7/23 授業の感想最終号と回答
感想最終号(総数 146名:県大生 64名,山大生 82名)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
複数の同一または類似の感想は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
映画『GANDHI』の三回目 and 授業最終回です.
ダラサナ製塩所襲撃シーンでは,その satya の強さに震えが来ます.
- ガーンディーの映画をラストまで鑑賞しました!とても精神的意識の高い内容で普段観ているドラマとは異質なものでした。鈴木先生が最後に仰った「後の人はガーンディーを殺してはならないと思う。つまりガーンディーの行いを忘れることなく、ガーンディーが100だとすれば私たちは1でも2でも努力すべきだと」というお話に、ガーンディーの残した究極の死を自分のためだけではないインドの、もっと言えば人類の為の死を私は心に留め、壁にあたる度に思い出していきたいと思いました。(3年女子)
(ガーンディーの足跡を辿り,彼の理想を受け継いで実行していく人がいる限り,ガーンディーは不滅です.)
- satya を貫き通すことのできるガーンディーの偉大さを改めて感じました。今の世界においても、報復がさらなる報復を呼ぶという暴力の悪循環が続いているように感じます。それをとめるには、ガーンディーの言っていたようなことが私たちには必要だと思います。この授業をとらなかったら、きっとこの先ずっと知ることもなかったであろうことを知ることができてよかったです。とても考えさせられる授業で楽しめました。ありがとうございました。(2年女子)
(楽しんでいただけて何よりです.)
- ガーンディーが断食するシーンが感動的でした。あと断食を終えるシーン(オレンジジュースと一切れのパン・・・)も素敵ですね(^0^)!!ガーンディーの最期があまりに突然に描かれていて驚きました。ヒンドゥーとムスリムに限られた話でなく、確かにお互いがどこまでも恨み合い、復習を続けていてはいつまでも地獄が続くというのに深く共感をおぼえました。でもやられたらやり返してしまうのが人間の性なのに、それを断ち切ろうと自分の命までかけて satya を示したガーンディーはやっぱり立派だと思いました。先生の「ガーンディーを忘れてしまったら彼は本当に死んでしまう。私たちは彼を忘れてはいけない。」という言葉が素敵でした。楽しい講義をありがとうございました(>▼<)♪(2年女子)
( (>▼<)♪ )
- インドの人たちがイギリス兵に叩かれることを恐れずに行進を続ける姿に、ガーンディーの影響力と、satya への信仰心の篤さを感じました。ガーンディーが自分の死を顧みずに、争いを止めるため断食を行なうシーンに心を打たれました。ガーンディーは最後の最後まで人間の平等を訴えていてとても「人」を愛しているように感じました。
4月からこの授業を受けてインドの歴史や、宗教を学んできて、ガーンディーの一生を映画で観て satya というものが何なのか少しわかったような気がします。「宗教学」という名前なので堅い感じがありましたが実際はわかりやすくて、とても面白かったです。(1年男子)
(宗教が少し身近になりましたか? )
- ガーンディーという一人の人間の偉大さもさることながら、それを支えてきた人々の偉大さ、(人数の)多さにも感動しました。ガーンディーの残した言葉には現代に通じる、今や未来を生きる人類が学ぶべき点が多くあるように思えます。特に「やられたらやりかえす」という悪循環から逃れるためには憎しみを捨てること以外にはないという点に私はとても共感を覚えました。それは中東など、紛争が起こっている地域の現在に言えることであり、また犯罪の被害を自分や自分の身内に受けたとき(つまり犯人に対する恨みの感情)にもいえると思うのです。たとえば相手が(殺人犯や敵対する相手)死ぬということを願う気持ちが一時的に衝動として現れたとしても結局それがかなえば満たされた気持ちになるかといえば、それはおそらくありえないでしょう。場合によっては復讐にまた復讐が続きいたちごっこする状態になるかもしれないですが、結局残るのは死と空虚な感情のみです。ガーンディーの言葉が国境を越えてこれからも生き続けるためにもまず私自身、自分を見直して生きて生きたいと思いました。(1年女子)
(私たちが正しく行動することによってのみガーディーは生き続けることができると思います.お互い励みましょう.)
- satya や、ヒンドゥー教、イスラーム教についてあまりよく分からなかったことがガーンディーの映画を見て本当に勉強になりました。特に satya によるガーンディーや民衆の勇気には心に残るものがありました。彼らを見ていると些細な悩みで落ち込んでいたりする自分がとてもちっぽけで恥ずかしく感じました。(1年女子)
(恥じ入ることなく,できることから始めよう! )
- この講義を通して、インドに対する文化理解が深まったとともに、自分の宗教そのものへの考え方も大きく変わったと思います。これまでは宗教は一定の考え方に偏執したもので、自分の世界が狭くなってしまうものだと思っていたけど、そうではなく、むしろよりよい、より強い人間になるために必要な部分もある多くの人にとって意義のあるものだと分かりました。これからは科学と宗教のバランスのとれた人間になりたいと思います。(1年男子)
(おお,先生は嬉しいぞ!! )
- ガーンディーは断食をしてまでヒンドゥーとムスリムの対立つまり争いをやめさせようとしました。なぜガーンディーはそこまでしてとめようとしたのか?答えはたくさんあると思いますが、私はガーンディーが自分の母国をインドを愛してるから・・宗教が違うというだけで人と人が争って殺し合っても唯恨みや憎しみを生むだけでいいことはなにもないからということだと思います。インドとパキスタンがそれぞれ独立しても意味がありません!!インドという1つの国が宗教関係なく独立しなければ・・・と思いました!!今日非暴力・不服従という考え・思想を徹底して殴られても叩かれて怪我をしても立ち向かう人々を見て本当に感動しました!! satya をひしひしと感じました。私は今日見た映画を世界中の人に見てほしいです。現在無駄な争いをしている人達にも・・・。今の時代にはガーンディーの考え・思想・心特に忍耐が本当に必要なんではないでしょうか???我慢・忍耐は本当につらいしきついです!でもそれをやり終えた時得る物はとても大きくて素晴らしい物だと思います!!!宗教学という授業を通して大切なことを学べたと思います!(1年女子)
(下線部:私が今回そうであったように,今度はあなたが解説付きで近しい方に見せてあげてください.できることから始めましょう.)
- ガーンディーは本当に強い人だと感動しました。satya の精神をそのまま当てはめたような人がガーンディーではないでしょうか。その彼の姿に全世界の人が胸を打たれたことだと思います。何も知らない人から見たなら、彼はただのおじいさんで、どうやってそんなことができたのだと驚いたことでしょう。けれど、人の本当の力は肉体的なものではなくて、精神的なもので、その強さこそが物事を動かすことのできる力なのだと思います。普通に考えたなら、暴力のほうが強いと感じます。でもそうではないのだと教えられた気がしました。(1年女子)
(暴力は新たな暴力を生み,そして暴力の連鎖という悪循環を作ってしまいます.)
- 今日の映画は涙が止まりませんでした。ガーンディーの奥さんが静かに死んでいくところが、淡々とした感じで悲しさが、ひしひしと伝わってきました。子どもを殺して悔やんでいる男性の姿も、観ていて辛かったです。一番印象に残ったのは、ヒンドゥーの人々が satya を守るために、殴られても行進を続けていた姿です。あの人たち全員を、兵士は殴ったのでしょうか?いくら意地になっていたとしても、普通の人間なら、暴力的な抵抗もせず、全員がやられるがままになっている人々におそれに近い感情を抱くと思います。私だったら、暴力を振るう自分の方に疑問を持ちます。イスラムとヒンドゥーを分けることに賛成し、パキスタンの指導者となったジンナーを私は「裏切り者」と思いました。でも、彼も自由と独立が欲しかったのではと考え直しました。ガーンディーの存在は大きかったのですね。ネルーが、「ガーンディーを殺せ」と誰かが言った時、激怒していたし、彼が断食したときは、ヒンドゥー教徒たちは暴力をやめていましたから。ミラベンは途中で祖国に帰るかと思っていましたが、帰りませんでしたね。ガーンディーの側にいたかったのでしょうか。
私は本を作ることが好きで、その材料になればと宗教学をとりました。宗教にも興味ありましたし。でもそういうこと抜きでためになる授業でした。ありがとうございました。(1年女子)
(もしよければ,この授業を材料とした本を作り,それを読ませて下さい.)
- 今回でガーンディーのビデオが見終わりました。ガーンディーの satya を守り通そうとする力にただただ驚くばかりの3回の上映でした。インド人の心の中には satya に対する強い気持ちがあることがただ殴られに行くシーンでわかりました。あのようなことは、ガーンディーの satya に対する強い感情がなければできるはずがありません。この宗教学の講義を通して、「satya とは何なのか。」が少しわかるようになりました。宗教を学ぶということは、自分たちの持つ文化と比べてどちらが優れているかというのではなく、そういう文化もあるということを知ることなのだとわかったような気がしました。(2年男子)
(この講義があなたにとって実り多いものであったことを祈ります.)
- 今日は今までの中で一番 satya を感じられる場面があったと思います。それは民衆が殴られても行進を続ける場面です。あの場にはガーンディーはいなかったのにあの場にいた全ての人が彼と同じ精神を確かに持っていることがよく伝わってきました。それだけガーンディーはインドの人々の心を動かしていたのだと思いました。私もガーンディーのような国を動かす大きなことは出来ないけど、身近なところから行動を起こし、「ガーンディーの100に自分は1は近づいた!」と思えるような人になりたいです。今までの授業を通して理解した satya や satya の考えを基としたインドをふまえていいレポートを書きたいと思います!(1年女子)
(力作を期待しています :-) )
- 子供を殺され、復讐し子供を殺してしまった男の人がガーンディーに懺悔するシーンが心に残りました。ガーンディーが言った両親を殺されたムスリムの子をムスリムとして育てなさいという言葉は、彼らしい優しく厳しい言葉だと思います。彼の罪悪感を軽くし、罪を償う機会を与えた上で、ムスリムを許し復讐を断ち切る強さを求めています。この言葉で彼は泣き、ガーンディーに尊敬の意を表し足下に額を寄せます。「その人に合った処方箋を」というのを目の当たりにしました。(1年女子)
(「善い処方箋を出せる人」のことをブッダといいます.)
- とうとうガーンディーが終わってしまいました・・・
この映画では本当にガーンディーの貫く誰よりも強い satya が感じられました。その意思が、インドの人々はもとより、ムスリムの子供を殺してしまった男性の心にも伝わった瞬間、なんとも言いようがありませんでした。また英兵に殴られた際にネルーが、『打ち返すな 非暴力だ!』と言っていた時、ここにガーンディーの意思が伝わっている、satya がある!!と感じました。また、最後に先生が黒板に書かれた文の意味を聞いてまったくそのとおりだと思いました。お互いに恨み、うらみ返し続けていては、争いに終止符は打たれない。普段私たちが日常生活を送っていても、そういう場面は多々あります。そんな風にガーンディーを鑑賞して、私たちの生活にも satya の存在が重要であるように感じました。(1年女子)
(お互いに励みましょう.)
- 夫婦の別れのシーンでガーンディーが多くを語らずただ涙を一粒流しただけなのが余計に悲しかったです。この映画を見て思ったことは自分は世界史を勉強して倫理で仏教やヒンドゥー教を学んだのにまだまだ知らないことが沢山あるということでした。それどころか教科書では1ページでまとめられた話の中にも多くの人々の人生や思いが詰まっていて自分はそれのほんの少ししか理解してなかったのだということを知りました。この講義は本当に楽しみでした。それから最後にネルーはガーンディーと仲違いをしたと書いていましたがあくまで政策に関してのことで本心はそうじゃなかったと言うことでしょうか。もしそうだったら嬉しいです。(1年男子)
(そう考えていいと思います.簡単に類型化してしまえば,ガーンディーが理想主義者であったのに対し,ネルーはどこまでも政治家,すなわち現実主義者でありました.)
- この講義を受けて終わって、私の心の中に何かとても大きなものが残ったような気がします。
映画のクライマックスはとても感動的でした。ガーンディーの宗教的寛容さ、はじめから変わらない誠実さ、そしてヒンドゥーの信念が起こした(我々から見れば)多くの奇跡にじんときました。塩の行進のように、みながsatya を守り抜くといったことは、これから先の世の中で、もう一度起こりうるでしょうか。宗教が戦争に利用されるといったことは今日の世にもあります。その中で、真に宗教を信仰し、守るべきことを守り、心の中の悪魔と忍耐強く戦っていける人物がこれから先現れるでしょうか。先生のおっしゃったように、ガーンディーを100とし、自分の成長が1であっても2であってもその進歩を認め、近づこうとする姿勢が大事です。先生の授業のおかげで、知らなかったことが明らかになったり、大変重要なことに気づけたりしました。これから、長期的に考えていく問題として、いつまでも心にとどめておこうと思います。(1年女子)
(100 のうち 1 進んだとして,「まだ 99 も残っている」と考えるか「1 進めた」と考えるか,でも大事なのはどちらであっても「進むことそれ自体」なのです.)
- 今回最後まで映画を観てわかった事は、satya がどれだけ大切なものか、欠かせないものかということが分かりました。先生も講義中に何度もsatya の大切さについて述べられ、それがこの映画によって証明された気がします。先生も「ものすごいsatya を感じる」といわれたシーン、私もものすごく大きくて、強く民衆に根付いているsatya の存在を感じました。
そしてもう一つは、ガーンディーの断食です。ガーンディーは人々の暴動をやめさせるために自らの身を挺して断食を行いました。映画を見る限りでも実際もネルーが止めようとしたぐらいに周りが見ていて痛々しい断食だったのだと思います。そこにもまた、殴られるだけのためにどんどん前に進み続けるだけの男たちと、それを支えついには倒れてしまう女たちと同様に強いsatya を感じました。
先生の言われるとおり、先生の宗教学のしめくくりとしてこの映画を観る事はsatya というものを本当に理解するうえで必要なことだと思いました。
本当に先生の宗教学をとって私の浅い歴史の知識が少しでも埋められた気がします。今まで本当にありがとうございました。(1年女子)
(Walker 記者のセリフ,They walked both Hindu and Muslim alike, with heads held high, without any hope of escape from injury or death. It went on and on into the night.です.)
Women carried the wounded and broken bodies from the road until they dropped from exhaustion. But still, it went on and on.
- 印象に残ったのは新聞記者が電話をするシーンでの台詞でした。「インドは甘受し、英国は敗北した。」この一言が、英国はガーンディーとインドの人々を精神的に支配することは絶対に不可能であったことを伝えていると思います。ここでの新聞記者は主観ではなく客観の象徴であって(彼がガーンディー側に近かったのは確かですが、新聞記者という事実を客観的に伝える人間としてとらえます)、彼が語ることで客観的な事実を映画を観ている人々に伝えているような気がしました。(1年男子)
(Walker 記者のセリフ,Whatever moral ascendency the West held was lost here today. India is free, for she has taken all that steel and cruelty can give, and she has neither cringed nor retreated.です.)
- 最後のガーンディーが殺される場面では事実を知っていたとはいえ、泣きそうでした。憎しみからは憎しみしか生まれないということにどうして気付いてもらえないのでしょう。いえ、気付いてはいると思います。しかし、両親や知人を殺された憤りの方が勝っているのです。
本当にこの宗教学は考えさせられました。ほんの数ヶ月前までは全然知らなかった satya に触れた上で、最後にこの映画を見ることができ、本当によかったです。(1年女子)
(誰でも知っているけどなかなか実行できない.だからこそ「永遠の真理」なのかも知れません.)
- 最後に先生が「うらみは捨て去ることによって始めてやむ」と仰った時、その通りだなと思いました。当たり前のことだけど、恨みがまた恨みをよんで…と悪循環を繰り返すばかりですよね。でも恨みを捨て去るというのがどれほど難しいことなのかが、ムスリムとヒンドゥーの争いの終わりに、自分の子供を殺された男を見ていて思いました。私がもし自分の子供を殺されたら、絶対に自分から「恨みを捨て去る」なんてこと出来ないと思うからです。ガーンディーの映画、すごかったですね。なんだかsatya に始まってsatya で終わったって感じがしました。もし先生の講義を受けてなくて、この映画を見ても、非暴力・不服従だからみんなあんなに教えを守っているんだ、くらいしか思わなかったと思います。そこにsatya が関係してるなんて!!今ますますインドが熱いです。実家に帰るまでにもう一回シヴァのカレー食べにいきたいです。インドのこと勉強したのを忘れないように!!前期お疲れ様でした☆すごく楽しかったです。(1年女子)
(怨みの悪循環を繰り返す大衆に向ってネルーが「何が正しいか,みんな分かっているはずだ!」と呼びかけるシーンが印象的です.皆誰もが元から知っていて,そして知っては(分かっては)いるけど実現できない「永遠の真理」. 宗教上の偉人はもしかすると,誰もが知っている当たり前のことを,当たり前に実行できた人なのかも知れません.)
- ガーンディーの映画をみて、インドにおける satya という思想の大きさがわかったような気がしました。やはり以前先生がおっしゃっていたようにインドが独立できたのはインド人が根元的にもつ satya の思想があったからなのだと感じました。また先生が最後におっしゃっていた「恨みあってるのでは恨みを忘れることはできない。恨みをすてることで恨みを忘れることができる」という思想がとても印象に残りました。しかしそれがいくらすばらしいことだと思っても、それを実際に行うのはとてつもなく難しいことだと思います。もしそれを全世界の人々ができれば、争いはほとんど起こらなくなるはずです。本当はそのような世界であるべきだと思いますが、やはりそれは無理なことだといわざるを得ません。しかしそこであきらめるのではなく、ひとりひとりが今感じている恨みを一つでもなくしていこうと努力することが大事だと思います。恨みからは恨みしか生まれないというのは事実です。今必要なことはまずそのことを認識することではないでしょうか。この講義を聴いていろいろなことを考えさせられました。自分にとってこの講義をうけたことはとてもよかったと思います。ありがとうございました。(1年男子)
(100できなくていい.1でも2でも,とにかく実行することが大切なのです.)
- 早いものでもう宗教学の授業が終わってしまいました。いつもいつも新しいものを発見することができました。今日の授業でガーンディーの映画がすべて終わりました。インドの人々が satya を守るために非暴力を守るために歩いていったシーン壮絶というか胸が痛みました。また、ムスリムとヒンドゥーの争いのために断食するガーンディーの姿【satya する姿】胸を打たれました。正直私は宗教にかなりの偏見を持っていた人間の一人だと思います。しかし、ガーンディーに触れて、この宗教学に触れて少しだけ自分の人生観が変わった、というか、変われる気がします。宗教学をとって勉強できて非常によかったです。ただ心残りは、もっと先生とお話したかったです。後もっと質問したかったです。今までありがとうございました☆★☆(1年男子)
(近いのだから遊びにいらっしゃい.アポを取ってくれた方が確実です :-) )
- 考えさせられる映画でした。ガーンディーは、敵は自分の心の中にいると言っていました。すると、ガーンディーはその敵に勝った勝利者であって、人間とは本来ガーンディーのような強い精神力を持ったものなのだろうかと考えたりもしました。僕の周りにも強い信念を持って物事に挑戦している人はたくさんいます。忘れてはいけないのはガーンディーが祈った平和への願いです。彼は死んでしまいましたが、その思いは人類が滅亡するまで決して消えることのないものである思います。そのことを彼も死ぬ間際に考えたのではないでしょうか。また、ダラサナ製塩所でのシーンはヒンドゥーの強さと人間の強い部分、イギリス人の弱い部分を同時に見ることができたと思います。その国民性の強さ、satya がいかに重要であるかを思い知らされました。ヒンドゥーとムスリムの対立では、宗教とは本来人が幸せになるためのもので、それが利用された時が一番怖いのだということを実感することができたと思います。最後になりましたが、この一学期間ありがとうございました。大学は違いますがまたお会いできる日を楽しみにしています。(1年男子)
(レポート出しに来てくれたんだね.不在にしていて会えなくて残念でした.)
- 「ガーンディー」素晴らしかったです。通して思うに、映画が私の中を刻み付けた場面はヒンドゥー教徒がイスラム教徒への激しい恨みと、そしてまた報復として悪行を成した自分の苦しみとを吐露するところでした。繰り返す憎しみの根底にはやはり多くの悲しみがあり、それを他人が癒すのは難しいことなのだと痛感しました。しかしそれでもガーンディーは争いを止めました。satya の力と一言では言えますが、そこには計り知れない力があること、そしていかにガーンディーが「インド人」にとって大切な存在であったかを思い知らされました。争いの終止は彼らを救ったと思います。しかし、最後に、ガーンディーはあのヒンドゥー教徒を救えなかったと言われていました。私はその言葉に深く深く考えさせられました。
ガーンディーと話をしてみたいと思います。当然無理ですが。今この世の中にガーンディーのような人が現れるのも望みますが、それよりもまず自分がガーンディーについていけるような人間になっていきたいです。難しいと思います。いつかはなりたいです。
「ガーンディー」を見せてくださりありがとうございました。たくさんのものを得ることができました。これからこの映画を人にどんどん勧めていきたいと思っています。(1年女子)
(是非勧めて,そして satya の力の存在を教えてあげてください.)
- 映画では知らぬ間に歳月が流れていて、奥さんの髪の色で確認していたのですが、とても革命というものには時間がかかるのですね。それと同時に人間の儚さも窺えました。人の気持ちを動かすには忍耐が必要なのだと思いました。
製塩所での殴られるための行進、某漫画の主人公を思い浮かべました。非暴力の satya というか、私には相手の良心への信頼というようにも取れました。誰だって無抵抗の者への暴力は嫌なものだと思います。幾度も殴らせることによって相手の良心を攻撃しているように思われました。
一学期間ありがとうございました。今までよく知らなかった宗教、文化を学ぶことができ楽しかったです。(1年女子)
(太線部:うーん,いい感性です.)
- ガーンディーが言った言葉や行動の一つ一つに「インドへの想い」があふれていた気がしました。
インド人がイギリス兵に自ら殴られにいくシーンに感動しました。ガーンディーの言う「非暴力・非服従」の意志の現れだったんだと思います。あんなにまで激しく打ちのめされているのにも関わらず、みんなで前進する姿は誇るべき態度です。
「復讐が復讐を呼ぶ」という悪循環を、ガーンディーは見事に克服していました。人が本当に救われる瞬間を目の当たりにした気がしました。
satya を学んだ後、ビデオを見ることができてよかったです。何の知識もないまま見ていたら、ガーンディーの行動の意味が理解できなかったと思います。最後に先生がおっしゃた「ガーンディーを100としたら私たちが1行えば彼は死なない」という言葉を忘れないようにしたいです。彼の肉体は滅びてしまいましたが、satya があって、私たちが彼の意志を受け継ぐ限り、彼は生きているんですよね。(1年女子)
(私は,ファイナルファンタジー9 がくれたメッセージが大好きです.
私が死のうとも 君が生きている限り 命は続く 永遠に その力の限り どこまでも続く私たちはガーンディーを殺してはならないのです.)
- ガーンディーが望まない形でインドは「ヒンドゥー教徒の国としてインド、イスラム教徒の国としてパキスタン」と分離独立をしました。以前私はインドの分離独立を知ったとき「結局人間は宗教というものを越えて理解しあえることは出来ないのかもしれない」と感じました。しかし両教徒がインドとパキスタンの国境で衝突してしまったのは、宗教よりも人間として誰しもが抱いてしまう憎しみ、恨みが根本にあることを学びました。ガーンディーが息子を殺されたヒンドゥー教徒の男性に、イスラム教徒の遺児を引き取るように助言したのは、最後に先生がおっしゃった「恨みを捨て去ることで恨みがやむ」と同じことを意図しているのではないかと感じました。寛大な心を持つことが自分にとっても相手にとっても最も為になるのではないかと思います。
またこの講義を通してインド文化の魅力、奥深さに触れることができ、大変良かったです。(1年女子)
(正しい知識を得るためにも,宗教の勉強は絶対に必要です.誤った知識に基づく思考からは,誤った結論しか生まれません.日本における宗教教育力の著しい低下は,非常に危険な傾向です.)
- ガーンディーはインドのひとびとの心をつかんで離さなかったですね。死ぬまで。いや、死んでもなお・・・。「歴史上、正義と愛は負けたことがない。」という言葉が印象的でした。正義は勝つ!!なんて、今大声で言うと「え?」っと思われそうですが、もっとみんなでこう叫ぶべきだと思います。正義は正義だし、間違いは間違いと、はっきりさせるべきだと、今のこの世に居たとしたら、ガーンディーは言ったんじゃないかなと思いました。
この映画に出会えて良かったです。信じることのスゴさと、大切さを学びました。(1年女子)
(当たり前のことを当たり前に実践することの中にこそ,真理があるのかも知れません.)
【総評】『ダンマパダ』という仏典のことばです.
na hi verena veraani sammant' idha kudaacana/ averena ca sammanti esa dhammo sanantano// (Dhp 5)身近なガッチャマンの話題から始まったこの「アジア文化論 I/宗教学」でしたが,終わってみていかがだったでしょうか.最初思ったよりかなり遠く,そして高い知識まで皆さんをお連れできたのではないでしょうか.
この世において諸々の怨みは,怨み返すことによっては決して止むことがない.怨みを捨てることによってはじめて止むのである.これは永遠の(=誰でも本当は元から知っている)真理である.
この講義を通じて皆さんに発したメッセージ,そして皆さんが受け取った印象・感想を,これからも何かの機会に思い出してもらえればと思います.
金曜日の1コマ目にも関わらず,出席し続けてくれた皆さんの努力を讃えながら,最後の「感想と回答」を終わらせていただきます.皆さん,どうもありがとう.(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp