1/24 授業の感想14号(最終号)と回答
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今回で最終回.鎌倉仏教から江戸を通じて現代まで見ていきました.
- この講義を受ける前、仏教は私にとってただお葬式とか法事とか、観光地としてのお寺のイメージが強く、それほど身近なものではありませんでした。しかし、この講義の中で、釈尊のもった考えや、今現在日本に生きている各宗派の教えのできてきた過程を知った事によって、仏教にもっと日常的に触れてみたいと思うようになりました。一度、説教を聞いた事はあるのですが、また機会があれば、先生が言われたように、お寺に行ってお坊さんと話をしてみたいと思います。(4年女子)
(是非試してみて下さい.)
- 今日もいろいろな宗派の勉強をして、たくさんの宗派があることを知った。しかし一つ疑問に思ったのは、私たちはほとんどの人が、最初からその家の宗教が決まっていて、それは一人一人がそれぞれに合った処方箋を選べていないのでは?と思った。 なた、江戸時代に檀家を決めるとき、一人一人が自分の処方箋に合ったものを選べたのかも疑問である。(2年女子)
(今からでも遅くはないかも...)
- 授業の最後に先生が書かれた「自分の処方箋をもっていますか?」というメッセージがとても気になりました。
家の宗教は浄土真宗ですが、私はその宗教に特に関心も持っていませんでした。もし何らかの救いが必要となったとき、私は何に頼ろうとするのだろうかと考えました。今のところそれはまだ見つかっていませんが、これから先、宗教に限らず何らかの形で私にとっての処方箋が見つかったらなと思っています。(3年女子)
(いざというときにドタバタしてインチキに引っ掛かったりしないように,心に余裕のあるときから心構えを持っておく方が確実でしょう.)
- 仏教文化を学んで自分の視野が広くなったような感じがします。今まで持ていた固定観念を払拭する事ができました。釈尊をはじめ、栄西や道元,日蓮など昔の人は自分と向き合い良く物事を考えているなぁと感じました。自分の処方箋を持つ事によって、また処方箋が何かを見極める事によってこれからの人生をより豊かにしていけたらいいなと思います。分かりやすく、面白い講義をしていただきありがとうございました。(2年女子)
(ありがとうございました.)
- 今まで釈尊の教えから始まり、日本の仏教を見てきて、仏教もいいものだと感じました。特に私は釈尊の教えに感動しました。現在、なかなか信じる事のできない教えが出回っていると思います。このような宗教にひっかからないように生きていきたいと思います☆(3年女子)
(仏教もなかなかよいものでしょう?)
- 今まで法然が浄土宗で専修念仏、親鸞が浄土真宗で念仏を唱えれば往生できると、教わってきたわけですがいまいち違いが理解できませんでした。しかし今日の講義で浄土宗は修行としての念仏で、浄土真宗はお礼としての念仏というのに、とてもしっくりきました。私が思うに浄土宗より浄土真宗が一般的に信者が多いように思うのですが、やはりそれは易行であり念仏を唱える時点で往生できるという点が民衆には受けがよかったのでしょうか。確か家は曹洞宗だと思うので、もっと道元・曹洞宗の話が聞きたかったです。(3年女子)
(時間の都合でごめんなさい.)
- 法然よりも、親鸞の浄土真宗の方が、簡単に出来そうな気がしました。私の地元では、浄土真宗の家が多いのですが、やはり、地域によって宗派が違うのでしょうか?
母方の家の法事でいつも法事の最後にお坊さんが話をしてくれるのですが、自慢話ばかりで、うんざりしています。やはりこのお坊さんはあんまり良くない人なのでしょうか・・・。(2年女子)
(地域による差は大きいですよ.祖師やその教団がどの方面に教宣を張ったかによるのです.
「自慢話ばかりでうんざり」なんですか (^^; あなたの方から仏教の方向へ話しを持っていってはどうでしょう? お坊さん自身が「仏教の話しをしても面白く思ってもらえないのでは」と考えていることもあります.)
- 仏教やキリスト教など、宗教というものはなんだか遠い世界のことで、自分にはあまり関係のないことだと思っていた。しかし、サンスカーラや、リンゴ、処方箋など、色々な例えがあったように、その思想は案外、自分の身近なとこにもつながっているのだなと感じた。この授業では色々と新しい発見があったりして、有意義な時間だったなと思った。(2年女子)
(これから活かしていってもらえると嬉しいです.)
- この講義の最初の時間は仏教について「お釈迦様が開いた」「世界三大宗教のひとつ」といったことしか知らなかったのに、今では仏教に対してまったく違った、もっと複雑な思いをもっています。
特に最後の「あなたは自分の処方箋を持っていますか」という部分は印象的でした。仏教を勉強したことによって釈尊の教えや歴史を知ることができただけではなく、自分の生き方に対する考え方が変わったように思います。(2年女子)
(私も含め,皆さん,正しい処方箋を持つようにしたいものです.)
- 授業の端々でいんちき宗教にひっかからないための考え方についての話があったのでとても役に立ちました(笑)(3年女子)
(是非活用してください.)
- 最後に「あなたは自分の処方箋を持っていますか」と書かれたのを見て考えてしまいました。自分には思い浮かぶものがなかったのです。この講義を受ける前まではそれでも良かったかも知れないけど、講義を受けた今は自分の処方箋を持ちたいと思うので、時間はかかるかもしれないけど自分なりに見つけていこうと思います。(2年女子)
(見つけてみましょう,あなたの処方箋.)
- 親鸞の話は強烈でした。男色とか…。でもそれによって“人は罪を犯さなければ生きていけない”ことを知り、“そういう人でも救われるんだ”という風に変わり、教えを確立したんですよね。日蓮の話は、私の家が思いっきり日蓮宗なので改めて理解できました。どんな世界でも、そこにいる人次第で地獄にも浄土にもなるというのが本当に印象的でした。私の処方箋はなんだろう。(2年女子)
(菩提寺に話を聴きに行ってみるのもいいかも知れません.)
- 親鸞の話がとても印象に残りました。「悪人往生」ということばの深さをすごく感じました。また、「信じる者は救われる」ということばの本当の意味も知ることができ、今日は驚くことばかりでした。講義を聞きながら、浄土真宗ってすごいなと、感心してばかりいたんですけど、それってやっぱり実家が浄土真宗だからなんでしょうか・・・。(2年女子)
(自分の家の宗旨が分かってよかったでしょう?)
- 日蓮が、人々に誇りを持つこと、皆が価値ある存在なんだと認識することを教えたことに共感しました。誇りを失うことによって人間はどこまでも堕落し、自分が悪行を働くことを許してしまうし、自分、そして他者の尊厳を認めるということは真に人間らしく生きることの原点と思います。この講義では仏教の出発点から、日本での歴史まで聞くことができ有意義でした。中国での仏教の発展の歴史についても詳しく知りたいと思います。(3年女子)
(中国仏教は,その教義の難易度と講義時間の関係とで,残念ながらほとんど割愛させていただきました.私としても本当はお話ししたかったのですが.)
- 寺と壇家の関係について、檀那が寺にお布施することについてですが、祖父が寺にお布施していたのを思い出しました。少しの時間、拝んでもらうだけなのに、いつも高い金額を納めなければなりません。そのお寺の人は高い車を3台も持っているのを見たときに本当にご利益があるのかなと疑問に思いました。お寺は収入が得られると修行しなくなるとは本当のことだと思いました。(2年女子)
(問題は,あなたがお寺とどのように向き合うかです.)
- 猟師や漁師など、殺生をなりわいとしている人の話が印象的でした。私たちは、殺すのはその人たちに任せておいておいしいところばっかり持っていく。私はテレビで屠殺の場面がでてくると、チャンネルを変えてしまいます。自分も食べているのに…と思いながらも見るのが恐いです。この人たちがいないと私たちは生きていけないのだから、殺生すると救われない、という考えは少し違うと感じました。
私の家は確か真言宗だったと思うのですが、よく祖母は「はんらーはーたーみーたー…」と唱えていたような気がします。それで私は、「『あん』と言ったらいいよ」と言われていました。「あん」とは何なのでしょうか?(2年女子)
(真言(マントラ)だと思います.菩提寺に聴いた方がいいですよ.)
- 鎌倉仏教は民衆向けの仏教だったという意味がわかりました。それまで、仏教は国のものでしかなかったのに、法然、親鸞、日蓮等の仏教によって、人々は、初めて処方箋を得る道を知ったのかもしれませんね。また、それが簡単にできるというのもあるし、何よりも、自分たちの存在を認められているという点が民衆の信仰につながっていたのですね。
私は、人間は絶対に一人では生きていけないと思います。(自立することと独りになるというのは意味が違うと思います。)人間は心のよりどころが必要な生き物だと思います。こんなに近くに処方箋があるのに、私は仏教のことをいままでよく知りませんでした。だから、もっといろんな人に教えてあげたいし(そうすると私の主観が入るから相手にとってはサンスカーラになるのな?)、私ももっと仏教について知りたいと思いました。
すっごく素朴な疑問なんですけど、最後の最後で変な質問ですが、小さい頃仏様のことを「まんまーちゃん」って言ってたんですけど何なんでしょう???(2年女子)
(「まんまんさん」とは「仏さま」を表す方言の一種です.)
- 今日もいくつかホ〜と思いましたが、親鸞の念仏の話に登場した「信じる者は救われる」についての話は印象に残りました。この言葉は、間違った捉え方をされがちだと思います。自販機のように「信じる」というコインを入れたら、下からポンと「救い」が出てくるような考え方ではありません。勘違いをしてしまったら、それこそインチキ宗教にはまってしまいます。また一つ賢くなりました!! 仏教の授業はとても有意義な時間でした!! 身近なものとして仏教について、またさらに宗教という大きな枠についても考えて行きたいと思います。(2年女子)
(この講義をきっかけにして,これから理解を深めていってもらえると嬉しいです.)
- 今日で最後の授業でしたが、今までの充実した授業を振り返ってみて、すごく達成感を感じています。仏教を学ぶにあたって歴史嫌いの私はあまり気が進まないというか、自分にはあまり関係のないことかなあと思っていたのですが、実際学び始めると自分の身近な所と仏教の考えが繋がっていたり、新しい発見がたくさんあって毎回とても新鮮でした。視野がひろがったようでとても嬉しいです。これからも仏教を身近に感じ、意識していきたいです。(3年女子)
(これからも仏教を,そして宗教を感じ,意識していってください.)
- この授業で仏教だけではなく、宗教について、また人間そのものについて考えたような気がします。他人を救えるとか、救いたいとかは思い上がりのような気がして嫌だけど、自分にも他人にも、傷や病気を癒せる「正しい処方箋」を出せる人間を目指して日々精進していきたいです。(2年女子)
(精進波羅蜜 viiryapaaramitaa を目指してください :-) )
- 今日の授業で最後に先生がおっしゃった言葉、「あなたは自分の処方箋を持っていますか?」という言葉が印象的でした。この授業を通して「仏教」という分野を見てきましたが、仏教は自分の身近にあるのに実は知らないことが多いことや釈尊が開いた仏教の教えと現在存在している解釈に相違点があることなどを学ぶことができて自分の視野が少し広くなったように思います。
先生が最後に問いかけられた、「あなたは自分の処方箋を持っていますか?」という問いに対して私はまだ明確な答えを出すことができません。今考えてみても「これかな・・・」と思うものはいくつか浮かぶのですが、「これこそが私の処方箋だ!」というものは浮かびませんでした。いつか私の最高の処方箋を見つけられることを願って、これからの人生を送っていこうと思います。(2年女子)
(是非見つけましょう.)
- 「あなたは自分の処方箋を持っていますか」という問いについて。私は以前、宗教に入っている友人から同じようなことを言われました。「自分の力では本当にどうしようもないときお前はどうするのか。私は、宗教に頼る」と。宗教は確かに怖い世界で、世間的にはあまり受け入れられてはいませんよね。でも、私は宗教と言うものを否定的には考えていません。そうやって人を変えていく力のある宗教は偉大なものであると思います。ただ、自分の処方箋というと、たくさんの処方箋がある現代、自分にはどれがいいのかということがわかりません。たくさんの情報、たくさんの宗教。本当に自分にぴったりの処方箋を宗教でなくても何かしら見つけたいと思いました。この授業で自分の宗教観が変わりました。宗教のすばらしい点がたくさん見えました。ありがとうございました。(2年女子)
(宗教に入っている友人? アヤシイものでないといいのですが.)
- 今日の授業で最後でしたが、仏教について様々なことを学んだため、仏教に対するイメージが次々と変わっていきました。何事も、ただ印象のみで捉えるのではなく実際に触れてみることも重要だと感じました。それから、最後の問いかけに対して、僕は自分の処方箋があると思います。この授業によってそれに気付きました。これからも大切にしていこうと思います。(2年男子)
(それは何より (^^) )
- 前年も同様ですが、「自分の処方箋」と言われても、いまいち「これだっ!」というものが見当たりません。強いて挙げるなら「成せばなる」です。…これは処方箋になるのでしょうか?長い間、ご指導くださってありがとうございました。(3年男子)
(今年はちゃんとレポートを出そう (^^; 待っているぞ.)
- この講義を受けてきて、宗教に対する見方が変わりました。でも、ただ、なるほど、と納得するだけでなく自分でさらに考えていかなければならないと思いました。一つの方向からではなくいろんな視点から宗教はみていくのだな、と思ったりもしました。自分の処方箋はこれから探していきたいです。(2年女子)
(その通り.考えていきましょう.)
- この講義を受けおわって、宗教(特に仏教)に対する考え方が変わりました。前は宗教に良いイメージを持っていませんでした。でもこの講義を聞いて、もっと仏教について勉強したくなりました。仏教を上辺だけでみていたから良い印象がなかったのかなと思いました。ただ文句を言うばっかりじゃなくて、実行しなくちゃいけないなと痛感しました。(2年女子)
(「もっと勉強した」いって? お任せあれ!! )
- 私は自分自身の神を創造し、それを信じて生きてきました。神は私に何かをしてくれる存在ではなく、機会を与えてくれる存在です。その機会をどれだけ自分が生かせるかを心がけています。仏教の講義を終え、自分の思想と通じるものが多々あったことに驚きと喜びの気持ちで聞いていました。サンスカーラは私にとってとても有意義な考えでした。これからも心がけていきたいと思います。素晴らしい講義をありがとうございました。(3年男子)
(照れるなぁ (*^^*) )
- 「信じる者は救われる」信じられればそれ自体が救いになるというがなかなかそれはできない。疑いながらもそれでも心の中でどこか信じることはできるが‥。救いというものにどこか反抗的な態度をとってしまうのは私だけであろうか。(2年女子)
(そんなことはありません.ある程度人生経験を経てくると,自然と分かるときが来るかも知れませんし,来ないままで一生を終えるかも知れません.問題は「救い云々」ではなく,「自らの生を全うできているか」なんだと思います.)
- この授業の後半の方から親鸞についてのことが色々と出てきましたが、私は高校が熱心な浄土真宗高校だったので、今考えると親鸞が絶対化されていたように思います。親鸞のことが出てきたので自分の高校時代を思い出しました。(3年男子)
(宗門の中で祖師は絶対の存在ですからね.)
- 先生の講義を受けていくにしたがって、確実に僕は仏教に対する考え方、いや宗教そのものに対する考え方が変わっていったのを感じました。私はどこか宗教に対して偏見を持っていました。それはオウムなどのインチキ宗教の影響があると思います。しかし、先生の講義を聞いて、仏教がどういうものかが分かって、宗教に対する考え方が変わりました。僕は、人それぞれに処方箋がある、また処方箋を得るためにはいろんな方法がある、だから自分に合ったやり方でその処方箋を見つけていけばいい、という仏教の考え方がとても好きです。宗教の考え方はどこか非現実的で、不可能のような感じがしていましたが、少なくとも仏教はとても現実的で、地に足がついた考え方だと思いました。半年という短い期間ではありましたがとても楽しかったです。これは余談なんですが昔、森口博子の歌に「反省しても後悔しない」という歌詞があって、姉がこのフレーズを気に入って、よく口ずさんでいました。作詞は広瀬香美だったんですが、これは仏教の教えから得たものなのかなと思いました。(2年男子)
(仏教の教えから得たかどうかは分かりませんが,もしそうでなくても,人間は相通ずるところがあるということですよ.)
- 悪人往生のことは言葉だけ知っていて悪人でも何しても往生できるとは茶苦茶な考えだと思っていました。しかしそうではなく善く生きようと努めてもなかなかできない、罪を犯してしまう人たちであっても往生できるという意味なのだと分かりました。
先日の新聞に「お寺に相談に来てください」という内容の看板を掲げられないお寺が多いという記事がありました。処方箋を出せない僧が多いということなのでしょう。そうすると今の仏教は確かにおかしいということになります。墓も葬式も今のお寺でいいのか考えなければならないと思いました。まずはお寺に行って話しを聞いてみなければなりません。(2年男子)
(よし,よし (^-^) )
- 講義の中で「寺に相談に行ってみてよい処方箋がでないようなら寺と壇家の関係見直した方がいい」と言われたのが印象的でした。今まで寺に相談するなんて発想自体私にはなかったからです。でもこれを聞いたときすぐに「相談しに行ってみようかなぁ〜」なんて思いました。この講義を受ける前は例え勧められても行ってみようなんて思わなかったと思います。それだけ仏教や宗教に対する自分の認識も変わったんだと思いました。
自分の処方箋…なかなか難しい質問です。自信を持ってコレだ!と言えるものがあればいいんですけどね (^_^; (2年女子)
(インチキに惑わされることなく,ゆっくり探していってください.)
- 実家が日蓮宗だということもあって、日蓮については以前から気になる存在ではありました。私のイメージでは、「非常にラディカルな活動家」というイメージがあります。また、今日もお話にあったように、彼の「この世を浄土にしよう?この世が浄土である?(どちらにしても)」という考えには、現実を肯定しようというポジティブな意志を感じて、私は賛成します。唐突ですが、「神しか支えるものがないということは、何も支えるものがないのと同じである」と誰かが言っていました。私は、「あの世」があろうがなかろうが、「神」がいようがいまいが、自分が今、「この世=現実」に生きていることを肯定したいと考えています。と、熱く語っていますが、まだまだ「若い」のでしょうか?それとも、このような考えが「現代人の病」(曖昧なタームですが)の元凶なのでしょうか?
この一、二年の間に、この仏教文化の講義や個人的なことも含めて、「宗教」の問題が私にとって重要な問題として浮上してきたように感じています。人生の一つのテーマ(笑)になりそうな予感がしています。というか、避けて通れない問題なんだと思っています。(4年男子)
(いろいろな立場や見方があるとは思いますが,神があるかないかは,パスカルの言うように「どちらをあなたは選択するのか」に懸かっていると思うのです.神なしで生きられる人は神なしでしっかり生きればいいし,神ありで生きたい人は,神を信じてしっかり生きればいいのです.問題は「現在の生を全うして正しく生きられるか」に拠るのですから.)
- 今まで私が仏教だと思っていたものとは別のものをこの講義で学ぶことが出来、それは大変有意義な時間だったと思っています。
時折先生から学んだ仏陀を思い出し、より良い人間関係、より良い人生を築くのに役立たせ、本当に有意義な時間だったと思えるようにしたいと思います。(2年女子)
(是非,是非 :-) )
- 今日授業の中でちらっと出てきた蓮の話が印象的でした。泥の中でも美しい花を咲かせる、教えもそれと同じ―きれいな話でした。半年間この授業を受けて、さまざまな刺激がありました。自分の中で良いイメージのなかった”宗教”、確実に変わったと思います。私はこれから自分の処方箋といえるものを探します。興味深い授業、ありがとうございました。(2年女子)
(インドで生まれた仏教にとって,蓮との結びつきはかなり深いものがあるのです.)
- 悪人往生の本当の意味が昨日の授業でよく解りました。善人が往生できるなら、悪人が往生できないはずがない。そういう事だったんですね。私は悪人の意味を間違ってとらえていたようです。理解できてすっきりしました。この講義を受けて仏教というものの見方が少し変わりました。私は今まで仏教というものに対して、何にも知らないのにはなっから受け入れようとしていませんでした。けれど、やっぱり知らないと始まらないのだと思いました。知ってから自分に合うか合わないかを考えていけばよいのです。先生の授業は私が当たり前だと思っていた事に疑問を投げかけてくれました。すごく意味のある時間だったと思います。半年間ありがとうございました。(2年女子)
(大学の講義とは,詰まるところ,そのようなものだと理解しています.)
- もうこの講義も終了なんですね…
なんだか早かった…みんな宗教観が変わってきたんじゃないでしょうか。 わたしの中の観念も変化をとげたような気がします。自分の観念に自信をもつことができる日がくるのか、それはなかなかわかりませんが、大切なのは自分の中の固定観念に気づくことで、そこから始まるのでは、と思います。また前みたいにいきづまる事があるだろうとは思いますが、先生の処方箋を必要とするときがくる、かも(^^;)その時はお願いします。本当に貴重な講義、ありがとうございました。(2年女子)
(これに懲りずに,いつでも話をしに来て下さい.)
- 自分の宗教が何であるのか分かってはいても、今まではそれがどういう宗教であるのか意味も分からずじまいでした。この半年間、自分の宗教について考えるための時間があったことにとても嬉しく思います…さて、授業の終わりに先生が言われていた“あなたは自分の処方箋を持っていますか?”という質問が私はとても心に残っています。しかし、いざ何なのか考えてみるとそれが一体何なのか分からないことに気づきました。これからの人生の中で少しでもこれだと思えるものを探しだせたらと思います。半年間ありがとうございました。(2年女子)
(探し続けていってください.)
- 現代の人々は宗教を恐れているとありましたが、私もその一人だと思います。だから、私は自分の処方箋を持っているつもりでいます。私はそれがあるから宗教をあまり求めていないということになると思う。でも、宗教を恐れ、処方箋も持っていない人はどうしようもなく不安になるとおもう。
私の処方箋もこの仏教文化の授業を通してはっきりしてきた様な感じなのでとても興味が持てました。(2年女子)
(それはよかった :-) )
- 先週、家族の葬式に参列し、お坊さんがお経を唱えているのを見て、「仏教は人だけでなく、万物に対して真理を説いているものなのかもしれない」と考えてしまいました。
自分の処方箋を早く見つけて、自分の将来を考えていきたいです。(3年女子)
(葬儀の場合,お経は亡くなった方にも,遺族にも向けられます.)
- 仏教文化の授業を通して、今まで私が間違って解釈していたことの正しい意味を学べたことが、私にとって大きな収穫でした。サンスカーラに惑わされないように気を付けながら、“誰もが菩薩である”という言葉を大切に、自分に対しても周りの人々に対しても接していきたいです。それが私にとって、心の平安を得るということにつながるのだと思います。半年間どうもありがとうございました。(2年女子)
(菩薩行に邁進して下さい (^-^) )
- 今日先生が言われた、「自分は何も殺さなくても、どこかで誰かが殺してくれているのだ。」にとても考えさせられました。前に基礎演でも言われた言葉なのに、毎回はっと気付くのは、そのことを忘れてのうのうと生きているからでしょうか。
今回仏教文化に触れて、今まで自分が気付かないうちに仏教に関わっていたんだな、と思いました。
先生、半年間ありがとうございました。(2年女子)
(日本を含めアジアにおける仏教文化の浸透は,本人たちが意識しているいないに関わらず,かなり深いものがあるのです.)
- この講義を受けるまで、仏教について真剣に考えたことはありませんでした。自分が属している宗教は仏教だという意識は持っていましたが、それはあくまで意識であって、実感とはほど遠かったように思います。でも、この半年間で、遠くに感じていた仏教が身近になり、いろいろ考えさせられることがありました。’ただ信じていた’仏教が、’なぜ信じているのか’’どういうものなのか’と考えてしまうまで意識が変わりました。仏教はおそらくこれからずっと付き合っていくものだと思うので、学ぶ機会をもてたことが嬉しいです。知らないということはとても怖いので・・。
普段の生活の中で仏教を感じることは全くないし、仏教に救いを感じているわけでもなかったので、「宗教なんて関係ない」というのが今までの私の宗教観だったように思います。だから、自分にとっての処方箋は見つかりそうにないというか、存在しないようで、考えるほど分からなくなってしまいました。何かしっかりした柱があればいいんですけどね・・。いつか見つけられればいいなと思います。半年間ありがとうございました。(2年女子)
(これからも末永く仏教と付き合っていってください.)
- 自分の家の宗教が浄土真宗というのは聞いたことがあったのですが、それがどんな人が始めてどんな考えをもった宗教かということはよく知りませんでした。今回の授業で勉強し、少し分かりましたが、先生の言う通りお坊さんに話を聞いてみるのもいいと思いました。どんな宗教かもよく知らないで信仰しているなんて言えないですよね。この半年仏教について勉強してきて今まで自分が持っていた仏教に対する認識と実際の仏教は大きく異なっていたことに気づきました。宗教って一歩間違えば命とかに関わることだと思うのでそれはとても危険なことだと思いました。特に仏教は日本人にとっては結構身近なものなので、こういう勉強って大切だなあと改めて思いました。(2年女子)
(そう,大切なんです.)
- 今日は最後の講義でしたが、とても考えさせられました。名前くらいしか聞いた事がなかった親鸞ですが、彼の考え方や思想には驚くとともに、そうゆう捉え方もあるんだ、と気付かされました。法然の弟子でありながらも、自分の考えをしっかり持ちまた、それを貫く姿勢は見習いたいと思いました。
「信じるものは救われる」という言葉について、今まで間違った解釈をしていたんだな、と初めて知りました。このような間違った解釈を広めてしまったのは、やはりインチキ宗教なのでしょうね。
三昧やヨーガなどの精神統一の方法が、インドに一般的にあるとおっしゃっていましたが、日本でも精神面に対する取り組みを積極的に行えば、インチキ宗教にはまってしまうことも自分自身で防ぐことができるのでは、と思いました。それと同時に、自分の意思で自分に合った宗教を探していけるのではないでしょうか。
この講義を受けたことで、仏教に対する考え方はもちろんのこと、宗教と自分がどのように付き合っていくかを見つめる良い機会になりました。(2年女子)
(「信じる者は救われる」の誤解に関しては,必ずしもインチキ宗教だけのせいではなく,「きちんとした宗教が正しく教えてこなかった」ことにも起因すると思うのです.)
- 私は、今日の講義の中で、「この世を浄土にする」という考え方がすごくいいと思いました。なぜなら、いくら浄土に行けるようにがんばりなさいと言われても、どんなにいいものか実感することのできない未知のものに向かっていくのは大変なことだからです。それよりは、今自分が生きているこの瞬間の世界をいいものにしていくよう努力するほうが、私にとってはすごく身近に感じられます。
この講義を通して感じたことは、私は、自分の処方箋を持っていないということです。今まで、宗教というと、ありえない、根拠のないことを言って人を落とし入れるものだから、そんなものにひっかからないように、そればかり考えていました。でも、そんなものを蔓延させたのは、良い教えを探そうともせず、信じないことだけをしつづけてきた我々にも原因があるのかなあと思いました。でも、それは、仏教に対する知識のなさのせいでもあったと思うので、この講義を終えた今は、以前とは違った見方ができるといいです。(2年女子)
(是非,是非,実行して欲しいです.)
- まずは「悪人往生」についての意見を述べたいと思います。「悪い事をやってはいけないけれどもやってしまう、サンスカーラをどうしても発動してしまう、分かっちゃいるけどやめられない」人を悪人という、私はどう考えても悪人です。「してはいけない!」と分かっていながらいつも過ちを犯してしまいますからです。しかしそのような私でも往生できると聞いて安心したと同時に少しでも善人に近づいていけるようにがんばりたいと思いました。アングリマーラの例のようにです。
次に、「信じるものは救われる」についてですが、この話は大変興味深かったです。先生のおっしゃるとおり「信じてしまったという状態になること事態がすでに救われている状態だ」全くその通りであると思いました!自分が「このようにすればこうなるであろう」と思えばいわばそれは自信が付く、信じる事ができているという状態であると思うからです。そのように思えることは「安心」であると思いました。
最語に、「文句ばかり言っていないで、やれよ!」その言葉は私が大好きな言葉のうちの一つです。人生はサンスカーラ(移ろいゆくもの)であるのだから。(2年女子)
(「怠ることなく歩み続けなさい」 by 釈尊)
- 先生が講義の最後におっしゃられた、「何事もただ批判し文句をつけるだけではなく、それを変えようと行動に移すことが大事だ。君たちにはそういう大人になって欲しい」という言葉が強く胸に残りました。批評家が嫌いっていうのも納得です、人が苦心して血のにじむ思いで作り上げた所業をいとも簡単にけなしてしまうのですから(でも批評家がいるからこそあらゆる文化が高められているんだと最近は解釈しています)。大学のような場所に長くいると、全ての物事を批判的な目で見るようになってしまいがちですが、ただ自分の置かれた環境にケチつけるだけでなく、悲観的になってニヒリズムに走るでなく、何か働きかけようとする人間になりたい。毎日の忙しさにかまけているとつい忘れがちですが、そんな理想を心の芯にすえていたい。
この掲示板でも、数回ほど現代日本のお寺の凋落みたいなテーマで好き勝手に書きましたが、父の死に際して住職が遺族に説いた説教は、確かに私の悲しみを和らげたし、まさしくあれは処方箋だったのだと思います。その時、このお寺の檀家で良かったとしみじみ感じたものでした。今客観的に思い返すと、身近な人の死に際して生命の意味、命が受け継がれる意味を強く意識するようになった自分の心の動きが観察できます。悩みを抱えてやみくもに宗教に救いを求めてしまう人の気持ちが理解できなかったのですが、それは人間の本能的な心理と実感しました。
半年間、面白おかしく様々なお話を聴かせていただきました。それでも仏教は奥が深い。学び終わるという事はなくて、きっと人生の節々において再認識させられる存在となるでしょう。そのきっかけを与えてくださってありがとうございました。(4年女子)
(これからも何らかのかたちで学び続けていってくれると嬉しいです.)
- 私は自身の根底にあるものは本当に「神道」といえるものなのか、ずっと悩んできました。それはどこかで自身の“処方箋”は「神道」の中にあるのではないか、と信じていたからです。しかしこの授業を受けて、新たな思考回路を段々と作っていくうちに、処方箋は他にもあるのではないかと考えるようになりました。 私はこの授業を受けている時に、仏教に対してまるで原風景のような懐かしさを幾度と無く覚えたのですが、その度にこのようなシンパシーはとても大切なものだと思って嬉しくなったことを覚えています。 そう振り返ると、まだまだ私の処方箋は完成してはいないだろうけれど、この授業を通してなにか一つの「道」にのっかることはできたかな!と思うのです。そしてこれからの私にとって大切なのは、その道を自分自身が開拓していくことではないでしょうか。人は一人では生きられないとよく言うけれど、その中であえて自分自身の生き方を考え、つきつめていくことは、処方箋を完成させることにも通じると思うのです。 長くなりました。先生、半年間本当にありがとうございました。(2年女子)
(完成を目指して歩んでいこうじゃありませんか!! appamaadena sampaadetha ですよ.)
- 宗教というものについて深く考えたこの半年間は自分の根底に何らかの影響を与えてくれたと思います。授業中に考え、こうして掲示板に書くときにもう1度考えるという2重の出席方法のおかげかもしれません。「あなたは自分の処方箋を持っていますか?」今は自信を持って言える回答がありません。でもきっと見つかるはず。処方箋を得る方法は多様にあるのですから。いろんな話が聞けて楽しかったです。(2年男子)
(掲示板システムを有効に使ってくれたようで何よりです :-) )
- まずは半年間ありがとうございました。この講義は本当にいろいろと考えさせられ、いい時間が過ごせました。
今回の講義の後、自分の処方箋って何だろう?と考えました。きっと生きている中で何かをよりどころとしていることが多々あったには違いないのですが、よく分かりません。
私たちはいろんなものに支えられて生きているけど、行動をするのは自分です。結局は自分がどう生きていくか・・・とかそういうことだと思います。でもその上で、自分の処方箋となるものってたくさんあるように思います。うーん・・・でもそれは、まだひとつには定まっていないということですね。これから生きていく中で、「これだ!」というものを見つけていきたいです。
最近、時々何かの拍子にこの講義での名言が頭に浮かびます。自分の生き方とかを探している今、生きていく上で大切なことを教わりました。本当にありがとうございました!!(2年女子)
(こちらこそ,どうもありがとうございました.)
- ちゃんとやろうと思ってもちゃんとやれない自分をこれまで何度嘆いたことか。人間は一生本能と戦わなければいけないのですね。わかっちゃいるけど、ですね。殺生など嫌なことは人にやらせて甘い汁だけすっているようです。この授業というよりも、私にとっては鈴木先生に会ってだいぶ世界が変わってきました。私は自分の処方箋をしっかりみつけて人生に安らぎを補いたいです。(3年女子)
(これからも一緒に勉強していきましょう.)
【総評】10月からはじまったこの講義も今回でおしまいです.毎年「まだ話し足りない」という気持ちが強いのですが,それでも,仏教の一番大切なところはお伝えできたのではないかと思っています.
人生,いろいろな局面があります.おかしな横車を入れられないように,しっかりとした拠りどころを持ちたいものです.
「あなたは自分の処方箋を持っていますか?」
(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp