6/11 授業の感想8号と回答
感想8号(総数 160名:県大生 70名,山大生 90名)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や感想の質には全く関係ありません.ただし「感想の内容」は評価対象となっています.
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仏教の興起と発展等の影響を受けて,バラモンやヴェーダ中心のヒンドゥー教は古典期を脱却し,大衆化の方向へと向いました.今回は神観念の変化と人生の三大目標についてお話ししました.
- 今回の講義からヒンドゥー教になり、今までとはまた違った考え方を学びました。三神一体や社会制度、人生の三大目標など。社会とは、宗教でできていると言っても過言ではないような気がしました。古典期から大衆期へと絶対的力、姿をもった神へと変化するにつれて、人々の生活や考え方も変わっていったんだろうなと感じました。(1年女子)
(人々の生活や考え方が変わったからこそ,神観念も変化したのかも知れません.おそらく,どちらが先,というより,「両者は相互補完的」といったほうがより正確でしょう.)
- 今日の授業で、みんなが目指しているもの、向かっているものは、見かけは違っても同じものなんだという「三神一体」の精神は、とても素晴らしいと思いました。これは私たちにも通じることであり、この考えを持つことで、お前はこれだかららだめだというように人をけなすこともなくなるだろうなと思いました。(2年女子)
(「宗教的融和精神」は,世界がヒンドゥー教から学べる・学ばなくてはならない大切なものの一つだと思っています. だからこそ,政治が宗教を利用して対立する現代インドには憂うべきものがあります.)
- 「人生の三大目標」のアルタやカーマについて、かなり具体的に触れていることにとても驚きました。実際それらは人間が生きるうえで不可欠であり、追求していくことは自然の道理だと思います。私は、そういった現実にまっすぐ向き合うというよりもそれらをある種美化したり(という以前にアルタやカーマを追求することを卑下するという感情があったのだと思いますが)抽象的にすることが宗教だ、というような固定観念があったことに気づくことができました。(1年女子)
(その固定観念もサンスカーラの産物です.打破できてよかったですね.)
- 人生の三大目標とインドの人口の多さに関係はあるのでしょうか。(1年女子)
(関係あります.子孫(特に男子)を残すことはヒンドゥー教徒の義務でもありますから.)
- ヒンドゥー教では、それぞれが崇拝する神様がいて、でもそれはすべて“あるひとつのもの”へと向かっていると教わりましたが、絶対的存在の神は“あるひとつのもの”のことなのですか“それぞれの崇拝する神”なのですか?(2年女子)
(その人にとっては,その人が崇拝する神(イシュタデーヴァター,と言います)が,そのままで“あるひとつのもの”になっています.「その人にとっては」という部分が重要です.客観的事実と混同すると多分理解できないと思います. 図解すると少しは分かりやすくなると思うので,ここの説明で分かりにくければ直接聞きにきて下さい.)
- シヴァの奥さんが状況に応じて姿を変えるのと、ヴィシュヌには化身がたくさんいるということを習いましたが、化身と状況に応じて姿を変えるのは同じ行為なのでしょうか?あと最近、濃い内容にもだんだん慣れてきました。(1年女子)
(同じ行為です.)
- 姿を変える神様は、ヴィシュヌとシヴァの奥さんの他にはいないのですか?(1年女子)
(観音菩薩なども変化(へんげ)します.)
- バガバッド・ギーターにおいて、太陽の光照作用はヴィシュヌに人格神化され、brahmanはブラフマーとして人格神化されたと聞きましたが、ではシヴァは前身である Rudra の、モンスーンの人格神化と見ていいのでしょうか?自分の中では、モンスーンの神格化がヒンドゥーの三大神の中にあると、あれ?と思うのですが…インドの人たちにとってモンスーンはそれほどまでに大きな存在なのでしょうか?(1年男子)
(Rudra がモンスーンの人格神化です.Rudra の観念に,インド固有の苦行者のイメージや性器崇拝が合わさって,シヴァ信仰が形成されていきました.季節風は暴力と恩寵の象徴で,大きな存在です.)
- ヒンドゥーが人々の生活に深く関わっていることがよく分かりました。人生の三大目標を追求することがカーストの再生産につながり、カーストを維持していくことになるというのはよく理解できました。(1年男子)
(カーストはヒンドゥー文化の社会的側面で,これなしにはヒンドゥー教は存続し得ません.)
- 今回の授業で一番印象深かったものは、ヴィシュヌ信仰の中のアヴァターラという思想でした。「神話に出てくる沢山の有名な神々が実は一人の神様の化身だった」と言われれば、それはすごい!私もその神様を崇めよう!と多くの人がなると思います。そこをうまく考えたヴィシュヌ教はすごいと思います。世の中に沢山ある宗教の中で、後世に残っていくにはこのような工夫を凝らす必要があったのだろうと思いました。ただ、それまで、神話の中の土着の神々を信仰していた人々は、それに何の違和感も感じなかったのでしょうか?私はブッダもヴィシュヌの化身と考えられていると聞いたときに、何か違和感と少しの反発を覚えました。
あと、(たしか)日光に祭られている徳川家康の権化(権現)もアヴァターラの一種だといわれて、あぁなるほどと納得しました。世界の歴史を調べたら、きっといろんなところにヒンドゥー教の思想との共通点が見つかるでしょうね。(1年女子)
(「ある人にとっての従来の神さまを信じる行為,それがそのままでより大きなものと繋がっていく」というのがアヴァターラ思想の核心部です.「そのまま」でいいのです. しかしサンスカーラの無常性の理解に立脚する仏教の場合は,確かに違和感が残りますね.特にヴィシュヌのアヴァターラとしてのブッダは,「わざと誤った教えを説いて,それを信じた悪人たちを地獄に落とした」とされていますから,違和感というより「ふざけるな」と言いたい気持ちが湧いてきます.)
- ヒンドゥーの人達は何をもって
持って、多くの神から崇める神を選ぶのか疑問に思いました。やはりカーストに関係しているのでしょうか??今日は授業を受けている途中ですごく混乱してしまい、バラモンとヒンドゥーの違いがわからなくなってしまいました。(1年女子)
(ヒンドゥーでは多くの場合三つの神を信仰します.地域で信仰する神グラーマデーヴァター,各家で信仰する神クラデーヴァター,そして個人で信仰する神イシュタデーヴァター,です.それらが別個の神であっても構いませんし,逆に全てが同じ神(例:グラーマデーヴァターもクラデーヴァターもイシュタデーヴァターも全てシヴァ)であっても構いません.「願い事に応じて神を選ぶ」場合も多いです.
バラモンはヴァルナ・カーストの名称であり,また,そこに属する人に対する呼称です.ヒンドゥーはインド文化そのものです.)
- 個々人が信仰している神が異なっていても、結局皆同じ方向に向かっているのだということに興味を抱きました。また、Brahmaa がかわいそうになりました。へそから生まれる絵が出てくるほど人気がなくなってしまうなんて・・・。でも、へそから生まれている絵を見た時には思わず笑ってしまいました。あと、お尋ねしたいのですが、avatara は魚・亀・猪・ヌリシンハ・ヴァーマナ・ブッタ・カルキ・クリシュナ・ラーマともうひとつは何でしょうか?(1年女子)
(パラシュラーマ(斧を持つラーマ.ラーマーヤナの主人公であるラーマとは別人.バラモンに害をなすクシャトリヤを成敗するアヴァターラ)です.)
- カーストでは生き方と考え方を切り離すことは出来ないと言うことですが、日本は宗教は自由で今の状態でインド人のような考え方を持つことは難しいだろうけどそれで自殺をしてしまう人が3万人もいるということは日本の恥じるべき点だと思います。
また、ヴィシュヌの化身にブッダが含まれているなんてとても驚きました。全く違う宗教どうしなのに妙なところで繋がっているのが不思議です。(1年女子)
(宗教は違っても構成員が同じだったのですよ.仏教とヒンドゥー教では.)
- 今日は宗教についてでしたが、仏教からヒンドゥー教に変わった経緯はヒンドゥーがいいんならいいや、という考えのようでしたが、仏教を信じていた人にとって仏教への気持ちはあまり濃いものではなかったのですか?(1年女子)
(ヒンドゥーの教義がその人の処方箋になっている限りはそれでよいのです.セクト主義を持ち出したら仏教は存続できません.「気持ちが濃くない」というのは全然別の話です.)
- カーストとヒンドゥーの関わりを理解することができて本当によかったです。今までにも先生がカーストを否定するばかりではいけないとおっしゃっていたのに、私は何故差別的階級を否定してはいけないのだろうかとそればかり考えていました。「生き方と考え方それが相まって初めてヒンドゥーが動く」という話は私の浅い知識と狭い考え方を見直させてくれました。(1年女子)
( (^^) )
- 人生の三大目標の全てが、結果としてカースト制維持のためであって、しかもそれに関する細かい指南書が存在するといいことから、ヒンドゥー教徒にとってカースト・jatiがどれほど生活の基盤になっているかが良く判りました。
化身の話が面白かったです。自分に恩恵をもたらしてくれるものは全て、「おぉ、神よ!!」ってことだったのでしょうか。
ラーマはヴィシュヌの化身だったのですね!!次は二大叙事詩の話しが聞けるとのことなので、とても楽しみです。(1年女子)
(楽しみにしていてください.)
- 月の例えを以前にも聞いたことがあります。人はそれぞれ違うものだということを前提にしながらそれでも連帯感を感じさせられ、とても不思議な気持ちになりました。この考え方を生活に取り入れることで争いごとを減らすことのできる、素敵な考え方だと思いました。(1年女子)
(私たちがヒンドゥーから学ぶことのできる大きな点ですよね.)
- インドの神様はカラフルですねー。今まで日本史選択で金か木目の地味な仏像しか見ていなかったとても新鮮です。今までカーストというのは差別的な制度ぐらいにしか思っていなかったのですが、今日 dharma, arta, karma の話を聞きとても合理的な制度なんだと見方が変わりました。それから資料を見ている時ちらりと映っていたのですが、sutra と千一夜物語はなにか関係があるのですか。(1年女子)
(神さまの画は「神さまのブロマイドだ」とも言われているくらいです.
カーマ・スートラ(性愛指南書)と千一夜物語,どちらも寝物語という点で共通しています.)
- カーストはヒンドゥーに内在するものであるならば、インドの仏教徒の人にはカーストは存在しないのですか? (1年女子)
(存在します.出家者に限れば,彼らはカースト(=インドの社会)を離脱していますが,在家者はインド社会に属していますから,同時にカーストにも所属しています.カーストはインド社会そのものなのですから.)
- カーストそのものに疑問を持つ人はいないんですか?そこから抜けたいと思えば抜けられるものなんですか?(1年女子)
(カーストを抜けたければインド社会から離脱しなければなりません.在家者である限り,必ず何らかのカースト(インド社会)に組み込まれていきます.)
- 仏教が人が幸せを得られるのなら仏教でなくてもよいというのは知っていましたが、ヒンドゥー教がブッダ
ブッタやキリストを神の化身だとしていたことには驚きました。てっきりヒンドゥー教の人たちは自分たちの宗教を死守しているのだとばっかり思っていました。講義を受けるたびに色々と考えさせられています。答えはなかなかでませんが考えるという行為はおもしろいので続けていこうと思います。(1年女子)
(一部誤解があります.ヒンドゥー教(特にヴィシュヌ派)ではブッダをヴィシュヌの化身(受肉化したヴィシュヌ)としますが,イエスを化身とはしていません.それはキリスト教です.キリスト教においては,イエスは神の一人子であると同時に,神の受肉化でもあるのです.)
- 特に愛欲の際に見せていただいた群像ですが、先生が「このチョコっとしたのが見えますか?と仰っていましたが。あんなにズームにしなくても結構でした。(1年男子)
(しっ,失礼しました...)
- カーストの生き方(行動)と考え方(思考)が切り離せないというのは、初め不便なように感じました。しかし、人生を捧げられるくらいの信念みたいなものをしっかり持っているのは、尊敬すべきことだと思いました。今の日本人にはなかなか生き方を変えるくらいの信念、考え方を持っている人は、少ないように感じます。また、人生の三大目標がカーストの継承、再生産に基づくものだと知り、インドの人々にとっていかにカーストが大事なものかがわかりました。(1年女子)
(行動原理に信念・信仰が反映されていないとき,状況によって「どう行動すべきか」が変わってしまいます.ときには他人に利用されてしまうこともあるのです.)
- 残念なことに、私はシヴァ神を女性だと思ってました・・・男性だったんですね・・・ゲーム世界の情報を信じきってる自分を発見しました。これから先、このことにおいて恥をかかずにすむようになったことに感謝します!!(1年女子)
(氷の召還獣シヴァは,英単語の shiver(身震い,おののき,寒気)に由来しています.一方,シヴァ神の ^siva とは「吉祥,めでたい,寂静」の意味です. 個人的趣味で言わせてもらえば,私はシヴァ神より氷の召還獣シヴァの方が好きです.「チョコボの不思議なダンジョン」のシヴァが特にお気に入りですね.)
- 仏教の衰退は、仏教の持つ『安心して生きることができるならどんな宗教でもいい』という性質が原因であるのを知りました。自らの性質で自身が滅びるのって、なんだかなぁ…と思いました。(1年女子)
(ここは少し誤解を与えてしまったかも知れないですね.説明し直しておきましょう.
仏教が衰退したのは,仏教が出家者中心に僧院に閉じこもり,難しい教義論争にのめり込んでいったことが最大の原因です.サンスカーラの無常性の理解に立脚し続ける限り,教義論争にのめり込むことも,完全に衰退することもなかったはずです.ただし,ある意味で仏教はインドの中には収まりきれないスケールを持っていたことは事実です.)
- 今回の講義で、インドで仏教が衰退し、ヒンドゥー教が浸透した理由がわかったような気がしました。例えば、キリスト教において蓄財を認めたカルヴァン派が急速に広まったように、実利を追求するアルタの考え方は人々の大きな支持を集めることに役立ったのだと思います。また、禁欲主義に走らず、性行為を肯定的に捉えるカーマの考え方も同様に人々に受け入れやすかったのだと思います。ヒンドゥー教徒の人生の三大目標はまさに生きることと直結したもので、合理的な考え方だと感心しました。(1年男子)
(一つ上の私の回答と,この感想とを合わせると,仏教衰退・ヒンドゥー教浸透の動きがより分かりやすくなるかと思います.)
- どの神様を信仰しても結局はつながっているとうのは、本当に争いのない平和なインドならではの特徴のように感じました。本来、平和や幸せを願うためにある神様で争うことは今思うと、バカバカしいことのように思えてきます。精神の面ではインドはすごく発展している国だと思いました。(1年女子)
(その通りです.)
- (1) スポーツ選手などが試合前にするイメージトレーニングもサンスカーラに当てはまるのですか。
(2) 文化の違いのため、絶対的唯一神を信仰する人々には、インドの様な様々な顔を持つ神様は受け入れ難いのではないかと思いますが、実際どうなのでしょうか。
(3) あと、昨日書き込みをしようと思ったら繋がらなかったのですがどうしたのでしょうか。ちなみに山大の図書館からです。(1年女子)
((1) サンスカーラです.そしてサンスカーラ通りに動けるようになることで,単なる無常なサンスカーラを乗り越えていくのです.
(2) そうだと思います.どのような神を信仰していようと,他人(特に他人の信仰)を侵さない限りはよいのではないかと思っています.
(3) 県大のネットワークがダウンしていたみたいです.でも何の予告もなく,また事後連絡もないので,詳細は不明です.ご迷惑をおかけしました.ネット管理者に代わりお詫びします.)
- インドは宗教対立があってパキスタンが分離したと聞いていたので、他宗教に対しては非寛容的なのだと思っていました。しかし、複数の神のうち誰を信仰してもよく、他宗教の釈尊までも取り込んでしまうところをみると、元々はとても寛容な宗教だったのだと驚きました。(1年女子)
(そうなんです.元来はとても宗教的に寛容だったのです...)
- 今回の授業で神様の絵を見た時、美しくて女性か男性か先生の説明を聞かないと本当にわかりませんでした、観音は国にいるとき女性だと言われましたが、それは本当ですか?(1年男子)
(教義に即する限り,観音菩薩は男性です.ただし歴史的に見た場合,観音が「仏教における女神信仰」の役割を担ってきたという事実があります.また,観音菩薩は衆生救済のため,様々な姿(化身!!)となって現れると,『法華経』というお経の中で説かれています.ですから,女性としての観音があったとしても,あながち間違いとは言い切れないのです. 観音信仰の立場から言えば,女性と思いたければ女性と思えばよい,大切なことは観音を信仰すること,ということになるでしょう.)
- 以前からどうしてこんなにたくさんの神がいるのだろうと、誰を拝めばいいのだろうと、不思議に思っていましたが、今回の講義でやっと謎が解けました!どの神を拝んでも、唯一絶対のものを拝むことになるんですね!!本当に驚きです。回を重ねるごとにインドの文化に感心が沸いてきます。宗教にこのように感心を持ったのは初めてなのでなんだかうれしいです。(1年女子)
(それを伺い,私も嬉しいです :-) )
- ヴィシュヌのお腹から生えた花の中からこんにちはしていたブラフマーがなんだかかわいくて最高でした!!1回目の授業でインドの神様の絵を見てからそれが気になって仕方がなかったので今回の授業もかなり楽しかったです。神様は本体は同じで、どれを拝んでもよいという考え方は仏教と同じだな〜と思いました。また、カースト制度に対する見方も変わりました。今までは、カースト制度というのは差別だと思っていましたが、それはインドの文化で、そこから切り離せないものだと知って、これこそサンスカーラだ!!と思いました。(1年女子)
(そうそう :-) )
- カースト制について、インドの人々が自ら選んで受け入れてきたという事実と、きちんとした理由があるということに、私がきちんと理解していなかっただけだと恥ずかしくなった。自分の生まれが、輪廻により決まっていき、インドの人々が自分の身分に従って生きていく。先生が日本人は行動と思考が乖離しているといわれましたが、実は仕事に左右されている日本人の身分の方が自由とは言えないのではないのかと思いました。(4年男子)
(その通りで,現代日本人にはインド人のカースト制度にあれこれ言う資格はありません.)
- 今回もまたたくさんの新しいことを知りました。カースト制のための人生の三大目標も初めて耳にしました。あと、カースト制が生き方と考え方を一致させることなど、前のサンスカーラの話と同様に、考えさせられるなあと思いました。ヒンドゥー教っておもしろいですね、というか宗教っておもしろいですね。(1年女子)
(面白いですよ.)
- 非常に偏狭な個人的見解ではクリシュナは伝説のナンパ師だと思っています。だから次回の講義では是非ともその汚名を雪いでほしいです。そしてシヴァとその妻の話ですがとても人間くさいエピソードが面白かったです。ガネーシャが生まれた理由は二人の痴話げんかのようで、第三の目が開いた理由も二人がイチャイチャしていたかのように書かれていました。自分で調べたいですが先生の見解もお聞きしたいです。(1年男子)
(伝説のナンパ師!! (^o^;
クリシュナにせよシヴァにせよ,超越的な神でありながら人間らしい奔放さを兼ね備えている,そのようなところがインドの人たちをより一層惹きつけるのです. 高尚すぎて人気が出なかったブラフマーとは対照的です.)
- 様々な神様を崇めつつも、総ては一つのものへの信仰であるという考え方は、とても洗練された宗教観であると感じました。しかし仏教とキリスト教とイスラム教と、根本的に異なる宗教間においてはそのような観念の存在は難しいんでしょうね。しかも私自身、自分の信仰する神が(もしいたとして)、全く異なる宗教の人が信仰する神と仲間で、私もその人も実は同じものを崇めているのだ、と言われたら納得したくないと思ってしまうのですが・・・これはエゴなのかもしれませんね。でも無理にくくらなくても、別別なそれぞれを、互いに認め合う形で収まるのが一番理想だとは思います。(1年女子)
(下線部:キリスト教徒の崇める神も,イスラーム教徒(ムスリム)の崇める神も,実は同じ神です.同じ神だからこそ,その神のことばの解釈(具体的には教義と実践)を巡って対立が起こるのです.)
- ブラフマーがヴィシュヌのへそから出たというのがうけました。それでなんで親しみが持たれないのかがわかりません。カースト制が生き方を考え方に近づけていくものだというのを聞いて、少しヒンドゥー教に対する見方が変わりました。でもやはり私個人としては、カースト制は嫌いです。(1年男子)
(下線部:それで OK です.
ブラフマー,へそから生まれて茶目っ気たっぷりなのに,人気がないとはかわいそうですよね.ファンになってあげてください :-) )
- カースト制度を昔の日本の身分制度のようなものととらえていたのですが本当は違っていたということを知りました。また、インドの神様は日本の神様と比べて、以前よりさらに人間に近いような気がしました。しかし、多くの神様が武器を装備しているのは人間達をけん制するためでしょうか?(1年男子)
(神の武器は悪を退治するためにあります.)
- kama については現代のインドの人口の多さにも深く関わっているのではないかと思いました。カーストの再生産をスムーズに行うために子孫を残すことを重要視しているのは次代を見据えた考え方だと思います。日本の年金問題がふと頭に浮かびました。(1年男子)
(よいセンスです.)
- カーストにおいて、自分の仕事と他の人の仕事は違うけれど目標は同じであるというのはとても素敵だと思いました。その考えは神々を信仰することにおいても同様なのですね。(1年女子)
(その通りです. よくできました :-) )
- ヒンドゥー教の大衆化の手段が神観念の変化であったことは興味深いと思いました。また神に姿と強い力を持たせたことで人々が仏教信仰からヒンドゥー教信仰に移ったことを考えると、人々が信仰する神ははっきりとした具体的なもののほうがいいのだということがいえると思いました。ここでひとつ疑問なのは、いったい誰がヒンドゥー教の大衆化の手段として、神観念の変化を思いつき、神に姿と力を持たせたのかということです。この方法は結果的には大成功をおさめましたが、なぜこの方法を選んだのかが疑問です。また、今回の講義では、カーストはヒンドゥーのいう思考・思想の生き方であるから、両者を切り離して生きていくことはできない、ということが印象に残りました。先生がおっしゃったように、今日我々は考え方・思想と生き方・行動が解離していることが頻繁にあるし、それはほとんど当然のこととして無意識に行われていると思います。思想と生き方をつねにセットにするというのは我々には無理なことだと思います。しかし、常に思想にもとづいた生き方をするのが正しいことだとは思いません。今の日本でそれをしたらふつうに生活するのは困難だと思います。それが常にできるのは、その考えがずっと続いてきたインドにおいてだからだと思います。しかし、日本でももう少しそういう生き方をするようにできれば、毎年3万人もの自殺者は出ないかもしれないと思います。(1年男子)
(「方法を選んだ」というより「そうしたかった」「そういう神を信仰したかった」という自然な気持ちの表れだったのではないでしょうか.)
【総評】ヒンドゥーに「宗教的融和の可能性」を読み取ってくれた方が多く,頼もしく感じます. それだからこそ,イギリスの植民地支配を経て,「ヒンドゥーとイスラームの対立構図」の中で,インドが分離独立に向っていってしまう様,そしてそれを何とか止めようとしたガーンディーを襲う悲劇を思うとき,何ともいたたまれない気持ちになります.(鈴木隆泰)
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