6月27日
幸福について



C:幸福についての考えは人それぞれでしょうけれど意見をぶつけていきたいと思います。
あるドキュメンタリー番組で中国の山奥に住んでいる家族の話がありました。その家族は工芸品を作って時々町へ売りに行っています。町へは谷を渡っていくのですが橋はなく、一本渡してあるロープを使って命がけで町に行きます。工芸品を売ったわずかなお金で生活に必要なものを買うのですが、子供がお菓子を欲しがったんです。この家族にとってお菓子はとても高価なものなのですが、父親は仕方なく店に入って硬いビスケットを二枚買ってやりました。それを子供はとても美味しそうに食べました。
あんなに美味しそうに食べている人をはじめて見てこの子は幸せだと思ったんです。
貧しい人は不幸だと思っていたけれどお金持ちにはない幸せを感じていると思いました。
その家族は幸せと思いますか?
I:難しい。見たわけではないので。でも、お菓子を買ってもらったとき嬉しそうにしていたのなら不幸ではない。お父さんも嬉しかったのではないか。
H:今の生活を守ることが幸せなのではないか。お金がなくて贅沢をしなくても生きているのなら幸せだと思う。
G:周りも同じような生活だろう。家族がいることで幸せだと思う。
F:よそから見て不幸とかは関係ない。その子供が幸せと思っていたら幸せ。
E:子供が喜んでいるから幸せだろう。でもテレビに映ってない部分もあるし、本当に幸せだろうか。
B:自分が決めること。その子が幸せなら幸せ。でも私はそういう生活は嫌だ。
A:その瞬間はよくても、不幸だと思う。
C:私の観点から私とその家族を見比べて、どっちが幸せか見比べられない。
貧しい人と比べると今の生活がいいと思うけれど、知らないならどっちでもいい。
I:今なら、今の便利な生活。今の生活を知らないのならどちらでもいい。
H:彼らが便利な生活を体験して元の生活に戻れるのか?不便の中にも幸せはある。
G:便利な生活から不便な生活へ戻って満足できるのか?人は豊かで便利な生活を求める。
喜んで戻れるのか?
F:元からそこに住んでいればその中で見つけられる。
E:テレビの外では幸せかどうかわからないと言ったが、そこにいて、それが普通なら幸せかと思う。
B:貧しくないほうがいいけれど、それで幸せかは状況による。自分が幸せを決める。豊かさでは判断できない。
A:お金があっても心が貧しい人もいる。幸せはその人が見つける。
J:幸せの価値は人それぞれ。一概には言えない。
C:豊かなことが幸せ、そんなのは関係ないというのも人それぞれ。私は幸せは貧富の問題ではないと思う。
姉と幸せについて話し合ったとき、私は幸せを日常の小さな感動の中に感じますが、
姉は目標を達成することを幸せと思っているようなんです。
皆さんはどうですか?
J:両方。日常の感動にも目標達成にも幸せを感じる。
C:達成が嬉しいのですか、達成させることがいいのですか?
J:両方。させた満足、した後の達成感。
K:目標の達成=幸せ、では失敗したときは?
J:失敗したときは日々の幸せがある。
C:自分の理想通りになれば幸せ?
I:両方。小さい頃は、目標達成=幸せと思っていて、日常の幸せは幸せと思ってなかった。
K:目標に向かっているときはどうなのか?
I:目標は努力して得る幸せ。大学に入りたいとか試験に合格したいとか。
そのために他の幸せを感じるのは「逃げ」だと思っていた。
K:達成できなかったら不幸?
I:昔はそうだった。今は違う。
達成できなかったら諦めて次を見つける。やっていないのと同じとは思わない。
そのために身につけたものはある。
K:それは幸せか?
I:難しい目標達成=幸せ、達成できなかった=不幸ではない。
達成できなかったその時は不幸だけど後になっていい経験をして幸せだと思うこともある。
C:私にとって幸せとは感情的な喜びなんです。
姉は感情を抜きにして目標を達成した事実を幸せという。
私にとってそれはただの事実。
K:幸せを感じるか幸せを認知するということか。
C:その部分は人それぞれだと思う。
何を幸せというか?
他にも意見があるかと思って。
K:わあっと感じることもあればしみじみ考えて幸せと感じることはある。
これがそうだと思うのは解らない。
G:幸せを主観的に見るか、客観的に見るか。
それは両方あると思う。
C:幸せという言葉の定義が違う。
自分の価値観で話していて、口論になって、人それぞれと解ってから理解できないものもあると知って、ほかの人も理解できないものを持っているのかと思って聞いてみたかった。
K:幸福、幸せ、歓喜など全て同じものを言い換えているのではないか?
喜び=幸福でいいのでは?感情を伴わずに幸せ?よくわからない。
A:お姉さんは幸せと達成感を結び付けていない?
C:そうです。
K:普段どんな生活をしているの?
C:一言で言うと「変わってる。」
何を考えているのか分からない。
いろいろあるのだろうけど、学校生活にも適応していなかった。
今は専門学校に行っている。
姉と同じ考えの人、もっと違う考えの人がいるかと思って聞いてみたかった。
K:幸せなんて無いと思う人もいるし、いつも幸せと思う人もいる。
姉妹でこういうことを話し合えることが幸せではないのか。
C:哲学者は「幸福論」とかを出しているけど……。
K:哲学者は簡単なことを難しく言うもの。
人は幸せになるために生まれたと思っている。
C:最後にどんなときに幸せを感じますか。
J:自分の中の幸せは意識的な幸せと無意識的な幸せがある。
本当の幸せは無意識でもそう感じるもの。
H:今生きていることが幸せ。その中に喜びがあればさらに幸せ。
G:単純に夜寝るときが幸せ。
E:自分の状況で変わる。余裕があればたとえ悲しいことでもそう感じることを
幸せと思うだろうし、余裕がなければ幸せを感じない。
C:感情を持つことが幸せ。
B:大切な人が健康で一緒にいられれば幸せ。
A:幸せと感じれば幸せ。
D:何もせずにボーっとしているとき。
K:皆はゲーと思うかも知れないけれど、勉強しているときが幸せ。
幸せを他人とリンクさせると失ったときに不幸になる。
輪廻を信じているから生まれ変わったとき少しでも覚えていたい。

《編集後記》 書記なんて生まれて初めてやったので大変でした。
幸せは高望みさえしなければ身近にあるものと思ってますがどうでしょうか。私は側面がギザギザの十円玉をお釣りで貰うと幸せを感じます。他人から見ればくだらないことこの上ないですが幸せなんてそんなものでいいと思います。


「ギザギザの十円玉!!」 我が家では不幸の象徴になっていたりします(爆) ことほど左様に「何が幸せか」は人によって差がありますね.

(鈴木隆泰)


基礎演習 I・III

アジア文化論研究室

HOME

suzuki AT ypu.jp