1/14 授業の感想13号と回答
感想13号(総数 64)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
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男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
今回から鎌倉仏教に入りました.ついに仏教が「蓮華」になります.
- 日本の鎌倉時代の仏教は、民衆のために行なわれ、そもそもの目的を果たしていることに感心しました。私も今までは仏教といえばインドが主役と考えていたので、今回思い直しました。 (3年女子)
(仏教史の中で日本仏教が持つ意味は,とてつもなく大きいのです.)
- 法然が、専修念仏すればいい!!けれど、なぜ他の事をしてはいけないと規制したのですか?? (2年女子)
(「末法の世では厳しい修行を完成できる人間はいない」と考えたからです.)
- 浄土系の目指すものは浄土への往生(=死後に浄土へ生まれ変わること)であり、『死後の世界を肯定する』という考え方の中に、ちゃんとブッダの『リンゴを目 指す手助けになるサンスカーラなら認める』という柔軟なところが活かされていて、この鎌倉の頃ようやく本来の仏教の形(=蓮華)を取り始めたのだなと思いました。 (2年女子)
( (^^) )
- 仏教は日本において花開いたということを前々から先生が仰っていましたが、今日の授業を聞いて「日本人はマネが得意」という性質がある、と言われているの を思い出しました。しかし日本における仏教は単なるマネではなく、数々の天才たちによって土地や人々のニーズに合わせた変化を遂げています。仏教が蓮華になれた国、日本。そんな日本に生まれたことを少し誇らしく、嬉しく思いました。そのおかげで、生まれたときから仏教文化に触れながら生きてこられたのです から。 (2年女子)
(よしよし (^^) )
- 中高の歴史の授業ではただ「覚えていた」だけだったので何も面白みを感じなかった鎌倉仏教も、語句の意味や流れをしっかり理解しながら話を聞いていると面 白く感じるようになりました。その上鎌倉仏教は現代の仏教に深いつながりがあるようなので、(「つながり」と言うよりは、「そのまま」伝わっているので しょうか?)今の時代の仏教のあり方を理解する上でもとても大事なものだと思いました。 私は今まで念仏について間違った知識を持っていました。少しオーバーな表現かもしれませんが、念仏は仏教といった枠を超えて日本の「習慣」とでも言うよなものになっているのではないでしょうか。 (2年女子)
(他には題目(「南無妙法蓮華経」と唱えること」もありますよ.)
- 私は浄土真宗のお寺の人が運営する幼稚園に通っていたのですが、園歌が次のようなものでした。 のんのんののさま ありがとう ひかりのこびとよ でておいで あかるいみどりのかぜのなか あそぶぼくたちわたしたち これは一番だけなんですが、ここにでてくる「のんのんののさま」とは一体誰のことなんでしょうか。ご存知でしたら教えていただけませんか。 (2年女子)
(「ほとけさま」を指す幼児語です.「ののさま」「のんのさま」「のんのん」などいくつかのバリエーションがあります.)
- 仏教がはじめて蓮華となったのが日本だということに驚きました。インドでかなえられなかったことが遠くはなれた日本でかなえられたんだなあと少し感動しま した。 また日本仏教も現在に至るまでに様々な人が関わっていてそれぞれの考え方があったのだなあと思いました。思想や宗教は不変のものではなく人が変われば変 わっていくものなのだと思いました。 南無阿弥陀仏ですが今までずっと浄土へ往生するために唱えるものだと思っていて、もともと“仏を念じて瞑想してその瞑想のなかで仏と出会う”という難しい 修行法だったとは知りませんでした。またこのような難しい修行ではなく口称念仏でいいと言った法然は民衆教化を意識しているのだと思いました。 (2年女子)
(より正確に言えば,「末法における民衆教化を意識していた」のです.)
- ブッダというのは釈尊1人ではなかったんですね。阿弥陀仏というのもブッダの1人とは。−仏と付く人(?)はブッダなのですか。 (3年女子)
(そうです.「〜仏」「〜如来」がブッダに対する呼称です.「釈迦牟尼仏,釈迦如来」「阿弥陀仏,阿弥陀如来」「毘盧遮那仏」「薬師如来」「大日如来」など,たくさん存在しています.)
- 瞑想というのは私たちが目をつぶって想像することだと思っていました。オウム真理教は悪用こそしましたが瞑想が成功した例の一つということでしょうか?瞑想が一種の催眠術のように考えてしまいました。 (2年女子)
(「瞑想の成功=覚りへ至る手段」ですから,オウムでは瞑想は成功していません.)
- 次第に私たちにも馴染み深い(と考える、浄土真宗など)仏教の形が見えてきたと思いました。ここまで学んできて、今の私たちは宗教とは無縁な存在であると 思い込んでいたことが、その逆であるかもしれないと感じ始めました。つまり、私たちにとって、仏教というものが、日本という国の空気のような存在にまで なっているために「仏教」という存在に気づかないだけであって、それは無意識のうちに私たちの人生に不可欠のものになっているのではないかということで す。空気の様な存在=人々に浸透している。すみません、今は上手く言葉に表現できないのですが…レポートまでにはしっかりとまとめられるように頑張りま す。 (2年女子)
(健闘を祈ります :-) )
- 鎌倉新仏教があらわれて、浄土系・禅系・法華系にわかれた。しかし、どれも基は天台宗であった、ということをはじめて知った。私の家は、南無阿弥陀仏と唱 えるので浄土系である。念仏が、難しい観想からただ唱えるだけでいい口称の専修念仏になって人々は行いやすくなった。でも、ほんとにただ唱えるだけでいいのだろ うか。私は、小さいころお仏壇にまいることが面倒でなんの心入れもなく言っていただけだった。でも最近では盆や正月はしっかり唱えるようになった。この小 さいころの私と、今の私、成果というか効果というか見返りは同じなのだろうか。 (2年女子)
(下線部:「唱えるだけでいい」という法然の処方箋を受け入れるかどうかにかかっています.)
- 死後の世界というのが実在するのかしないのかは誰にもわからないことです が、あるというふうに考えてそれをいい方向に使うのなら悪いことではないという話でした。サンスカーラについてはなんだかマイナスなイメージしかありませ んでしたが、使い方によってはプラスにも働くものなのだと思いました。 (2年女子)
(サンスカーラには,プラス方向(リンゴに向う方向)のものと,マイナス方向(リンゴから遠ざかる方向)のものとの二種があるのです.)
- インドでは出来なかった蓮華であれという願いが鎌倉時代の日本で実現したのですごいと思った。鎌倉新仏教は仏教を蓮華にしていくという5人の天才達がおり、自分に合った処方箋を選び取り、当時の日本に合う様に加工したと知り、仏教は本当に奥が深く面白いと思った。 (2年女子)
(「各自にあった処方箋」が仏教の特質です.)
- 「西方に極楽がある」というのがありましたが、 死後の世界が西方であると言うのは何か意味があるのでしょうか。 (2年女子)
(西=太陽が沈む方向=死と関連,という発想があります.もっとも,ブッダの数だけ浄土があり,方角も西とは限りません.)
- 浄土思想の「浄土へ往生する」という考え方は、人々の心に一番伝わりやすいものではないかと思いました。人は誰でも、死んだらどうなるのだろうと考えてし まうことがあると思います。死後の世界はあるかないか誰にもわかりません。けれどそれならある方を信じた方が救われると思います。 (2年女子)
(「浄土がある世界に生きるのか,浄土がない世界に生きるのか」の選択なのです.)
- 私の家は浄土真宗ですが、講義であったような浄土思想を意識したことはありませんでした。祖父の葬儀の時に、六文銭を入れ、白装束を着せましたが、その時 は疑問に思っていましたが、仏の世界に行くための準備であったのかと思いました。このような理解でよろしいのでしょうか。 (2年女子)
(六文銭は三途の川の渡し賃です.)
- 高校のときに日本史をとっていたのですが、その時に鎌倉新仏教について習いました。その時に鎌倉新仏教のなかに一遍の時宗も入っていたような気がするのですが、今授業で扱っているものとは違うのでしょうか? (2年女子)
(一遍の時宗(時衆)は浄土系で,法然(浄土宗),親鸞(浄土真宗)の系列に置くことができます.ただし,思想の斬新さや現代における状況に鑑みて,皆さんに余計な負担をかけないように一遍の説明を省いたのです.)
- もともと誰でもブッダにはなれるんだ。というお言葉を聞いて私は自分に自信が無いところがあって落ち込んだりすることもあったけれど、前向きに私らしくい けばいんだと感じることができました。私らしくというのが、自分らしくという意味で皆にとっての処方箋なのではないかと感じました。でも時には明らかに人 から見てらしさを通り過ぎた行為は他人に害を及ぼすということではないかと思いました。でも先生が仰ったように、もともとそこにいるだけで空気を必要とす るし、存在するだけで万物万世にお世話になっているということを考えたならばお互い迷惑をかけあっている存在なんだ、だからこそそんなにマイナス思考に考 えずにプラス思考でいたほうが良いと思いました。 (3年女子)
(仏教は元来「ブッダになるために歩む道(=仏道)」なのです.)
- 民衆教化で葬式が出てくるのは、やっぱり苦しい生活をしてきた民衆は、せめて供養だけはきちんとしてあげたい、という気持ちも含まれていたのではないかと思いました。だから、きちんと祀れば善良に、祀らなければ悪霊にという考えも生まれたのだと思いました。 (2年女子)
(下線部:そうではありません.その考えは,鎌倉時代よりはるか以前よりある,日本人のエートスです.)
- 浄土系でいう「仏」が阿弥陀仏を指す、というところが不思議だなと思いました。何系であっても、仏教徒であるかぎり、「仏」といえば釈尊だと思っていたからです。 (2年女子)
(もっともな意見です.というより,他の受講生はこの点に関して疑問を持たなかったのでしょうか? 実は鎌倉時代にも,「ブッダ=阿弥陀仏」に真っ向から挑戦した祖師がいました.それが日蓮です.)
- 死んだ者をきちんと祀れば良い神になり守ってくれるが、粗末に扱うと生きているものに災いを起こす、という日本人のエートスと、その当時地獄絵図のような 生活を送り、人がどんどん死んでいき、死者を弔いたいという民衆の要求に仏教の葬式がちょうど取り入れられ、国家が今まで仏教を国のためだけに使っていた のが民衆に広まっていった。なかなかインドでは蓮華の花を咲かすことが出来なかった仏教が、遠く離れた日本でようやく民衆一人ひとりの生き様に関わってく る社会運動となり、世直し運動となって日本に根付いていった、と思うと不思議な気持ちでいっぱいになったと同時に、私たちがこのように仏教を学ぶことは大 きな意味を持っているのだと思った。 (2年女子)
(そのとおり (^^) )
- 鎌倉新仏教を学ぶにあたって、奈良仏教にはなかった多様性を見られた気がしました。様々な宗派が最澄の興した天台宗から生まれたということですが、様々な 方法で仏への道を示しうるという仏教の根本姿勢をよく示していると思い、その生みの親たる最澄という人物の功績を再認識しました。 専修念仏の考えは、仏教の知識がないままその説明を聞くと「仏教の堕落だ」と思ったかも知れませんが、民衆全てのために仏教が存在するということを考える と、大変大事な理念から生まれたものなのだなと知りました。 (2年男子)
(「念仏だけで救われる→仏教の堕落」と短絡的に考える人は,仏教の何たるかを分かっていないと言えます.)
- 平安時代から鎌倉時代に時代が移り変わっていくとき、貴族や天皇の政治から武士の政治に変わり、戦乱を伴いました。一般の民衆は時代の流れ、世の中の変化 に流され戦乱にも巻き込まれ、きっと大切なものを多く失ったでしょう。多くのものを失った人々の心を癒したり、心のよりどころとなったのが、宗教であり仏 教であったのだということが分かりました。数年前も経済が崩壊し人々の心が不安になったとき、新興宗教が流行った時期がありましたが、鎌倉新仏教は新興宗 教のように人々の弱い心に、つけこんだりせずに、法然のように情熱を持って民衆の生活や心に平安をもたらした点において、すばらしいことだと思いました。 こうした情熱が人々に伝わったからこそ、処方箋を限定してしまい迫害を受けたにもかかわらず、法然が支持されたのではないかと思いました。 (2年女子)
(処方箋の限定は,仏教の枠組みの中では非常に危険な行為です.鎌倉時代の祖師たちは,いわば「ギリギリの選択」をしていったのです.)
- 蓮華の達成を果たしたのが日本だったこと、そして鎌倉時代だったことに驚きました。
法然の念仏は日本の社会形態に適したすばらしい処方だったと思います。小乗仏教のように阿羅漢にとどまるのではなく、仏の世界たる浄土思想を広め阿弥陀仏を目指していたことも、ブッダを目指せという釈尊の遺言に則ったものです。
しかし、残念なのが専修念仏として念仏のみを認めるとしてしまったことです。これは釈尊の死後マハーカッサパが教えを確定し、自灯明を忘れてしまっていたことと同じ轍を踏んでいるのではないでしょうか。此岸から彼岸を目指す訳ですが、その際の方法は自己に適したものを選ぶというのが本来の形のはずです。そしてそれ故に法然はわかりやすい念仏を広めたのだと思います。しかしながら、それに固執するあまり本来の姿を忘れてしまったことが唯一失敗したことに思えます。 (2年男子)
(仏教の原則に徹するならば,専修念仏は法然固有の処方箋であって,万人の処方箋にはなりえないと言えるかも知れません.しかし,末法という「時代」に日本という「地域」に暮らす,自らは仏道修行をする力がない人々の代表であることを自覚したとき,鎌倉時代の祖師たちは,どうしても自分固有の処方箋を他にも教えざるを得なくなったのです.「処方箋を自分で選ぶ能力がない」人だっているのですから. マハーカッサパと彼らとのの違いは,マハーカッサパの仏教が「エリート限定の仏教」だったのに対し,鎌倉時代の祖師たちが開いた仏教は「善をなそうとしてもできない非エリート向けの仏教」だったと言えるでしょう.)
- 鎌倉新仏教は、天台宗の流れをそのまま引き継ぐというよりは、よい所を選び取った。同時に仏教は民衆的だというもともとの釈尊の教えを大切にし、また新たな処方箋を編み出した。仏教の社会運動や混乱からの救済は、当時の人々にとって、新たな仏教の始まりだったのではないかと思う。ここにきて、仏教本来の姿 が花開く。インドや中国では、仏教は社会運動にならず蓮華の花も咲かなかった。日本で大乗仏教の人々が夢見たこれらの事を実現できたのは、日本人のエートスや基本的な宗教観(素朴な自然崇拝)当時の僧達の努力の賜であり、決して偶然などではない。
法然、親鸞、栄西、道元、日蓮は時代(末法)にあった新しい処方箋を出してくれたが、現在はどうなのか気になった。現在も、混乱の時代である。現在の処 方箋を新たに出してくれる、新たな宗派というものは出来ているのだろうか・・・? (2年女子)
(いつの世にも「新しい宗教」は生まれています.また,長い歴史を持つ伝統的宗教にあっても,時代の推移とともに様相を変えてきます.「その時代,地域,人にあった処方箋」が仏教の生命線です.)
- 今回の講義では、鎌倉新仏教における民衆教化という点が一番印象に残りました。最澄や空海も民衆のために尽くしましたが、鎮護国家という枠組みの中にあ り、真の民衆教化ではありませんでした。平安時代から鎌倉時代へと時代が大きく変わろうとする時、思想や宗教も大きく動きました。ちなみに、私は平安古典 文学ファンです。いずれにせよ、日本の鎌倉時代において初めて仏教が蓮華となったのです。その意味ではインドの仏教もおもしろく、そして日本の仏教もおも しろい、と言えると思います。 何故、民衆教化が可能となったのか。律令体制の縛りがなくなったからです。戦乱の世になって、民衆教化がしやすい時代となったのです。仏教が国家から解放 された、と言えます。 よく日本の仏教は葬式仏教だと言われていますが、事実、葬式こそ民衆の求めていたものです。これは、きちんと祀れば守り神となってくれるが、放っておくと 祟り神になってしまうという祖霊信仰(=日本人のエートス)に基づいています。新しい鎌倉仏教は、まさに民衆の求めていた仏教本来の姿に戻ろうとしていた、とも言えます。これら は全て天台宗の流れを受けています。天台宗は仏教の綜合病院です。そこから自分に合った処方箋を選び取り、新たな処方箋を出す五人の天才がいました。法 然、親鸞、栄西、道元、そして日蓮です。
今回の講義では、鎌倉新仏教の中の浄土系を中心に学ぶことが出来ました。 浄土系は浄土思想に基づいています。浄土とは仏の世界です。よく「死後の世界なんてないんだ。仏の世界もないし、地獄もない」と言う人がいますが、それは 一面的な意見です。死後の世界はあるかもしれないし、ないかもしれない。それは私たちには分かりません。大事なのは「死後の世界なんてない」というのも一 つのサンスカーラに過ぎないということを知ることです。そもそも、ブッダになるまでは私たちはサンスカーラを出さざるを得ません。サンスカーラを出さない のはブッダだけです。大乗は、このサンスカーラを上手く使います。小乗は失敗しました。大切なんは「リンゴに向かうこと」(ブッダを目指すこと)です。そ の方法は人によって違います。そして、それが当然です。そのことを考えた場合、浄土教における専修念仏は「念仏だけ」というところに危うさがあります。念 仏はあって良い。しかし、それ以外も認めることが大切です。法然も様々な迫害を受けました。情熱の結果とも言えます。 また、私は末法思想に興味を持っていました。今までは、「世の中がどんどん悪くなる。だから、努力してもむなしい」という後ろ向きの思想であると思ってい ました。特に、それまで支配層だった平安貴族が武士に追いやられてしまった結果、「世も末だ」という思想が生まれたのだろう。このようなイメージがありま した。しかし、今回の講義では、むしろ末法思想というのは下降史観ではあるものの、末法だからこそブッダを目指そう、ブッダがもう一度よみがえればまた正 法の世になる、という前向きの思想であることが理解出来ました。末法思想に対する自分のサンスカーラに気付きました。 (2年男子)
(「冬は必ず春になる」と申します.末法だからこそブッダを蘇らせて正法の世にすることが肝要と考えられたのです.)
- 念仏を知ることは鎌倉新仏教を知るのには不可欠であったと思います。人々の信教のあり方が見え てくるように思えました。私はいままで鎌倉新仏教に対して(浄土信仰)に対して良いイメージを持っていませんでした。念仏を唱えるだけで浄土に行ける、と いう部分でありました。今回も法然の浄土宗で「私の名前を唱えたら助けてあげるよ」というのも若干は引っかかりました。また処方箋を限定してしまう、ほか を否定するというのも大乗のあり方に反していると思います。しかし商法線を簡単にした、という事実は一体どれだけの人々に仏教が浸透したことだろうかとも 思いました。今までの教義であれば、罪人はもちろんのこと、一般民衆でさえ自分にひきつけることはできなかったように思います。「念仏と唱える」という簡 素化はこの世に生きる人々、身分の上下も関係のなく覆い尽くす蓮華の根っこにつながっているように思えました。今までこの鎌倉仏教を受動的だと思っていま したが、この講義を受けていく中で実はそれこそがもっとも主体的になるのだと捉えています。
しかし主体的、受動的に物事を捉えるのは全て自分自身の考え 方、受け取り方によってくると思います。ここが処方箋とのかかわり方であり、またサンスカーラがかかわってくる箇所だと思うのですが。。。処方箋を鵜呑み にするのではなく、使って活かすものだと思います。処方箋は身の周りにあって、仏教はそのことに気づかせるためにあるように思います。仏教そのものが処方 箋なのではなく、自分自身と向き合い、一歩でも仏陀に近づくためにぶつかる困難に立ち向かう人に対し、時には優しく手をさしのべ、励まし、時には厳しくあ たりながら仏陀への道のりを照らす、そんな存在なのではないかと思うようになりました。だから現代にもある拝聴料を取りながら説く人間に信用は置けませ ん。信徒が自発的に差し上げるのが本来のあり方だと思います。 (2年女子)
(古来「耳を澄ませば,全てのものがブッダへの道を説く処方箋だ」,と言われてきました :-) )
【総評】次回はいよいよ最終回です.鎌倉新仏教を概観してから,現代,そして未来への展望を見ていきたいと思います.(鈴木隆泰)
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