7/2 授業の感想11号と回答
感想11号(総数 158名:県大生 72名,山大生 86名)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
複数の同一または類似の感想は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
今回よりアッテンボロー監督作品『GANDHI』を見ます.字幕に余りに駄目なところがあるので,気づいた範囲で訂正表を掲げておきます.
表1 余りに駄目な字幕に対する訂正表
× | ○ |
ガンジー | ガーンディー |
マハトマ | マハートマー |
ヒンズー | ヒンドゥー |
回教 | イスラーム |
回教徒 | ムスリム |
ネール | ネルー |
無抵抗 | 暴力に暴力で返さない |
階級 | 不可触民 |
- 最後のほうは将軍の理解力ある行動がものすごくいいなと思いました。ガーンディーの説明が書かれた紙に母親の信仰している宗教について書かれていましたが、それは今後のガーンディーの行動に影響を与えているのですか?(1年女子)
(スマッツ将軍の行動は,ガーンディーによって自分の立場が悪くなったことに対する嫌みであって,決して誉められるようなものではありません. ガーンディーは知らず知らずのうちにヒンドゥー的宗教理解を身につけていました.母親の影響が大きいです.)
- これほどまでに人種差別意識を英国人に植え付けたものは何なのかと考えさせられました。何に対する怒り、嫌悪なのか、まずそこから考える必要があると思いました。(1年女子)
(彼らにとって,有色人種は人間ではないのでしょう.)
- 今日の授業でガーンディーの映画をちょっとだけ見たのですが、本当にいい映画だと感じで感動しました。またガーンディーの非暴力、不服従の思想は中国にいるとき何回何回聞いたことがありましがでも本当の意味理解できなかったのですが、今日映画を見て本当にわかりました。前期の授業はもうすぐ終わりますが、また最後まで楽しもうと思います。(1年男子)
(楽しんでください :-) )
- ガーンディーと言えば民族服に糸紡ぎという晩年の姿のイメージが強かったので、イギリス紳士の姿に少し違和感がありました(笑)。
パスを焼き捨てるシーンが印象的でした。彼の初めの非暴力・不服従の姿、ここからインド独立へ進んでいくのだと思いました。
ここからの展開は、見るに耐えないものの様な気がするのですが、頑張って見ようと思います。(戦争ものとか苦手なので…)
すべて見終わったときに、ガーンディーの真意が、きちんと理解できているといいのですが。(1年女子)
(これからの展開では,目を背けたくなるようなシーンも出てきます.人は人に対してどこまで残酷になれるのか,私たちは理解しておかなくてはなりません.)
- ガーンディーがパスを燃やす場面で、「無抵抗主義も」充分な抵抗になっているんだと思いました。(1年男子)
(注意!! ガーンディーの運動は決して「無抵抗」なのではありません.「非暴力・不服従」を satya とするためにどこまでも守り抜く(satyaagraha)という,凄まじい抵抗運動ですよ.)
- 最初からガーンディーは独立を目指していたというわけではないのですね。驚きました。映像を見ていたらセポイの乱のときに活躍した女性(あれ?名前が出てこない。大富豪の未亡人だった気が・・・。)をなぜか思い出しました。その人の話に少しでもいいので触れてくださったら嬉しいです。(1年女子)
(ラクシュミー・バーイー(?-1858)ですね.ちなみに「セポイ(シパーヒー)の反乱」という呼び名は,事柄を正確に捉えていないだけでなく(シパーヒーのみによって担われたものではないから),「反乱」という呼び名が支配者であるイギリス側からの見方であるため,余り好ましくないとされています.インドやパキスタンでは「最初の独立戦争」と位置づけています.)
- 列車の中でのイギリス人のインド人に対する差別の意識の強さが印象的でした。なぜこれほどまでに差別の意識が強いのでしょうか?(1年男子)
(有色人種を人間だと思っていないからでしょう.)
- イギリスの人たちの行為は宗教の教えに背いていないのですか?(1年女子)
(隣人愛を説くキリスト教の信者でありながらあれだけの差別をできたこと自体が,彼らにとって有色人種は人間ではなかったことの証明です.)
- 演説の時「役人を殺す(殺せ)」と言った人に対して、ガーンディーが「人を殺していい理由など無い」と非暴力を訴え、同時に「不服従」という抵抗をしようと演説したシーンが印象に残りました。ガーンディーの言葉ではなく、精神・考え方・行動に、インドの人々は魅力を感じたのだと思いました。(1年女子)
(「行動に裏付けられたことば」に魅力を感じたのです.satya は「真実のことばの力」ですから.)
- ガーンディーの映画、最初の方だけでしたがすごく心に響きました。1つ1つの言葉に奥深い意味が含まれているように感じ、1言も見逃せない気がしました。バスを燃やす場面は見たくない場面でしたが、あれがガーンディーの非暴力・不服従の原点だったんだろうなと思いました。学ぶ部分も多く、今戦争やテロを行っている全ての国の人々にいこの映画を見てほしいと思いました。 (1年女子)
(下線部:私も同感です.)
- 私はガーンディーが何回殴られても殴られてもパスを燃やし続けた姿を見て黒人差別のことを思い出しました!昔キング牧師の黒人独立運動の本を読みました。そこで確か独立運動をするにあたりキング牧師のやり方に影響を与えたのはガーンディーだったと書いてありました!映画の最初の方にガーンディーが殺されましたが彼の思いというか考え・思想は世界中の人々に受け継がれているということを今改めて思いました!!!!非暴力・不服従を行ったガーンディーは本当にすごい人だと思いました!!!!!(1年女子)
(ガーンディーを模倣する人がいる限り,彼は不滅です.)
- ヒンドゥーとイスラームの対立の話で、もともとはうまく関係を取り合っていたものどうしが第三者によって壊されてしまうというのは、本当に悲しい事で強い憤りを感じます。このパターンの対立は世界にも多く存在していて、先進国諸国が犯してしまった取り返しのつかない行為の一つであると思います。もちろん和解に向けてのはたらきかけを行ったりはしていますが、時代がそれを受け入れなかったりで一度壊れた関係はなかなか元に戻ってはくれません。そんな時代に生まれたガーンディーが、時代の中にもまれながらも独立の父と呼ばれるまでの生き様をしっかりみたいと思います。(1年男子)
(パレスチナ問題があそこまで泥沼化したのも,イギリスをはじめとする先進国の思惑が大きいです.)
- 英国人の差別は思った以上にひどくて驚きました。ガーンディーが道を渡ろうとしたときに、英国の青年がインドの人をゴミ呼ばわりしたり、犯罪者と同様に指紋を取ったり。それでもガーンディーの考え方が抵抗というのではなく、同じ国民として認めてもらおうと考えるのがすごいなと思いました。(1年女子)
(下線部:そうではありません.暴力に訴えないだけであって,ガーンディーの行動はもの凄い抵抗運動です.)
- ガーンディーの映画は今日観始めたばかりですが、感動しました。ストライキを起こしたほうが簡単な気もしますが、力で抑えても、本当の解決になるはずがありませんよね。差別は人の心が起こすものだから、心で解決すべきなのですね。簡単なようで、難しい事柄を実行したガーンディーは、本当に偉大な人だと思います。ところで1つ疑問点が「シャーロック・ホームズ」のなかにあります。この本が出版された頃は、インドはまだイギリス領だったはずです。インド人の執事を殺したイギリス人が、投獄されていたという部分があります。イギリス人がインド人を殺しても、たいして罪に問われることがなかったように感じられるこの時代に、本当にそのようなことがあったのであれば、インド人の人権もある程度認められていたことになりますよね?(1年女子)
(ストライキはガーンディーの抵抗運動においてしばしば用いられました.今回の上映部分でもありましたよ.
ご指摘の点は,イギリス人の「建て前」と「本音」に関わる問題です.また,イギリス本国内か,植民地における事件かによっても扱いは異なりました.)
- 先週の講義で女神がたくさん登場しましたが、それは全員パールヴァティー
パールバティが変身した姿なのですか。(1年男子)
(ドゥルガーとカーリーはそうです.)
- 授業でガーンディー
ガンディーのことやインドのことを色々と学んでから映画を観たので、内容がすらすらと頭に入ってきました。彼の非暴力・不服従の誓いを立てた覚悟はすごいとしか言いようがなく、感動しました。私はこれから尊敬する人は?と聞かれたら迷わず「ガーンディーガンディー」と答えてしまうと思います!(1年女子)
(ガンディーでなくてガーンディーです... :-( )
- ガーンディー
ガンディーの映画は一度見たことがありました。やはりガーンディーガンディーは史上最も偉大な人間の一人だと思います。暴力を用いず、国を独立に導いた人が他にいるでしょうか。彼には信念というものを感じます。信念という言葉は彼のような人間にくっついて初めて意味を持つように思えます。彼のような人がいて、イギリスもさぞ苦労したことでしょう。言うことには従わない。かといって暴力で抵抗するわけでもない。めちゃくちゃたちが悪いです。でもすばらしいです。本当に感動します。どんな指導者でも少しくらいは妥協します。彼は絶対に妥協しません。彼の勇気が欲しいです。(1年男子)
(内容はよいのですが,ガンディーでなくてガーンディーです... :-( )
- ガーンディーの映画と伝説は昔からよく知っていますけれども、インドの歴史にも大きな影響をもたらしたいます、毎回映画を見るたびに思わず感動の涙が出たりして、本当に尊敬する人物の一人です。ところでガーンディーが死の直前に言った言葉が未だに謎であります。(4年女子)
(“he Rama”(ヘー ラーム)です.)
- 非暴力・不服従というのは無抵抗というようなイメージがありましたが、これは立派な抵抗だとはじめて知りました。(1年女子)
(よしよし :-) )
- ガーンディーの映画はとても面白かった(まだ続きですけど)です。睡眠時間3時間半の眠さも一瞬で吹っ飛びました。(1年男子)
(木曜日の晩はぐっすり寝るようにしましょう. :-) )
- ガーンディーの映画を見るのは今回が初めてでしたが、眠いのも忘れて思わず見入ってしまいました。なんていうか、ガーンディーってすごいって感じで。私にはとても真似できませんね。続きがとても気になります。
ところで、あの「偽ページ」とはいったい…(1年女子)
(眠い人,多いですね (^^;
あのページは,私の基礎演習履修者の一人が情報処理の講義の際に作ったものです.象の像がいいですね.)
- ガーンディーの映画は本当に面白そうでした。やはり講義として見ると映画もまた違って見えてきます。ガーンディーの知らない一面が見られそうです。ところでこの映画は泣き所が満載してあるのでしょうか?僕は漫画やゲームでもよく泣いてしまうほど涙腺が弱いので講義中が心配です。ちなみに一番泣けたのはドラゴンボールのべジータでした。それから後学のために弁護士ガーンディーの法に対するスタンスが知りたいです。(1年男子)
(「お涙頂戴」の映画ではないですが,泣き所は結構ありますよ.私は「ダラサナ製塩所襲撃」が好きです.
「satya を中心とした宗教文化理解に基づくガーンディーへの接近」が私の守備範囲で,弁護士ガーンディーの法に対するスタンスという質問にはきちんと答えることができません.ただし,彼はインドの中でも知識人に属し,インド一般の文化に対する理解は当初深くありませんでした.「大英帝国の一員として正当に扱って欲しい」という当初の目標にも,インドという国に対する自覚の低さが窺えます.ですから,ヒンドゥー特有の dharma(法)ではなく,西洋的な law(法)として法を捉えていたであろうことは間違いないと思います.)
- 講堂みたいなところでの演説に感動しました。力には力で対抗しようと立ち上がって意見する人もいて、ガーンディーの功績を知る私たちにはそれが間違った意見のように思えてくるのですが、実際に虐げられたとしたら忍従より蜂起を選ぶのは当然のことだと思います。こういった血の気の多い人々を説き伏せることができるのは、ただ単に弁が立つからではなく自らが先頭に立って実行したからでしょう。参院選も近いので、ガーンディーの生まれ変わりのような人が政治家になってくれればとつくづく思いますが、たとえなったとしても、良心が数で潰される日本の政治ではどうにもならないような気もするのが悲しいところです。(1年男子)
(「有言実行」が satya の力をもたらすのです.)
- 期末課題に恐れおののきました。字数について「万字…」「字数は誠意だ!」とか衝撃的でした。痛いですね。がんばりますけど。その日に市立図書館へ行きました。ライバルらしき人を後目にタッチの差で本を手に取ることもありました。でも私も一足遅かったようですが…。(1年女子)
(内容がよいものであればたくさん書く必要はありません. 余り内容のあるものも書けず,平常点も今ひとつで,それでも何とか単位が欲しい,というのであれば,誠意をみせたほうがいいと申し上げたまでです. それから,講義の内容に基づいて書いてくれればよいので,レポート作成のためだけならば別段参考資料を見る必要も本当はないのです.)
- また、映画の中でサティアの言葉が一言も出ていないことから、インド人はサティアをサティアという言葉で認識するのではなく、彼らの中に潜在的に存在する認識なのだ、と思いました。(1年男子)
(まず,satya は「認識」ではなく「観念」です.それから,「satya は彼らの中に潜在的に存在する観念」は正しいですが,satya という言葉が映画に出てこないのは,言語が英語ベースの映画であることと,監督や脚本家が satya を使わなかったことに起因しています.)
- 私の印象としてはガーンディーはイギリスのものは使わないとして、布を巻いて服としていた写真をおもいだすのですが、今回はまだ背広を着ていましたよね。ただその布の時もめがねはしていたように思います。めがねはイギリス産ではなかったのでしょうか。(1年女子)
(イギリス製もあればインド製もあったと思います.ガーンディーが国内産の衣服を纏うよう提唱したのは,イギリスによって変えられてしまった繊維産業のしくみをかえるためであって,メガネ産業はその中には入っていません.ガーンディーは,イギリスのものは全て駄目と主張したわけではないのです.)
- ガーンディーについては高校授業で勉強した程度の知識しかないので、映画を見ていろいろと学べたらいいとおもいます。今では人種差別はほとんどありませんが、当時の人の辛い気持ちや苦しい気持ちを理解できればいいと思います。(1年女子)
(残念ながら今でも世界中にあります.)
- 実習で欠席した週があるのですけど、山大はどうしたらよいのでしょうか。(2年男子)
(質問は土曜日までにしてください.
あなたは4週連続で欠席でしたが,実習が一ヶ月もあったのでしょうか? もしそうであれば,何らかの事前連絡が必要だったとは思いませんか? )
- 僕は歴史の勉強は中学までしかしていないけど、僕の中では「ガーンディー」ではなく「ガンディー」です。言いにくいのでこれからもガンディーと言うことにしました。ちなみにガーンディーは一発変換できませんでした。(1年男子)
(変換できるかどうかは,日本語変換システムを鍛えれば済むだけの話です.
これまで何回も力説かつお願いしているのに「ガーンディー」という呼称に親しんでもらえないのは残念です.)
- ガーンディーの映画は一回で見てしまいたかったです。(1年男子)
(3時間を超える大作なので,授業中ではとても無理です.是非レンタルもしくは購入して観賞することをお勧めします.一回どころか数回かけても「見てしまえる」ことができないタフな作品なので,長く楽しめますよ.)
- インド人たちを当たり前のような顔をして罵倒していた白人達を見て、自分も1枚皮をはいだらあの人たちと同じなのかもしれないと思いぞっとした。(2年女子)
(自分に引き比べてみる,正しい鑑賞法です.)
- イギリスによるインドの植民地化が約150年も続いた事は知りませんでした。いくら自国の発展のためとはいえ、植民地にされた国の人々の気持ちを思うと、心が痛みます。何も手に持たず抵抗することはどれほどの勇気がいるのでしょうか。ガーンディーがなぜこのような勇気ある人になれたのか映画を見る中で読み取っていけたらいいなと思います。映画の中で印象的だったのは、ガーンディーの妻が最下層の身分の人がするトイレ掃除を、ガーンディーの説得によって行ったところです。ガーンディーの周りの人も、彼に感化され変わっていったのだなぁと感じました。(1年女子)
(善いことも悪いことも「伝染」するのです.
ガーンディーがなぜ勇気を持てたのか,難しい問題ですね.弁護士としての正義感,武力に訴えたら返り討ちにあうことを承知していたからこその作戦,その他もいろいろと考えられます. この講義ではインドの宗教文化に基づき,satya の観念を中心としてガーンディーの言動・行動を理解していきますが,もちろん,それだけで全て解決するものではありません.satya による解釈は,ガーンディーを理解する際の一断面に過ぎないのです.もちろん,それがとても大きく重要な断面であることは間違いありませんが.)
- 非暴力・非服従を掲げての戦いというのは、精神の戦いですよね。暴力には暴力が返ってくると思ってる人たちには予想外のことで対処しにくいだろうな、と思いました。痛みを与えたのに我慢されると罪悪感が増すと同時に、なぜ返してこないのだという苛立ちも覚えたのではないでしょうか。
もしガーンディーが日本の江戸時代にいたら、踏み絵に対してどのような対抗手段を考えついたでしょうか。少し気になりました。それとも根本に satya がないと駄目でしょうか。(1年女子)
(難しいですね.日本の場合,キリスト教の方が外来文化ですし,それに異国によって植民地化されていたわけでもないですから.)
- ガーンディーの最初の satyaagraha はインド人差別への反発だったことを初めて知りました。大英帝国の市民としてスーツを着ていたことに驚きました。南アフリカでの差別は根付いているだけで イギリス人にも差別する真の理由は明白ではない気がします。インド人に対する憎しみの根本とは一体何なのか 続きを見ながら考えていきます。それにしてもガーンディーは説得力があります。てっきり寡黙な人だと思っていましたが、演説は信仰心に強く響き、団結できたのは最もだと思います。皆の心に訴えることができた証があの盛大な葬儀に表れていました。(1年女子)
(ガーンディーの葬儀シーンを撮影するということで,数十万人のインド人が集まり,葬儀シーンが再現されたと聞いています.)
- 夢中になって見ていました。最初のコメントでガーンディー
ガンディーの偉大さに改めて気づかされました。インド、ガーンディーガンディー無くしてあらずですね。確かにこの世に、ここまで、正義と戦った人はいないかもしれません。正義を勝ち取るために暴力を使わないということが、どれだけ大変であり、素晴らしいことか・・。正義は戦いに勝利したものの特権のように思っていた自分がいたから、こんなにもガーンディーガンディーを敬ってしまうのかもしれません。(1年女子)
(人名の表記に注意しよう.)
- 映画とてもよかったです。初めなのにもう引き込まれました。ガーンディーの非暴力・不服従という信念はなかなか貫き通せるものでは無いと思います。私はとにかく肉体的ダメージに弱いので、言葉よりもより卑屈に言うことを聞いてしまう気がします。中には貫き通せない人もいたんでしょうか?それにしても多くの人が彼の意志に共感し、実行に移していたなんて信じられません。satya というものを信じていたからこそ出来たことだと思います。信仰は時としてすごい力を引き出しますね。信仰は不可侵なものだと思います。それを利用したイギリスの行為は許し難いです。テロを指示する宗教家と同じではないでしょうか。(1年女子)
(satya はインド文化であると同時に,仏教を通じて日本にも入っています.「真実のことば」を大切にしたいものです.)
- ついにガーンディーの映画を見ることができました。映画のはじめに、アインシュタインが「後世の人々はきっと、ガーンディーのような人がこの世に生きたことを、信じないだろう。」といったとありましたが、少しわかるような気がしました。暴力ではなく、忍耐と、そして並はずれた勇気を持って相手に立ち向かうような人など、ガーンディー以外に見たことがあっただろうか、と思いました。
「自分の力は、相手に対し小さなものであっても真実は真実です。」というガーンディーの言葉が心に残っています。一つのことを最後の最後まで保ち、掲げていくというのはかなり困難なことだと思います。それもまた satya の力なのだと思うと、ガーンディーに対して覚えた感動と同じくらい、インドの宗教に対して強い感情を抱きました。(1年女子)
(アインシュタインのことば,“Generatons to come will scarce believe that such a one as this ever in flesh and blood walked upon this earth.”です.)
- 私自身は残りの授業で、ガーンディーの映画から、インドという国が滅亡の危機に陥ったとき、インドの人々が一体何を守ろうとしたのか、その根源となった力は何であったのか、ガーンディーは何故インド人として闘ったのか、そして、ガーンディーという人物そのものを、今までの授業で学んだインドの歴史やヒンドゥー教の基礎的知識等と並べながら理解していきたいと思っています。また映画の中のガーンディーやインドの人々の辛い立場には、つい激しい私的な感情を持ってしまいますが、敢えてドラマとして見るのではなく、歴史を学ぶ目を忘れずに見ていきたいです。ちなみに今回は写真でも有名なガーンディーと糸車の関係、非暴力不服従の精神はやはりキリストに通じていたこと、等が発見できました。(1年女子)
(映画の中に見られた「右の頬を打たれたら...」は,satyaagraha を実行するガーンディーの一解釈であって,それだけをもって非暴力・不服従がキリスト教に通じていたと考えるのは早計です.ただし,ガーンディーが「非暴力・不服従はキリスト教にも説かれている」と理解していたことは事実です.)
- ガーンディーの映画は高校の授業でも取り扱いました。その時はおおまかにヒンドゥーについての概論のようなことを学んだだけでしたが今回はそれ以上に予備知識のある上で見るわけで、関心の矛先も注目する点もその当時とはだいぶ違っているので新たな発見や前回とは違う感想が出てきそうです。ところで「目には目を、歯には歯を」という言葉自体はどの宗教にも何らかの形であるようですが解釈のしかたは違うようですね。単に復讐すべきであるという考え方ではなく、その罪に対しての裁きは神によってのみ執り行われるのであるから人間はむしろ「右の頬を打たれたら左の頬も拒むべきでない」とされていることにガ−ンディ−を連想しました。悪に対して悪で対抗するのでは空虚と新たな憎悪以外何も生みだすことはできない、あくまで徹底的な正によって抵抗するという姿勢には現代の人々にも学ぶべき点が多くあるように思いました。(1年女子)
(下線部:それはキリスト教元来の解釈であって,ガーンディーのそれではありません.「右の頬を打たれたら,打ち返さずに左の頬も出せ.もしその左の頬までも打ってきたら,相手は本当に悪い奴だから,神が地獄に落とす」というのがキリスト教の一般的解釈です.)
- 「戦い」と言う言葉を聞いたら必ず誰しも殺し合いや殴り合いと言う言葉を思い浮かべると思います。私も今までは、非暴力・不服従なんて絶対にないと思っていました。相手の攻撃に非暴力で耐えるなんて、普通に考えると無理だと思います。その一見すると無理なことを実行にうつし、実現したことでそれは satya となったんですね。インドの人々が、非暴力・不服従でイギリスと戦ったことに、彼らの自分たちの宗教に対する誇りと力強さを感じました。あと、初めガーンディーはインド独立の為だけに立ち上がったのではなく、彼らヒンドゥー教徒に対する差別をなくす為だったということに驚きました。自分たちの方が、イギリス人より上とか優れているとかではなく、同じ人間なんだ、だから同等の立場で接しあうべきなんだ、という姿勢がすごくかっこよく見えました。 (1年女子)
(satyam eva jayate (satya は必ず勝利する)です.)
- ガーンディーが行動を起こした目的は初めはインド独立のためではなかったというのは発見でした。「何を言われてもされても暴力で返さない、でもいいなりにはならない」という非暴力・不服従ですが、ものすごい精神的に強くないと、またはすごく強い決心がないとなかなか出来るものではないと思います。人間だからどうしても怒りの感情が出てくるだろうし、「目には目を、歯には歯を」は人間、または生物の本能だと思いますから・・・。この非暴力・不服従を成し遂げて、歴史を変えることになった強い思いが satya なんだろうと思い、(映画前半だけしか見てないにもかかわらず、もうすでに)感動しました。(1年女子)
(仏教の教えに次のようなものがあります.
na hi verena veraani sammant' idha kudaacana/ averena ca sammanti esa dhammo sanantano// (Dhp 5)人は怨み・憎しみの連鎖を断ち切らなければなりません.ガーンディーの映画でもこのことは頻繁に説かれます.)
この世において諸々の怨みというものは,怨み返しているうちは決して止むことはない.怨みを捨てることによってはじめて止むのである.これは永遠の真理である.
【総評】激動の時代に現れた圧倒的な人格に対し,敬意を払いながらともに見守っていきましょう.(鈴木隆泰)
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