5月23日
写真から受ける印象

発案者であるAさんがナショナルジオグラフィックに載せられた2つの写真(赤い布の女の人と青い布の女の人)を見て先入観なしの印象を聞きたいと雑誌を開いた。「目から強い意志を感じる」や「赤い布の人はきれい」「青い方は反対に怖い」「この二人は同一人物じゃないの?」などの意見が出た。

A:この二つの写真の女の人はパキスタンの人で実は同一人物なんです。赤い布の方が約13歳で青い布の方が17年後のものです。この赤い方が掲載された時にすごい反響があって17年間人々に訴え続けた顔として今回創刊で載せられたのですが、なぜこの写真が人々に十数年もの間印象づけられてきたのか?ということを議論していきたいです。
B:目が特徴的だからでは?
C:目から強い意志を感じる。
B:いや、でもアフガンの人という説明があるから、そう感じるのかも。
D:もしかしたら写真をとられることに戸惑っているのかもしれない。
A:そうかもしれないです。これは白人の人が撮ったのですがこの女の人のコメントに「写真を撮られることに腹が立った」とあります。
B:厳格なムスリムだと腹が立つだろうね。
A:でも、そうだとしてもこの写真を誰もを忘れることはなかった。それは何故なのでしょうか?
E:今、パキスタンが話題になっているからではないのか。
F:でも、強い意志を感じる。日本人の13歳と違って自分を持っている気がする。
A:自分もそう思います。生きてきた環境が大きく影響しているのではないかと。
G:逆境の中で頑張っている感じがする。
A:では、どうして、たくさんいる人の中からこの人を撮ったのでしょう?コメントにはこの子だけが警戒していたから、と書かれているけれど、なぜ警戒していたのか?
D:元からそういう顔だったのではないか。
H:文章にそうかいてあるからそう思うのではないか?
E:カメラマンの先入観もあるのかもしれない。

ここでAさんからこの女の人について詳しい説明がある。

A:青い布の方が今のこの人です。この人は結婚して母親になっています。そしてアフガンで住んでいます。子供を一人亡くしています。これを聞いた上でこの写真について話し合いたい。
H:青い布の方がやっぱり怒っている気がする。人生がつらかったように思える。
A:結婚の日だけが幸せだったらしいです。タリバンがあったときの方が幸せだったとあります。私たちの考え方と違うのかもしれない。
B:タリバン時代は恐怖政治だったけど争いがなかったから、女の人は幸せだった。
A:けれど年と周りの環境だけでこんなに変わってしまうのだろうか?
B:結婚生活が嫌だったとか。
H:子供が死んだから?
B:それはないと思う。向こうは子供が死ぬことは普通だし、日本でも同じだ。他にも守るものがあるから。
D:思うに、日本人の写真だったら理由を個人的なもので考えてしまうが、アフガンという地域では、個人より社会的な理由を考えてしまう。社会に対して怒っているように思える。
I:白人に嫌悪感があるのではないか。
G:説明を聞いても最初の印象と変わることはない。
E:メディアに対して怒っているとしか受け取れない。
B:説明を聞いていて思うのだが、結婚式の一日しか幸せでなかったというのはおかしくないか!?家族、子供がいて、今生きているのに、それ以上の幸せっていうのは何だろうか?
D:メディアが誇張して言っているのかもしれない。
I:理想を求め過ぎているのではないか。
B:アフガンという言葉を聞くとそれに惑わされるかもしれない。
A:だから、皆の意見を聞いてみたかった。

この写真の人へのインタヴューを読み上げる。「今、安心して暮らせているか。」「いいえ。タリバンの方が良かった」「教育についてどう思うか」「子供には技術を身に付けてほしいが、13歳の子はもう遅すぎる」

E:教育に遅いということはない。これからいくらでも出来る。
D:自由が分からなくて戸惑っているのではないだろうか。
H:私たちの価値観と向こうは違うからかも。
A:宗教に関係しているのかも。

ここから話題はそれて鯨の話へ・・・

《編集後記》
発案者は話を事前に計算していて、アフガンの人と日本人の違いに持っていきたかったらしい。しかし予想通りには、進まなかった。けれど「まとまらない議論」が良いこの授業。これでよかったと思う。
予想通りに進まないのは、皆が違う意見をもっているということだ。


報告者も大分この演習に慣れてきたようですね.この調子で「正解のない議論」を続けてみましょう.

(鈴木隆泰)


基礎演習 I・III

アジア文化論研究室

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