12月19日
代理母出産



G「今日のテーマは代理母出産についてです。代理母出産とは不妊の女性が第三者の子宮を借りて出産することで自分の中では反対なんですけど、賛成な部分もあって・・・。代理母出産を初めて知った時の印象は?」
H「出産後が大変そう。産んだ人が子供に情がうつる。」
B「同じです。」
G「今出た子供に情がうつるっていう事件が1985年アメリカで起こったんですよ。代理母が自分が産んだ子供を連れて逃げたんです。それで最後は裁判になって結局代理母に面会権を与えるという形で終わったんです。」
E「日本で代理母出産の話があって・・・。」
G「長野県ですよね?」
E「どうなったんですか?」
G「医師が学会を除名されて・・・。ところで代理母出産は賛成、反対?」
H「賛成です。痛みに耐えたり不安もあるだろうに出産を引き受けてくれる人もいることだし。」
E「いいことだとは思うけど子供がお母さんが2人いるって分かった時どう思うだろう。」
J「それだったら養子関係が認められないんじゃあ・・・。」
C「賛成です。」
G「あなたが実際子供が産めなかったら代理母の子宮を借りて育てたいと思いますか?」
D「借りたくなると思います。どうしても子供が欲しければすがりつくと思います。」
H「私も借りたくなると思います。」
J「私は絶対借りたくないっていう人はいますか?」
G「私はあまりしたくないです。出産する人がすごいリスクがかかるから。他人にそこまでにリスクをかけられない。」
J「でも代理母は自分から申し出るんですよ。」
G「それでも・・・。ちなみに費用はご存知ですか?1000〜2000万ぐらいかかるんですよ。これは成功した場合で。それでも代理母出産望みますか?」
H「生活によると思う。」
J「今一般世帯の貯金は1000万ぐらいあると言われてて。それぐらい出せるんじゃないかな。」
G「1000万かけて子供を作りますか?代理母出産は人の手がかかり過ぎているんじゃあ。」
J「“子供を作る”という発想は恐いな。もし障害者が生まれてきた場合には失敗作になってしまう。医師が悪いとなってくる。」
一同納得。
G「じゃあ視点を変えて自分が代理母出産の子供だと考えたらどちらが親?」

H「設定が違えば変わってくるけど今言われたら代理母にも感謝出来ると思う。」
G「もし自分が代理母の子供だと何らかの形で知らされたらどう感じますか?やっぱり父を含めて親は3人と思うのか。」
J「ただでさえ少子化の時代なのに親を何人もかかえてたいへんだな。」
G「また視点を変えて自分だったらお腹を貸そうと思うか?」
B「いいえ。そこまでのリスクをしょってまでお金が欲しくない。情が移ると思うから。」
H「自分が健康だったら貸すかも。そういう経験をしてみたい。」
J「みんな子供を産んだ経験がないからよく分からない。」
G「代理母がビジネス化してしまう。このことに対してはどう思う?」
J「別にその方がいいんじゃ。」
G「そうすると代理母は子供を産む機械になってしまう。」
J「機械だったらお金を欲しいと思わないでしょ?」
G「代理母は道具、子供は商品化になっているんじゃ。」
       しばらく沈黙。みんな何か考えている様子。
J「どうして産んで欲しいと思うのか。養子でもいい気が・・・。」
E「養子を取ったら自分達とはまったく関わりのない他人の子供で代理母出産だったら子宮を借りるだけで自分の子供だと思う。だから子供は自分が養子だと分かった時と代理母出産だと分かった時とショックの大きさが変わってくると思う。どう思いますか?」
A「代理母出産の方が難しそう。養子だったらある程度割り切れる。」
E「みなさんに聞きたいんですけど自分が養子と代理母出産の子供だったらどっちがショックが大きいか?自分は養子の方がショック。」
D「どっちもショックでどちらかわからない。」
C「私もそうだけど育ててくれた人が親だと思う。」
H「今言われたらどっちの場合もショックではない。逆におもしろい。」
B「代理母がいたら会いたくなる。」
G「うんうん。」


《編集後記》
今回の話題はみんな出産とか未経験な分、意見とか言いにくかったと思うけど、それでもいろいろ1人1人の考え方とか主義みたいにものが聞けて書記をしていてとても勉強になったしおもしろかったです。私の個人の意見としては代理母出産については反対派で、高いお金を払って、人に産んでもらってまで自分の子供を作るよりは親がいない施設とかにいる子供を引き取って育てて欲しいなと思いました。(書記)


子供は“作るもの”ではなく“授かりもの” もっと宗教的に言えば“預かりもの”だと思っています.かつて,人間の理性を信頼する人間中心主義(ヒューマニズム)は,宗教(特にキリスト教)に由来する不合理な抑圧から人間を解放してきました.しかし人間が「あらたな神」となってしまった結果,ヒューマニズムがかえって人間に対して危険なものとなっている気がしてなりません.果たしてヒューマニズムは人間の暴走を止めることができるのでしょうか.危惧する一方,人間の理性に期待してみたい気もします.

(鈴木隆泰)


基礎演習 II・IV

アジア文化論研究室

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