11/2 アンケート5号の評価
アンケート5号(総数 43)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や回答内容の質には全く関係ありません.
複数の同一回答は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
今回はサンスカーラを基調に,方便,七仏通戒偈,中道,空の説明をしました.ブリブリざえもんの挿話も紹介しました.いやー,あの話は何度見ても泣けてしまいます.
- 仏陀はそれぞれの人に合った教えを説いていったということは、方便も誰に対しても同じ説き方をするのではなく、その人が最も真理に向かっていけるように伝えたいということだろうか?この考え方は、全ての人が同じ方法で救われるど言われるより、リアルだと思う。(2年男子)
(前回の感想にもありましたが,釈尊は一人一人に目を向けていたのです)
- 今日の講義もとてもおもしろくて興味もって受講しました。方便は、真実に向かわせる手段であるけれども、言葉を使う以上方便にしかならないということは、人はどこまで信じたらよいのでしょうか。信じぬくと人や物は、かわり、真実がわかることもありますか。(3年女子)
(結局「信頼できる人の言葉を信じる」以外にないんですよね.では誰が信頼できる人なのか.これも結局は各自が選んでいくしかないんです.「この人を信頼する.もしこの人の言うことが嘘で私が不利益を被っても構わない」というような人が,信頼できる人です.あと,真実は一般的でなくても個別的なあり方で存在しうるので,何らかの意味で真実に到達することも可能でしょう.例えば「この信頼できると思っていた人が実は信頼できる人ではなかった」とか (^o^;
一つの例ですので,気に障ったらごめんなさい.逆もまたあり得ますのでご安心下さい )
- 「悪いことをするな。善いことをしろ。心を清めよ」という仏教の教え、シンプルかつ深いですね。何が悪い事かというところでテロのことについて考えさせられました。ブタの話しは子供向けに助けた友達が宝になるのかと思っていたらああくるとは。「フッこれか。」という一言で子供に通じたのか気になりました。娘さんの反応教えていただけると嬉しいです。(3年女子)
(私自身がぼろぼろ泣いていたので,その直後の娘の反応はよく覚えていません.でも,あとで一緒に映画について話し合ったとき,彼女は彼女なりに何らかの感触を得ていたようです)
- サンスカーラがサンスカーラを生んでいく、そして、比較によって生まれたサンスカーラは質が悪いと先生が言われたが、本当にそうだと思った。私たちは常日頃、比較によって生まれたサンスカーラを真実だと思い込み、そこからさらなるサンスカーラを生み、サンスカーラの連鎖に縛り付けられ、そのせいで大変苦しめられていると思う。(3年女子)
(段々皆さんも分かってきてくれましたね)
- ブリブリざえもんの話で、キリスト教、イスラームの人々が同じように「こころを捉えている」と表現したという事実がぼくの心を捉え、あたたかい気分になりました。毎回嬉しい発見に気付かされています。自分の知識不足なのですが、性善説や性悪説は、仏教と関わりがあるのでしょうか?(これらは儒教の一部であったように思うのですが。)仏教の立場では、これらもサンスカーラの発動となるのでしょうか。(3年男子)
(心が温かくなりましたか.今度ゆっくりお話しましょう (^^)
性善説・性悪説と仏教の直接的繋がりはないと思います.また,分からないことに対する議論ですから,仏教的に言えばサンスカーラの発動になります.ただ,人間は結局はサンスカーラの中で生きていくわけで,どうせ発するなら前向きのサンスカーラを「サンスカーラであると自覚して」発する生き方は可能です)
- 「布施」のところは、こんな世知辛い世の中に実際にはありえないような話だと思った。現代では電車の中で席を譲るということさえ忘れられている気がするのに、「譲る」という良い行いをしたうえに、逆にお礼までいうとは考えられないはなしである。いい行いをすると気持ちが良くなるというのは同感するが、少し行きすぎた行為であると思った。(2年女子)
(「行きすぎた」行為ではなく,「世間一般とは異る論理に基づく」行為なのです)
- 今回の講義を聞いて、電車で老人に席を譲りこちらから「ありがとうございます」と言ってみたくなった。仏教の本質を理解している老人ならば「どういたしまして」と答えてくれるに違いない。(2年男子)
(これ,実はなかなか難しいんですよ.もし向こうが「ありがとう」と言わないでこちらが「ありがとう」と言った場合,「お礼を言えよ」と強制していると勘違いされてしまうことがあるのです.向こうが何も言わない場合,心の中でそっと「ありがとう」と言うのがいいかも)
- 最近、テレビやメディアなどで「人殺しはなぜいけないのか」というような論議がなされているが、本当にそれは理屈ではないと思う。論議する事でもなく、悪い事を悪い事とする最低限の常識は持たなければならない。(2年女子)
(その通り.議論するような内容であってはならないはずなのです)
- 先生は善人だけの社会では法は「悪い事をしてはいけない」だけでよいとおっしゃった。では善人とは何か?悪いことをしない人が善人?善悪を知り、倫理に基づいた行動をする人が善人? 善い事は「なんとなく気持ち良くなること」かもしれないが、それは幼い頃に倫理教育として「善いこと=清々しいこと」と教えられてきたからであり、教育のあり方しだいでは、善いことは姿を変え、同時に悪いことも変化してくるのではないか? 昨今ではその教育でも倫理面に深入りしなくなってきた。犯罪の激増もそこに根付いている気がする。(2年男子)
(悪いことをしない人は単に「悪いことをしない人」で,善いことをする人は(他で悪いこともしているかも知れないので)単に「善いことをする人」です.「悪いことをせず善いことをする人」が善人です.
それから,あなたの提言は面白い.例えば,小さい頃から「敵を殺すのが善だ」と教わった人は,何の躊躇もなく敵(と見なされた人物)を殺すでしょう.教育の力は凄いんです.戦前・戦中にかけて,日本でもひどい思想教育をしてきました.しかしその反動が強すぎて,ちゃんとした思想教育すらできなくなっているのが現状です)
- 宗教というものは元々人間の弱さにつけこんだりお金もうけをするためにあるのではない。純粋に道徳や倫理を教えたり誰かの精神的支えになることが目的だったのだろう。その点において、私たちは今宗教にとらわれる必要はないが、それが持つ意味をもっと考えて生活しないといけないなと思った。(2年女子)
(人々の弱さにつけ込んだりお金儲けするのは,宗教ではなく,「宗教のフリをしたペテン」「インチキ宗教」です)
- アニメの中にも仏教に通じるものがあったと聞いて驚いた。しかも、それはイスラームにもキリスト教にも通じるものがあると聞いて宗教の根底にあるものは共通なのかなと感じた。そして、「方便」を考えるとき、一般的に都合のよい手段、便宜的手段と考えがちであるが、真理に向かわせる唯一の手段であることから「ウソも方便」が間違っているとわかり、仏教の奥深さを改めて感じた。(2年女子)
(仏教は面白いですよ)
- 私達は日頃、物を比較しては、良いとか悪いとか見てしまう傾向があります。それで、落込んだり、おごり高ぶったりしてしまいます。中道の見方ができれば、どんなに良いことだろうと思いました。(2年女子)
(いつも完全に実行することはできなくても,中道のことを頭の片隅にでもいいですから置いておくと,多少生き方が変わってくるかも知れません)
- 方便の意味を間違って理解していたことに気づきました。自分が体験したままの真理を相手に伝えることはできない、そのために方便をする。これは、日常生活と結びつけるとたいへん理解しやすかったです。(2年女子)
(大変結構.これからは間違えても「嘘も方便」などとは言わないようにしましょう)
- 最近のいろいろな犯罪の多い世の中で犯罪に歯止めをかける最後の砦は宗教しかないのかなと思いました。あと、最近クレヨンしんちゃんみてないのでそんなにいい話があるならまたみたいと思いました。(2年男子)
(TV ではなく映画ですよ.ビデオをレンタルするとよいでしょう)
- 「嘘も方便」は間違いだと講義で先生は言われましたが、それは仏教の話をしているという前提でのことですか?「方便」という言葉はもともと仏教用語なんですか?(2年女子)
(方便は仏教用語です.そして,そもそも仏教に「嘘も方便」という用法はありません)
- サンスカーラがサンスカーラを生む、という話から、色即是空という概念について良く理解できました。物は物自体としてしか存在せず、それに対して意味を加えていく、ということを私達は日ごろ繰り返しているということなんですね。(3年女子)
(そして自分の作ったサンスカーラで自分自身が苦しんでいるのです)
- 仏教は、真理は伝える事はできないが、少しでもその真理に向かわせるために方便と言う手段があるということが今日の講義では分かりやすく説明されていたので良かった。
それに、方便という言葉が日常では間違った解釈のもとで使われているという話しもおもしろかった。(2年男子)
(真理は人の数だけあってよいのです)
- 今まで自分は比較による価値判断に何の疑問も持っていなかった。しかし、チョークなどの例を聞いて、比較によって下す価値判断がいかに曖昧で、不安定なものかを知った。(2年女子)
(見方を変えれば世界が変わるというのは本当です)
- 布施や中道などを正しく理解できた。人間の解釈というものはとてもおもしろいものだと思った。(2年男子)
(これからもいろいろと正しく理解していってもらえると思います)
- 『方便』という言葉の意味を間違って理解し、使っていた。日常のいろんな例に当てはめてみると理解出来た。あと、どの宗教でも根本的な考えは同じなのだと思った。『ブタのヒヅメ大作戦』是非、見てみたいです。(2年女子)
(是非見て下さい)
- 「悪いことをするな、善いことをしろ、心を清めよ」とあったが、現在は悪いことと善いことの境界があいまいな人が多いのではと思った。境界があいまいだから自分の利益のためには惨忍なこともしてしまうのでは?と思った。(2年女子)
(境界があいまいなのは勿論ですが,なぜあいまいになってしまったかは,「教育の欠如」に帰着するのです)
- 今日の講義もとても興味深く、意欲をもって参加することが出来ました。方便という言葉の間違った解釈やアニメの例など身近なことからわかりやすく説明してくださるからだと思います。もっともっと宗教の奥深さについて学びたいです。(2年女子)
(もっともっと学んで下さい)
- 仏教の教えは様々あるが、その全てに通ずるところである「悪い事をするな・善いことをしろ・心を清めよ」というこれらのことは確かに当り前のことではあるが、当り前のことを当り前のように行うことはやはり難しいと思う。社会も人間も複雑になりすぎている現代においては特にそうなのではないだろうか。また、善いことをすると気持ちがよくなるというのは確かにその通りだと思う。このような教えを持っている仏教はある意味宗教という枠を超越していると思う。なぜならこれらの教えは世界中の全ての人間に必要であると思うからだ。(2年女子)
(「宗教」ということばを現在のような用法で使うようになったのは religion の訳語としてこの「宗教」が選ばれて以降です.そして religion と言えばキリスト教に代表される一神教を指すことが大半で,そのような経緯から「宗教」のイメージも西洋的な見方から捉えられることが多くなりました.しかしアジアにはアジアの way of thinking, acting があってしかるべきで,その一つが仏教という「宗教」なのです)
- 比較によってうまれるサンスカーラ。まさに最近最も私を悩ませているものである気がする。この授業をうける中で、少しずつ救われていっているような気がします。(3年女子)
(そこまで役立ててもらえると嬉しい限りです)
- 「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」当たり前のことではあるが実行するのは難しいと思った。また、「布施」のところの話で譲ってあげた方がお礼を言うという、現在ではあまり見られないことでそういう人になれたらすごいなと思った。(2年女子)
(当たり前のことを当たり前に行うことはとても難しいことです.でもそれをやった人はいたわけで,だから私たちは心を動かされるのだと思います)
- ユダヤ教、キリスト教、イスラームは砂漠で生まれたため一神教になった。そして仏教は豊かな自然の中で生まれたから多神教に・…。生まれる環境がその後の姿にこんなにも影響するものなのだと知り、少しこわくなった。やはり、生活するうえで環境をあなどってはいけないのだと感じた。(3年女子)
(仏教は多神教ではありません.一神教・多神教というカテゴリー自体が西洋式,キリスト教的考え方で,仏教はその範疇外にあります.それから,文化は生まれ育った環境に大きく影響されます.宗教も文化ですからね)
- 自分が今まで方便の意味を間違って使っていたのが分かった。布施の話で、席を譲った人が「ありがとう」と言うとあったけれど、そんな考え方したことがなかったので、考え方を少しかえてみたら、いい気分になれることが増えて幸せになれそうだと思った。(2年女子)
(幸せになりましょう.人はそのために生きているのです)
- 今まで「方便」という言葉の意味を理解せず、雰囲気だけで「うそも方便」という言葉を使っていました。今日の講義でその間違いに気付くことができてよかったと思います。これから自分の使う言葉には気を付けなければならないと思いました。言葉の語源について興味がわきました。(2年女子)
(宗教だけでなくことばも面白いですよ.どちらも私の研究テーマです)
- 中道の考え方がとても印象深かったです。比較する対象によって、本当は変わっていないものに対する価値判断が変わっているということにもっと早くに気付いていたら、自分にひどい劣等感を感じたり他人にコンプレックスをもったりすることはなかったのではないだろうかと思っています。中道ではない考え方ばかりしてきて、それが定着している私ですが、中道の考え方を知った(気付いた)ことによって少しは変われるかなと思います。(2年女子)
(変わりましょう.人が変われるということ自体が,人が空(くう)であることの証明です)
- 人と比較することは無意味だと思いたいし、前向きで人に親切なほうがいいに決まっている。でも僕はそのとき寺山修司の言葉を思い出しました。「人に嫌われたりしない人間に人に好かれる価値はあるのか。人はどんな状況でも幸せを感じることができるが、他人と比較しない、他人の幸せを想像しない人間、うらやましがらない人間に想像力はあるのだろうか。」というギラギラした人間の欲望の自覚に心をひかれるのも事実です。(3年男子)
(うん,分かりますよ.でも寺山修司氏の見方は「彼の知っている範囲の人間」のみに適用できるものだとも思います.個別の問題を一般に敷衍するのは誤りですね)
- 今回の講義で新鮮だったのは「お布施」の話です。電車やバスでご老人に席を譲ったら、お礼を言われることが普通だと思っていました。布施の考えでは譲った方が「善いことができて気持ちよかった、ありがとう」と思う。世の中の人がみんなこういう人間であればどんなに素晴らしいだろう、と思いました。私たちの日常に結びついたこのような例は、とても面白く、またわかりやすいです。(2年女子)
(本当の天国は,行くものではなく作るものだ,ということばもあります)
- 布施の話を聞いて、高校の時の体験を思い出しました。私はボランティア部に所属していたので、ボランティアを受け入れて下さっている方たちからお礼を言われることがありました。そのお礼に対して、先輩方は「こちらこそ、ありがとうございました」と返していました。それを見てからは、ボランティア活動をしてお礼を言われたりした時は「ありがとう」と返すようにしています。(2年女子)
(おお,あなたは知らず知らずのうちにも宗教の論理を実践していたのですね!! )
- 今日の講義で、真理を直接教えることはできないが真理に向かわせるための手助けは方便を用いることによってできるということを聞き、なるほどと思いました。日常生活の中でも、最後の結論は自分で出さなければならないけれどその過程の中で、誰かの助けは大きな役割を果たしていると改めて思いました。(2年女子)
(With a help from somebody to rely on, we can make it! )
- 「嘘も方便」は間違っているというのに驚いた。この諺ができたときから、方便は間違って使われていたのだろうか?方便というのは何なのか考えた事もなかった。当たり前の事を当たり前に実行することも難しいのに、人間が中道を実行するのはさらに大変な事だと思う。サンスカーラを排除して物事を見るのはとても難しい。(2年女子)
(諺ができたときからすでに間違った用法でした)
- 今日の講義で”「布施」をする側の考えのあり方”について考えさせられた。「してあげる」のではなく、むしろ、逆に「善行を行なう機会を与えてもらえたことに感謝する気持ちを持つ。」それが「布施」だということを聞いて、なんだかハッとした。こういう考え方を普通にもてるようになれたら素敵かもしれないと思った。(2年女子)
(そうそう.素敵です.そして人間は素敵にも下劣にも変わることができます)
- よいことをするのは気持ちがよいから。悪いことをしないのは、(悪いことをしたら)気持ちが悪いから。というところが印象的だった。(3年女子)
(なるほどと思いませんか? )
- 今日は、自分も砂漠の文明の中で産まれたら、きっと何かの宗教のリーダーになれたかもしれない、というようなことを考えながら授業を受けました。
人を、サンスカーラの世界からあるがままの世界に接近させるために「方便」を使うというところが印象的でした。でも、その方便も人の取り方次第で、いろいろな意味へとサンスカーラされてしまう。・・・サンスかーラって非常に奥深いですね。
10月19日の返信について。
FF10は現在やっていますよ。モンスター集めに必死になっています。(2年男子)
(宗教のリーダーに,ですか.なかなか気合いが入っていますな.
FF X はモンスター集めですか.張り切って集めましょう.そして全てのモンスターを 10体集めてアイツを倒しましょう.オヤジとの専用会話イベントが発生し,だいじなものももらえます.ちなみに私はアイツを OVERKILL で倒せます (^o^) )
- 講義の最後、チョークとテストの点数のことなんですが、あれは、誰の視点から見ての価値判断なんですか?特に、テストの点数のとこがわかりにくかったです。(2年女子)
(「自分に関する他人・社会の評価」 & 「他人に関する自分の評価」どちらもあります)
- 昔、何かのマンガで、誕生日に、親に感謝して祝うという話がありました。「布施」の話で思い出しました。
いろいろ仏教の複雑な話を聞いた後だったので、仏陀の遺言が思った以上に単純だったことに驚きました。複雑な事も結局、単純な事に帰結するものなんですね。
PS2がないので、Xができません。今までのは全部やってたのに残念です。XIはオンラインゲームらしいし・・・。残念です・・・。(3年男子)
(あれは釈尊の遺言ではありません.遺言は次回やります.
PS2 何とか入手しましょう.やりたいゲームをするためにゲーム機を買う,これが基本です)
- 布施のところの話で、ボランテイアのことを考えた。例えば、体の不自由な人に、ボランテイアを「してあげる」、じゃなくて、したいから「させてもらう」、ということ。誰かのためにしているつもりだけど、じつはそれをするのは、「自分」のためであるということ。違いますか?(2年女子)
(善いことをしたいから善いことをする.他人のためであるようで実は自分のため,それが結局は他人のためになる.どうです,いい感じでしょう?)
- ゴールに到達できるならどんな方法があってもよいと言う仏教の考え方はいいなあと思いました。ところで釈尊は涅槃の境地にまで行った人ですがその境地にまで行くことは本当に難しいことだったと思います。生きていくなかで世界の物事をサンスカーラしてしまうのはごくごく自然なことでそれを制御して出来る限りありのままの世界を認識そるということは簡単なことではないと思います。いったい釈尊はどんな修行をしたのでしょうか?(3年女子)
(彼の修行は瞑想が主体でした)
- 今日、「方便」という言葉の説明があったが、僕は今まで方便とは便宜的手段であると思っていた。しかし、今日の説明ではその考えは間違っていると言われた。方便は真理に向わせる唯一の手段ということだったが、私たちが普段使う上ではどちらの意味でとらえればいいのですか?
クレヨンしんちゃん、実際に見たくなりました。(2年男子)
(後者の,本来の意味で使いましょう)
- 「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」。死を受け入れることが難しいように、「当たり前の事を当たり前のようにすることは難しいことだ」というのが、とても印象的だった。また「売春や、殺人は、なぜダメなのか」という問いに答えるには、「悪いことだから」という宗教(倫理)しかなく、それが機能しないと「社会は滅びる」という事実も衝撃的だった。夢のような話だが、日本(世界)が、「悪いことをしてはいけない」という1つの法律だけで、充分機能する社会になって欲しいものだと思う。(2年女子)
(それは理想ですが無理です.ですが,極力その方向に持っていく努力は払うべきです.その第一が「教育」であることは言うまでもありません.特に幼少時の教育効果は絶大なので,その段階できちんと社会的人間になるためのフォーマットを行う必要があります)
【総評】今回も気合いの入った感想をありがとう.次回は諸法非我,釈尊の遺言などをやって,何とか大乗仏教の発端あたりまで進みましょう.(鈴木隆泰)
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