11/30 アンケート7号の評価
アンケート7号(総数 39)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や回答内容の質には全く関係ありません.
複数の同一回答は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
今回は釈尊以後の仏教を経て,大乗仏教の導入部まで辿り着きました.
- 聖典結集によって結果的には意義があったとしても、固められた教えに沿わないものは切り捨てられてしまう結果になってしまったとおっしゃいましたが、現在インドにおいて仏教が盛んでないのはそのことと何か関わりがあるのですか? 最後あたりにおっしゃった大乗非仏説についてもう一度教えて下さい(2年女子)
(まず前者の回答:結論から言えばそうです.僧院が仏教の中心になり,スコラ哲学に耽溺したことが,仏教滅亡の最大の原因の一つです.
次に後者の回答:大乗仏教の教えは,スリランカ,タイ,ミャンマーなどに伝わる南伝仏教(上座部仏教)の教えとは,表面上かなり異る要素があります.そのような疑問を発端として,大乗仏教は歴史上の釈尊が説いた教えではないのではないか,というのが大乗非仏説です.この場合,「仏」を「歴史上の釈尊」に限定すれば大乗は非仏説ですし,講義で説明したように,「真理を開顕する者=仏陀」という仏教における基本的理解に沿えば,大乗も仏説です.さらに言えば,「仏」を「歴史上の釈尊」に限定する限り,上座部仏教も非仏説と呼ばれることがあり得ます)
- キリスト教やイスラームについて適切な知識を学んだことがないので、概していうことは出来ませんが、仏教とその流れを学んでいく中で、柔軟性を含んだ、全てを受け入れることのできる姿をしているように思います。今はこの流れを追うことと、他の宗教との特徴の比較をすること、人間と宗教との関係に興味があります。(3年男子)
(興味を持って学んでいって下さい)
- 釈尊が死んでしまってから、出家者の多くが定住したり、スコラ哲学に道がそれて行ったりしてそれまでの釈尊の仏教というものが薄れていってしまう。一人一人に応じた処方箋のような教えを解いてくれる人がいなくなったのである。しかしその後大乗仏教によって復興運動がなされたので以前のような仏教が蘇って人々は再び救われたと思う。(2年女子)
(仏教が本来の姿に再生したと言ってよいでしょう)
- 今回の講義で、仏教において聖典をつくること(教えを確定してしまうこと)は危険を含んだ行為であることを学びました。では私たちが読んでいる経典というのは、この考え方でいくとどうなるのか知りたいです。私の家は浄土真宗です。浄土真宗も仏教ですけれど、これはどうなるのでしょうか。聖典と経典は違うのでしょうか。あと世界史で玄奘が中国に経典を持ちかえったと習いましたが、やはり他国へなど、広く布教していくためには普遍的な教えをうちたてることが必要なのでしょうか。(2年女子)
(仏教聖典である経典は,それがあなたに合った処方箋である限り,それだけを守っていればよいのです.)
- maha yanaとhina yanaの説明で、mahaとは立派、偉大の意味で、hinaは、劣ってを意味するとありましたが、それは小乗仏教が劣っていると考えていいのですか。なぜ劣ってなのですか。 (2年女子)
(次回の講義で扱いますが,簡単に言えば「仏教として十分に機能していないから小乗だ」と言ってよいでしょう)
- どうして聖典結集の考えが出てきたのかが不思議です。教えというものが各人に対するもので、それをまとめることが仏教には無意味であるということが、どうしてわからなかったのでしょうか。その参加者たちは釈尊という創唱者を失ったことであせっていたのでしょうか。しかし、その後、教えを出す仏教に戻そうという復興運動によって新たな教えを創作し始めたことは、多くの処方箋を必要としていた人々にとって救いになったことだろうと思いました。(2年女子)
(「結集した側の資料」で見ると,釈尊の滅後,「もう何をやっても何を言ってもいいんだ」という不徳の輩がいたので聖典を確定する必要があった,ということになっています.結局彼ら(結集した側)は「仏教を守るために仏教的でないことをした」ということになりますね.ただ,それがたとえ一部であっても,彼らのおかげで今日まで教えが残ってきたのは事実です)
- 森林、遊行型から dharmabhaa.naka、大乗までの流れが駆け足で掴めませんでしたので、詳しく教えてください。 (4年女子)
(森林・遊行型の修行者たちの中に,単なる仏塔崇拝だけではいけないと考える人たちがいました.彼らは「ことば」を大切にしますが,だからと言って,僧院の修行者たちが「ブッダのことば」を記号として扱うことには反発しました.当時仏塔の廻りには,釈尊の事蹟を物語に乗せて語る bhaa.naka という人たちがいました.民衆は bhaa.naka の語りを通して,仏塔を仰ぎ見ながら釈尊を慕っていたのです.そこで,単なる仏塔崇拝に飽きたらず,さりとて記号としてのことばにも納得できない森林・遊行型の人たちを中心に,真理を物語に乗せて語る dharmabhaa.naka たるべし,という自覚が生まれてきたものと思われます.そして彼らは「将来のブッダ」である菩薩としての自覚も持ち,処方箋を再び生み出していくことになったのです)
- 宗教というものは預言者などその宗教の創設者の教えが絶対というイメージが少なからずあったので、今回の講義で改めて仏教が先を見据えているものだと感じた。確かに、世の中が発展していく中で教えだけが何百年も昔のままでは矛盾が生じることになるだろう。そして、真理=仏陀であるという考えから大乗非仏説の考え方が二通り考えられるということも納得できた。今日の講義を受けることで、なぜ仏教が絶えることなく続いていっているか理解できるような気がした。(2年女子)
(うん,うん (^^))
- 毎回理解したつもりでも、家に帰って掲示板を書き込むときになると世界観や概念、用語(のちゃんとした意味⇔既存の意味)などがごちゃごちゃになって困惑します。先生の講義を思い出させるような参考図書はありますか?講義回数が増えるにつれ、だんだん不安になってきました・・・(前回は質問に対する回答、ありがとうございました。先生はX-ファイルまでチェック済みなんですね。私はスカリーファンです。先生はどうですか) (4年女子)
(講義内容と全く一致するわけではないのですが,方向性として共有されていると私が考えているのは,ひろさちや先生の著作です.先生の『どの宗教が役に立つか』という本は大学の図書館にありましたよ.それから,この感想 & 回答は,まさに「私の講義を思い出させる」ものとなっていると思うのですが,いかがでしょうか.
X-ファイル,もちろんスカリーが好きです)
- 今日はいつもと違って難しい用語の解説で大変難しかったです。いつもの授業は自分に置き換えて考えられるのですが今日の用語は自分とは関係のない世界のことのようでした。でも大学の講義なので普通の人生についての考え方ばかり考えても甘いですか。(3年男子)
(自分の身に引き比べて考えるのは大事なことです.でも,自分の想像もつかないような考えや世界に接し,自分のキャパを増やしていくのも大事なことです.努力してみて下さい)
- 釈尊亡き後の出家者の多くは僧院に定住したり、もともとは釈尊が排除したスコラ哲学に
終結終始したりした。彼らが本当に釈尊の教えを理解していたらその様なことにはならなかったんじゃないかなと思いました。教えという各人各人に対する心の処方箋は身体を助ける為の処方箋以上に大切なものかもしれない。悪質な宗教にすがってしまう人々も、心の処方箋を必要としているのだろうと思うと切なくなった。(2年女子)
(いつかあなたが「正しい心の処方箋」を出してあげられるようになるといいですね)
- 釈尊の死後、出家者の多くが釈尊の排した形而上学的問答に終始していたというのを聞き、どのような分野でも、人の意思はその人が死んでしまうと、うまく伝わっていかないものだなと思いました。確か釈尊の死後、千年ぐらいすると末法の世がやってくるという末法思想を知った時、全てのものごとは思想のもとに形成されていき、形成されると形骸化していくという考えをそこに感じ、強い共感を覚えたのを、今日の授業を聞いていて思い出しました。(3年女子)
(「世の中はどんどん悪くなっていく」という考えは,仏教に限らず世界の至るところで見られます.時代や地域を問わず,形骸化→堕落・腐敗→没落・滅亡,という公式があるのかも知れません)
- ストゥーパは漢字で表現されると卒塔婆となり、形は様々なものがあるということを初めて知りました。なぜ、このように様々な形が生まれたのか疑問に思いました。その形にはなにか意味があるのでしょうか。また、教義を確定してしまうことで、仏教が仏教でなくなるということを、教えは処方箋であるということを理解したうえで解釈すると、とてもわかりやすかったです。(2年女子)
(五重塔やお墓に建てる塔婆のギザギザについて言えば,インドに伝わる物質の五元素である〈地・水・火・風・空〉に基づいています)
- 私も日常生活で固定観念にとらわれずに、状況に応じて様々な角度で物事を考えられたらと思いました。(2年女子)
(たしかにそうですね.でも,「分かっちゃいるけどやめられない」のが人の常で,ついついサンスカーラに縛られてしまいます.そういうときのために「負のサンスカーラを増やさないサンスカーラの適用」が考え出されてきたのでしょう.この点は次回やりましょう)
- 今朝の講義を聞くまで、「部派仏教」のことを「武派仏教」だと思い込んでいたので、以前から「ぶはぶっきょう」という言葉を耳にすると、恐ろしい仏教もあるものだなと思っていた。「武派仏教」のようなものがなくて本当に良かった。(2年男子)
(映画の「少林寺」なんかを見ていると,本当に「武派仏教」なんてものがありそうな気がしてきますね (^o^) そう言えば,「仮面舞踏会」だと思っていたら,お面を着けて武器で戦う「仮面武闘会」だった,というのが某漫画にあったことを思い出しました.知ってます??)
- 仏教が釈尊の没後も滅びなかったのは、信者の「真理に(至る道)を説くから仏陀なんだ!」という一般的理解があり、そこから自然に出家者達は真理=仏陀と考えるようになり、また仏塔=記念碑・生きた仏陀そのものである、という考えが出家者と在家者のどちらにもあったからである、ということであったと思うのだが、なぜ仏塔=生きた仏陀そのものになるのかがよくわからない。(2年女子)
(大切な人からもらったものは,それだけでその人を想起させる力を持っている,という話を授業中にしました.「その人を想起させる」とは「その人がそこにあることを感じさせる」に通じ,結果,「その人を再構成させる」ことになっていきます.釈尊滅後の仏教徒たちは,仏塔をブッダのお墓ではなく,生きた仏陀そのものとして崇拝していきました)
- 身近にあった五重の塔がstupaだったという事に驚いた。また、生きた仏陀そのものであり、釈尊に対する崇拝的なものだと聞きさらに驚いた。大切な人からもらった物が、その人を感じさせるという感覚はとても共感できたので、昔のインドの人達の心は理解できた。(2年女子)
(大変結構です)
- 大乗仏教の復興運動により、それまでの教えにとらわれず、人々をより真理に近付けられる新たな教えを創作してきたこと、また、それは時代や人に応じた処方箋である、という解釈はすばらしいと感じました。それが、仏教が人々を惹きつけてきた1つの要因なのでしょう。(3年女子)
(今の仏教はどうなのかなぁ(ぼそ))
- 今日の講義で一番興味深かったのは、仏教は、キリスト教やイスラームと異なり全知全能の神がいないにもかかわらず、釈尊亡き後も滅びなかったかと言う話でした。その話の中で、仏教の原点は処方箋を出すことにより人々を救済することなので、人々を救うことができる適切な処方箋(教え)であれば、今までと異なる教えであっても、異なる人物からの教えでも良い。というのを聞いて、非常に合理的であるし、本当に人間のためにある宗教であるという感じがを受けました。(2年男子)
(仏教って面白いでしょう?)
- 「解釈」という言葉は、「釈尊を解する」というのが語源になっているのでしょうか。今回の講義を聴いていて、ふと気になったので。関係ないですか?(3年男子)
(関係ないです.釈尊は bhagavan ^Saakyamuni 釈迦牟尼世尊の略語で,釈の部分は音を写したことば(音写語)だからです.でも,その「解釈」は面白いですね)
- 復興運動の説明で、時代が変わってしまったので昔の処方箋ではだめ。新たな教えを創作する。と言われたのですが、もし私が昔の処方箋の上にまた新たな処方箋を与えられると、やはり新たな教えより昔の釈尊に説いてもらった教えの方を選ぶと思います。新たな教えは、他の人の手が加わった釈尊のとは別のもののような感じがするからです。(2年男子)
(釈尊の遺言をもう一度思い出してみて下さい)
【総評】講義の度に気合いが入ります.次回は本格的に大乗仏教です.(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp