6/18 授業の感想9号と回答
感想9号(総数 159名:県大生 68名,山大生 91名)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
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原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
二大叙事詩『マハーバーラタ Mahaabhaarata』(特に第6巻にある『バガヴァッドギーター Bhagavadgiitaa』)と『ラーマーヤナ Raamaaya.na』の紹介をしました.
- 今日の話は本当に物語のようで面白かったです。しかし、物語でありながら教えを説いており、神においても、信仰においても、その発想の自由さに驚かされます。そして、自己存在を絶対肯定してくれるものはなかなか無いので、インドの人々の信仰のあつさにも納得できました。ラーマクリシュナについて、よく知りたいと思いました。人を救うための宗教であるとつくづく感じさせられます。(1年女子)
(ラーマクリシュナについては資料が研究室にあります.
「自己存在の絶対肯定」,それこそ宗教の提供してくれる「安心(あんじん)」です.)
- バガヴァッド
バガバットギーターの「自己存在の絶対肯定」という話を聞いて、救われました。私は究極にマイナス思考なのですが、少しだけれど、プラス思考になれたかなと思います。来週ラーマーヤナの話が聞けるので楽しみにしています。そういえば、授業の前に流しているビデオ、マハラジャに戻りましたね?先週観た映画が結構気になるのですが。(3年女子)
(『ダラパティ 踊るゴッドファーザー』です.)
- ラーマーヤナ
ラーマヤナはすごい面白そうですね!ブラフマーはなんでラーヴァナを強くしちゃったんでしょうか・・(1年男子)
(satya と関係しています.ラーマーヤナは全編 satya のオンパレードです.)
- スグリーヴァとVisnuの猿の神バージョンは違うのですか?(1年女子)
(ヴィシュヌの10化身(アヴァターラ)の中に猿はいません.)
- インドには多くの神が存在するので毎回の授業に出てくる神を覚えるのが大変です。何か覚えやすい方法はないでしょうか?(1年女子)
(参考文献に挙げた書物を見ながら,ヴィジュアルに覚えていくとよいと思います.)
- インドラジットが存在するならラーヴァナには妻がいたのではないですか?どうなんでしょう。(1年女子)
(お願いしてあるように,できれば質問は土曜日までに...
たしかに,マンドーダリーという名の妃がいます.)
- スヴァダルマを果たせと言う言葉に込められた深い意味はよくわかりますが、アルジュナのような苦悩を受ける者もいるため、よしあしだと思います。ダルマという思想はとても前向きで好きなのですが、自らのカーストの義務だとしてもやはり血のつながった者と交戦するのにはためらい、迷いがあるはずです。世の中には義務という言葉だけでは解決させることができないものもあり、自らでよく考えることが望ましいときもあるのではないでしょうか?(1年女子)
(そこがカースト制度の限界だと思います.大事なことは,「わたしたち」が『ギーター』から何を学べるかということではないでしょうか.)
- 肉親を殺すことを躊躇したアルジュナは心優しいと思った。日本でも歴史上肉親同士が殺しあう話があるが、そこでsvadharnaが出てくることからどれだけインドにカーストの思想が根付いているのかわかった。結果よりも行為そのものが大切という思想は現代にも通じる大切さを持っているけれど、それを諭すのに別の機会はなかったのだろうか。(1年女子)
(人間存在に実存に関わる局面だったからこそ,クリシュナの諭しが大きな説得力を持つものとなったのでしょう.普段から自己存在の絶対肯定という功徳をもらっていれば,そもそもあのような局面を迎えること自体なかったかも知れません.問題はクリシュナ側(神の側)ではなくアルジュナ側(人間の側)にあるのです.)
- ヒンドゥー教を学ぶにつれて、宗教はどうあるべきか分からなくなってきました。人は弱く、頼れるものとして宗教にすがるのだろうし“人間が完全なら宗教はいらない”には納得できます。カースト制を肯定的に考え始めていましたが 「果報を願うな」といいながら結局は svadharma に繋がっているのですよね。(1年女子)
(同じ svadharma であっても,要はその実行の仕方が問われているわけです.)
- 自らの義務を果したという結果でなく、その義務を果たした経過が大切だということは、業・輪廻思想に関しても解脱することより、業を行うことに意義が置かれるという事なのでしょうか。(1年女子)
(そうではありません.影響力を残さない(それを求めない),純粋に行為だけの業が望ましいということです.)
- 今回の講義で、何らかの行為をして果報を求めるとカルマを生み出し輪廻に閉じ込められると先生はおっしゃいましたが、どういうことなのかよく分かりません。カルマは輪廻の原動力になるということは教わりましたが、カルマにあたる行為に果報を願わない行為は含まれないのですか?(1年男子)
(行為の結果を神(クリシュナ)に放擲する(=全てお任せする)とき,その行為は「行為そのものの行為」に純化されるとギーターは説きます.人が果報を期待せず,執着を離れ,愛憎なく定められた行為をなすとき,それは純質的な行為といわれる.(18・23.上村先生の訳))
(nityaM saGgarahitam arAgadveSataH kRtam/ aphalaprepusunA karma yat tat sAttvikam ucyate//)
- 先生の象について話のときに、ギリシャに和睦の条件として象を贈ったと言っていましたが、それはポエニ戦でハンニバルが象を使ったことと関係があるんでしょうか? (1年男子)
(多分関係あると思います.時期的にはドンピシャですしね.)
- ラーマクリシュナは実在した人物なのですか?(1年女子)
(はい.実在の人物です.インドの生んだ最大の宗教者の一人かも知れません.)
- マハーバーラタで、果報を願うことなく自らのカーストの義務を果たさなければならないというのをきいて、それは私たちにとって一番難しいことではないかなと思いました。でも、結果を重んじるのではなくその行為そのものが大切なのだという教えはすごくステキだなと思いました!(1年女子)
(下線部:その通りだと思います.「神に全て預ける」覚悟がないと実行は難しいでしょう.)
- インドの物語にはとても興味をもちました。2つの物語を両方読んでみたいと思います。あれは図書館
とかにおいてあるのでしょうか?買わないと無理なのでしょうか?(1年女子)
(調べてみてはいかがでしょう...)
- 叙事詩がたくさんあるのが凄いと思います。インドには、神様があれだけたくさんいるのだから、神話が多いのにも納得がいきます。
「大切なことは行為そのもの」という言葉に感動しました。インドの人々が魅せられるのも当然ですね。私ものめり込んでいます。
今日はラーマーヤナの登場人物を聞くのが、とても面白かったです。まさか、ブラフマーがここで出てくるとは思いも寄らなかったので、驚いています。話の合間に、「ラクシュマナを射抜く」イラストを見たのですが、ハヌマーンらしき人物が、射抜かれたラクシュマナの上で石のような物を持ち上げて微笑んでいた気がします。あれはどういうことなんでしょう?謎です。早く詳しいストーリーが聞きたいです。(1年女子)
(次回をお待ち下さい. ♪謎が解けていく〜)
- 世界最大の叙事詩がインドにあるとは意外でした。近寄りがたい高貴な神よりも人間臭い神の方が人気があるというのは現代の日本のアイドルにも共通するものがあるんだなと思い、より一層インドに親近感が湧きました。(1年男子)
(神さまの画は「神さまのブロマイド」とも言われているくらいです.)
- マハーバーラタにもラーマーヤナにもバラタという人物が出てきていましたが何かつながりはあるのでしょうか。それにしても桃太郎の元になる話がインドにあったとは驚きました。確か以前に岡山の地形になぞらえて作られた話だと聞いたのですが土着の伝承ではないの
んですか。(1年女子)
(本来繋がりはないはずです. 「ラーマーヤナ→桃太郎」説も一つの仮説です.もちろん,モチーフを提供した可能性は十分あります.)
- マハーバーラタやラーマーヤナにはすごい数の詩がありますが、全て民間から集められたのですか?それともマハーバーラタやラーマーヤナに載せるために誰かの手によって作られたのですか?(1年女子)
(あれだけの大作ですから,無数の人たちによって永年かけて作られていきました.口承伝承の世界においては,テクストは閉じてしまうことなく開いているのです.)
- (1) 最近講義に益々ヴィシュヌが現れます。彼女が人気になった説明はよく説明がありますが、誰が何のために人気をもたせようとしたのかは説明がありません。クリシュナもラーマもヴィシュヌより人気があるなら、わざわざヴィシュヌが彼らを取り込む必要もないと思うのですが・・・それとも、『三神一体』の思想は基本的にシヴァなどの特定の神を信仰しなければいけないという物で、その他の神は一応ヴィシュヌの化身という形にしておかなければならないという物なのでしょうか?
(2) あと、今までは「ヴィシュヌが色んな神に姿を変えて現れる」という説明でしたが、今回は「人気のあった神を取り込む」という表現をしてありました。どういう関連があるのでしょうか?
(3) バガヴァッドギーターの中にでてきた、「スヴァダルマを果たせ」という言葉にある、「カーストの義務を行うことに意義がある」という考えは当時の人にはかなり衝撃だったのではないでしょうか。しかしマハーバーラタの10万詩を詠みきった人はいるのだろうか?
(4) ラーマーヤナはなかなか楽しそうな話で次回が楽しみです。ちなみに『天空の城ラピュタ』の台詞に「ラーマヤーナでは、『インドラの矢』と呼ばれて云々」とありましたが、『ブラフマーの矢」と何か関係があるのでしょうか?(1年男子)
((1) まず,ヴィシュヌは男神です. 強い神を人々が求めたとき,「世界を三歩で歩いた」ヴィシュヌがその一つに選ばれたのでしょう.
(2) 最初から「人気のある神をアヴァターラとして取り込んだ」と申し上げていますよ.
(3) 当然います.インド人は凄いです.
(4) あれ,よく分からないんです.「ブラフマーの矢」なら最終兵器なので話が通じるのですが.)
- 一夫多妻制がある地域はインドの神様であるクリシュナがたくさんの女性を囲っていたことなどから、なんらかの形でそういうインド神話が伝わった影響もあったりするのかな?と思いました。(1年女子)
(いくらインドの影響力が大きいとは言え,そこまではいきませんよ (^^; 多分...)
- 最近インドの神様の存在が要らないという感じがします。シヴァ神とかじゃなくても神話中のサブキャラみたいなのを崇拝してもいいんですよね?(1年男子)
(サブキャラ崇拝で全く問題ありません.全ては繋がっているからです.)
- 大切なのは結果でなく行為そのもだとありましたが、行為そのもは大切だということはよくわかります。しかし、行為が大切と考える先には結局それによって結果がもたらされると考えているからではないかと思います。(3年女子)
(ギーターに即する限り,そうではありません.是非一読をお勧めします.)
- 今日引っ越しで、ベットを解体して車に積めている人がいて、一人で大変だな、、と思ったとき、私の頭にあれは彼のスヴァダルマだと言葉が浮かびまた(ちょっと違うと思うけど)。日常生活にこの授業が染みこんできた感がありますね。
バクティ信愛親愛を貫いたラーマクリシュナさんについてもっと知りたいので授業でしてください。(1年女子)
(とても残念なのですが詳しく説明する時間はおそらくないと思います.関係書物はたくさん出版されているので,是非図書館に行ってみて下さい.)
- (1) アルジュナが戦争で人を殺すのを嫌がったのに「svadharma
svadharumaを果たせ」「果報を願うな」などと神であるKrsnaが殺し合いを促したというのに驚きました。殺す側はともかく、殺される側はどうしたらよいのでしょうか。「殺されることがおまえのsvadharmasvadharumaだ」とでも言うのでしょうか。全ての神々は同じものであるのだから、神に裏切られたことになりますよね。なんか人間が神様の駒にされているような気がしました。同じことがRamayanaのブラフマーにも言えると思います。
(2) 大切なのは結果でなく行為そのもの、というのはその方が生き易いからだと思いました。今のところ、インドの宗教について私は「如何に気持ちを楽にして生きていくか、を説いている」ように思っています。(1年女子)
((1) いいセンスです.事実ギーターでは,主は万物の心の中にある.その幻力により万物を,からくりに乗せられたもののように回転させつつ.(18・61.上村先生訳)と説かれています.「全てを神に放擲せよ(神を信愛してお任せしろ)」ということが強調されているわけです.
(ICvaraH sarvabhUtAnAM hRddeCe 'rjuna tiSThati/ bhrAmayan sarvabhUtAni yantrArUDhAni mAyayA//) )
(2) それはインドの宗教に限らず,宗教全てに当てはまるものです.)
- 仲が良かったひとと戦いたくないというのは、人間として当たり前の気持ちなのに、あえてそれをさせるなど、いくら神でも横暴ではありませんか?(1年女子)
(絶対神ってそういうものです.人間を超えた高次の存在であるからこそ,人は神の前で謙虚になれるのでしょう. だから「神よ,なぜだ」と問う人は,神を信仰しなければいいのです.処方箋の一つですから.)
- 宗教は人が弱いから存在するっていうのは、かなり心に響きました。気持ちが弱くなると、神頼み・他力本願になるのは、まさしく日本の宗教に頼りきってる証拠だなと思いました。だからといって、これから自力本願になろうとは思いません。弱い人間なんで・・・(1年男子)
(下線部:間違った使い方です.理由は,間違った使い方の「他力本願」の対概念として用いているからです.正しい「他力本願」とは「阿弥陀仏が衆生を救済するはたらき」であり,「他人の力をあてにする」という意味ではありません. 自分が救いを求めようとする心,その心が起きること自体が阿弥陀仏のはたらきを被っている証拠だ,と考えるのが正しい他力本願の考え方です.)
- 人間は弱いから宗教があると聞いたとき本当にその通りだなと思いました。弱いところがあるからこそ人は宗教に頼りそれを心の支えにしてるんだと思うし、それによって強くなれたりすると思うからです。実際自分も神頼みをすることもあるし、それによって心が強くなったりします。人は誰でもどこかに弱さを持っていると思うし、それを補うための支えを必要としているんだなと思いました。(1年男子)
(宗教は「補償作用」かも知れません.)
- わたしは人間は弱いから宗教があるんだと聞いて、なるほどなぁと思いました。神様に頼ったりするのは、弱いからであって、何でもできれば、神様なんて存在してないよなと感じました。私は、神様という存在があるのは当然というかもともとあるみたいな感じで思っていたので神様は人が生み出したんだと改めて感じました。宗教学では普段気づいていない根本的なところを考えるのでとてもおもしろいです。(1年女子)
(「神は人間が編み出した」という発想自体,神の力を被って出てきているんだ,ということもできます.神の存在は形而上のもので,その存在証明も非存在証明もできません.)
- 人間が弱いから宗教があるという言葉は私たち日本人だから簡単に認めることができるというのはあると思います。以前アメリカで授業中にその話題になったときにその発言をした日本人がいてすごい反発にあっていました。宗教というものが深く入ってきていない日本でそのようなことに触れるのは、ニュートラルな意見が出てきて面白いものだなと思いました。(4年男子)
(その日本の方,多分きちんとプレゼンできなかったのしょう.ニュートラルというより知識不足なのではないかと思います.下の感想と回答を参照してください.)
- クリシュナの「結果よりも行為そのものの方が大切である」という言葉はなるほどその通りだなと思いました。また人間は弱いから宗教があるというのもその通りだと思います。昔から人々はどうしようもない危機(疫病など)に陥ると神頼みをするし、実際僕もすることがあります。人間が弱いから神頼みをするというのは決して悪いこととは思いません。むしろそれを支えとして強く生きていくことの方が大事だと思いました。(1年男子)
(その通りです.弱い一部の人間だけが宗教を必要としているのではないのです.「全ての人間は弱い」という理解・自覚が大切です.人は弱いからこそ宗教が必要なのであって,宗教を支えとして生きていくことができれば,もはやその人は弱さを克服したことになるのです. 「宗教を信じているやつは弱い人間だ」というのは大きな誤解です.)
- 人は完璧な存在ではないから宗教に頼ってしまうというのはわかる気がするけど、特に何の宗教も信仰しないで生きている人もいるのでみんながみんな頼っているわけではないと思う。実際僕も頼ってないですし・・・あ、今日台風で休講になるように神様に祈ってました!・・・人って弱いですね。(1年男子)
( (^_^; )
- 以前タイの寺院を訪れた際、タイの仏教文化に触れる機会がありました。黄色い袈裟に身をまとった僧侶たちには触れないように・彼らよりも頭を低くして写真を撮るように言われました。また、寺院に入る際には様々な衣服類の規定があり、それほど神聖な場所且つ尊敬される立場にあるという印象を受けました。また、タイの人々は毎日のように寺院を訪れるようで、路上ではお祈り道具らしきものが売られており、彼らから仏教は欠かせないものなんだと感じました。それほど熱心な宗教もあれば、「困ったときの神頼み」というように、受験などの時にだけ神にお願いする私。私は自分が弱い立場に置かれた時だけ神に祈っているような気がする。そう考えると、私の日常生活はそれほど宗教に根付いているとは言えないのかなと思いました。(2年女子)
(宗教とのつきあい方は人それぞれであって構いません.処方箋は一人一人違ってよいからです.)
- 今日の講義を受けて、結果より過程のほうが大事だと思った人が多数だと思いますが、私は一概にそうとは言えないと思いました。過程の方が大事なんだという考えに甘えて結果を残そうとしない人間が多いような気がします。(1年女子)
(面白い指摘ですね.ただ,私には,「過程の方が大事だと言って結果を残そうとしない人」は,「結果を残そうとしない」というやり方で結果にこだわっているように思えます.失敗に備えての予防線なのかも知れません.それでは過程を大切にしていることにはなりません.)
- 今日の授業で出てきたクリシュナは最初見たときは女の人かと思うくらい綺麗な人だなぁと思いました。そのクリシュナがアルジュナに説いた「自己存在の絶対肯定」は多くの人々が持つ色々な物事によって生まれる潜在的な罪悪感を解放したのではないかと思いました。いまだにbhagavadgitaが多くの人々に愛読される理由が分かる気がしました。
ラーマーヤナに関してひとつ疑問な点があったのですが、ラーマもブラフマーもヴィシュヌの化身であるのに、ひとつの物語の中に一方はヒーロー、また一方は無責任なおじいさんとして同時に存在し、ストーリーを構成しています。これはどういうことでしょうか。この物語が書かれたあとに、この二人がヴィシュヌに取り込まれたから、辻褄が合わない現象が起こったのだと考えられますが、ヴィシュヌ信仰をされている人々はこの現象をどう解釈しているのでしょうか。(1年女子)
(ラーマは明確にヴィシュヌのアヴァターラ(権化,化身)ですが,ブラフマーは必ずしもそうではありません.ただし,どれでもいいから一つの神を崇拝することで,絶対的な神に対する崇拝になる,という点ではラーマもブラフマーも同じ位置にあるといってよいでしょう.そしてそのような考えに立つとき,現象面での矛盾は大きな意味を持たなくなります.全てが大いなる絶対神と直結しているからです.)
- 今回の講義で印象に残ったのは、バガヴァッドギーターのなかで言われている、「大切なことは結果ではなく、行為そのものである」ということです。現在、日本では(その他の国々でもそうだと思うのですが)、ほとんど成果至上主義的な考え方で社会が成り立っているように思えます。「どんな方法でやろうが、また真剣にやろうが適当にやろうが結果がよければすべてよし。結果が悪ければどんなに真剣にやってもだめ!」このような考え方がふつうのこととして受け入れられているように思えます。確かにそういう考え方のほうが楽だし、今の日本で生きていくにはあっているのかもしれません。しかし、ずっとそういう考え方の中で生きていける人間はほとんどいないと思います。「大切なことは結果ではなく、行為そのものである」と言われれば楽になる場面も数多くあると思うし、時にはそう考えて生きていけたほうが幸せなのではないかと感じました。そういう考えがもう少し認められれば、自殺者も減少すると思うし、今の日本でももう少し安心して生きていけるようになるのではないでしょうか。(1年男子)
(私たちがギーターから学べる,最も大きなメッセージの一つだと思います.)
- 楽しみにしていた叙事詩の講義でした。やはり奥が深いと思いました。自己の存在の絶対肯定というのは見かけのものに惑わされずただそれがそこにあるから私はそれを肯定するということでしょうか。だとしたらそれはサンスカーラを排したひとつの結論だと思います。
ロケットランチャーは笑えました。2でも勝手な行動をしていたエイダが最後にロケットランチャーをくれます。1はしていませんが物語としてはブラフマー=ブラッド=エイダ→くたばれ化物!!という素晴らしい符合が出来上がってしまっているのでしょう。(1年男子)
(GAMECUBE 版の biohazard もいいですが,個人的にはプレステ版の BIOHAZARD Director's Cut (振動無し版)が一番のお気に入りです.もちろん 2 は 2 で好きですよ.豆腐最高!! )
- 今回、前に出てきた avatara の意味がよく分かりました。クリシュナがヴィシュヌの化身であることが、同一化されていたり、人気があったりすることにつながっている感じがしました。また、ギーターの中で、クリシュナが言った言葉は、宗教の極意のようなものを表しているような気がしました。そのことばとは、「よいことをすると報われると思うから輪廻転生の中で生死を繰り返してしまうのだ。果報を願わず、行為そのものを大事にしろ。バクティを持って、自分より高次のものにすべてを任せろ。」と言うものです。今のインドのように、ヒンドゥー教が生活に浸透してそれを中心にすべてが回っている事の意味がやっとわかったような気がしました。(1年女子)
(いやー,もういうことないなぁ.お見事です.)
【総評】ギーターの一節を引用します.訳文は上村先生のものです.
あなたの職務は行為そのものにある.決してその結果にはない.行為の結果を動機としてはいけない.また無為に執着してはならぬ.(2・47)人の生きる目的・意義は何か.人は何かしたから尊いのではない.人は存在するだけで尊いのだ.存在そのものに価値があるのであって,存在して何かした・何かをするからではない.私の価値(自己存在)は絶対肯定されている. 私はギーターからそういうメッセージを受け取りました.あなたはどんなメッセージを受け取りましたか? (鈴木隆泰)
(karmaNy evAdhikAras te mA phaleSu kadAcana/ mA karmaphalahetur bhUr mA te saGgo 'stv akarmaNi//)
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