりも確かなものになり、個人から離れていきていくということは分かるのですが、処方箋のことがよく分かりませんでした。(2年女子)
(質問の件:従来の処方箋はサンガという集団によって承認され固定されたものだけでした.記憶を媒介としていたため,集団の力を必要としたからです.しかし,処方箋が文字というかたちで残せることになったことで,従来の固定したものだけではなく,集団を離れて個人が新たに処方箋を出せるようになったのです.)
- 今回の講義で最も印象に残ったのは布薩のお話でした。布薩に参加しさえすれば、個人の思想を不問とするというのは、質ではなくシステムを重視した体系のように思え、大雑把なようにも見えますがここで考慮すべきはやはり釈尊の教えであることは言うまでもありません。仏教というものそれ自体が、要は行程は各々に任せ、自分に適した手段によって彼岸を目指すのですから、このことを考えれば、思想的に周囲と異なった者であってもシステムに組み込むことに問題はありません。こうしたおおらかさが仏教の特色であり、そのおかげで宗派を異にする仏教徒同士、もしくは異教徒との間で大きな争いが起こらない理由だと思います(無論、釈尊の教えを正しく解していればという条件は付きますが)。
対照的なのはやはりキリスト教ではないでしょうか。中世欧州において、異端派、魔女、悪魔崇拝といったものに対する排斥運動が盛んに行われました。また、排斥運動に限らずとも英国国教会、ロシア正教といった風に国ごとにある程度の宗派の固定がおこなわれており、思想の自由までは保障されていなかったといえます。聖書の原典に異端の排斥を推進する記述があったかどうか定かではありませんが、仏教徒の行動とキリスト教徒の行動を歴史的に比較すると最も顕著に違いが現れるのがここだと思います。(2年男子)
(聖書は唯一絶対の神の命令を記述した書ですから,恣意的な読みは(原則として)許されません.それ故,異端に対しては非常に厳しい態度を取ります.でも,もちろん様々な分派は起きたわけですが.)
- 今回の講義では、記憶と記録について考えました。前回の講義で、私もマハーカッサパが釈尊の教えを「固定」した、と聞いて書籍の形に編集したのだろうと(サンスカーラを発動させて)思ってしまっていました。しかし、実際はそうではなかったことが分かりました。インドにおいて、聖典や聖者に関するタブーはたくさんあります。例えば、聖典を文字にしない、聖者の像を造らない、などなどです。これは禁止事項とは少し違います。むしろ伝統や慣習に近いのです。月六回の布薩(記憶確認式)に参加することはサンガ構成員の絶対義務です。この作業を通して教えは確実に伝わります。彼らは徹底した教育を受けています。「口伝では教えがどんどん変わってしまう」と思われがちですが、そうではないことが分かりました。逆に、文字の形に残していればそれが確実に伝わるかどうか。例えば、平安時代に書かれた『土佐日記』を考えてみたいと思います。『土佐日記』は時代を越えて現在でも読まれています。それは文字の形で記録されているからであると言えます。では完全に伝わっているか。平安時代は現代とは違い、本は筆写することで伝わっていきました。現在残っている『土佐日記』は作者の自筆本ではなく、写本です。しかも、それぞれの写本の内容はバラバラです。もちろん、大筋では同じですが筆写される数が多くなればなるほど写本のバリエーションは増えていきます。写し間違いや自分で勝手に文章を変えたりすることで、元々の作品からどんどん離れていくのです。つまり、文字の形で残せば確実に伝わる。逆に口伝では正確には伝わらない。これは少し違うのではないか。むしろ、一番大切なのは「後世に伝えたい」、「知りたい」というそれぞれ(個人個人)の意思であると思います。その意味で、やはり主観の問題であると言えます。もちろん、『土佐日記』の写本に様々なバリエーションが生まれたのは『土佐日記』が正確に伝わらなくても良い作品だったわけではなく、逆に名作だからこそたくさん筆写されたのです。間違ってしまうのは人間として当然です。間違いが多い(つまりたくさんの写本がある)というのは名作の証しです。つまらない作品だったら、そもそも筆写してまで読みたいと誰も思わないに違いありません。恐らく、そういった過程において消えてしまった膨大な作品があるのだろうと思います。しかしながら、やはり文字の形で残す方が効率は良いのも確かです。加えて、より多くの教えを伝えることが出来ます。その意味ではアショーカ王が法を文字にしたことは画期的であったと思います。また、私たちが忘れない限りブッダも生き続ける、つまりブッダを忘れてはならない(殺してはならない)と思います。 (2年男子)
(インド仏教でも,ポピュラーな聖典ほど写本が多く,その分,批判校訂も難しくなります.
FF 9 のテーマが,記憶を紡ぎ続けることによる永遠の命,でした.
消えゆく運命でも 君が生きている限り次回,ご紹介する予定です.)
いのちはつづく 永遠に その力の限りどこまでも
わたしが死のうとも 君が生きている限り
いのちはつづく 永遠に その力の限りどこまでもつづく
(Melodies of Life ~ featured in FINAL FANTASY IX
作詞:シオミ/作曲:植松伸夫/編曲:浜口史郎
歌:白鳥英美子)
【総評】書写による伝承という新たなメディアを手に入れた仏教は,ついに処方箋の更新・再発行を開始します.大乗仏教の誕生です.(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp