11/16 アンケート6号の評価
アンケート6号(総数 38)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や回答内容の質には全く関係ありません.
複数の同一回答は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
今回は,宗教の論理・世俗の論理,幸せとは何か,天国と地獄の話をしたあと,諸法無我(諸法非我)を説明し,ついに釈尊の遺言まで辿り着きました.インドの原文も二つほど(ディーガ・ニカーヤとダンマパダの一節)紹介しました.
- 釈尊の遺言はとても受け入れやすく、僕の
確信核心をつくものでした。自分の中の日本人という要素は、ここにあるのかもしれない、と感じました。(日本人と仏教や神道がどのように結びついているか、また日本人と信仰心・宗教心の関係については適切な知識を持っていないので、疑問も残りますが。)(3年男子)
(どの辺りが核心をついたのか詳しく教えて下さい.とても関心があります)
- 真理をついた言葉というものはすごい。時代を越えても全く色褪せることなく人の心を動かせる力がある。しかし、人間は結局同じ過ちを繰り返してしまう。だからこそこういった言葉が私たちにも通じるところがあるのだろうとも思った。(2年女子)
(複雑な想いがしますね)
- 過去を後悔して、未来を不安に思うと、今が抜ける。釈尊も言っているように、時間は「今だけ」なんだと最近特に思います。「今だけ」という考え方の方が、より人生を大切にできそうだと思いました。(2年女子)
(「今」を大切にできない人に「人生」を大切にできるわけがないですよね.「人生」は「今」の積み重ねなのですから)
- 今日の講義で、「その人の考え方によって、人間は生きながらにして、天国にも地獄にも行くことができる。」という天国と地獄の話について、共感を覚えました。人は物の見方や考え方を少し変えてみると、気持ちが晴れてきたり、何か道が開けてきたりすることがあると思います。(2年女子)
(人はその心次第で天国にも行けるし地獄にも墜ちてしまう,釈尊は輪廻転生をそのように捉えていたのでしょう)
- 今日の講義の最初のほうで天国と地獄の話を聞いて、幼い頃テレビで見たアニメの『一休さん』でも同じような話があったことを思い出した。私たちが無意識に生活している中でも何気に取り入れられているということを改めて感じた。特に釈尊の遺言は印象強かった。自分がいかに考え、どのような視点で見るかによって大きく変わってしまうかということをことを考えさせられた。(2年女子)
(『一休さん』,懐かしいなぁ.一休宗純禅師はあの家系の中で傑出した人物でした)
- 毎日日々をすごしている私たち。過去を振り返って後悔したり、あの時に戻りたいと願ったり、未来をおもって不安を感じたりする。しかし、過去を振り返ってもすぎたものはどうすることもできないし、未来をおもっても(今は)どうすることもできない。私たちは今しか触れる(生きる)ことはできないのだ。今を大事にということが身にしみた。(2年女子)
(今が大事なのは分かっても,なかなか実践できないのが人間です.「分かっちゃいるけどやめられない」ならどうしたらよいのか? これが次回のテーマになります)
- 諸法無我という考えかたが印象的でした。「自分」そのものというのが存在しないということ、またインドにおける「自分のもの」という観念が、「自分の思い通りになるものである」ということから、全ての物は自分の思い通りにならないという意味だと思いました。仏教において価値観の転換というものが絶対である事がよくわかるとおもいました。(3年女子)
(仏教だけでなく,「本物の宗教」には人生を豊かに・楽にするための価値観の転換が必ずあります)
- 恨みから恨みをつくりだしては確かに何も解決しない。しかし、我々人類はそれを理解していても実行に移すとなると、なかなか容易ではない。容易ではないからこそ意味深いものがあると思いました。(2年男子)
(6つ上にもありましたが,やっぱり複雑な想いがしますね.本当はこのことばが要らない世界でなくてはならないからです)
- 仏教における時間論についてだが、釈尊の考えである“時間があるのは人間が歩いているその一点のみである”というこのことは、正にその通りだと思った。人間は、過去や未来にどうしても囚われがちであるが、実際に時間というものが存在するのは“今だけ”であって、今が過去や未来を良くもし、悪くもする、つまり、過去も未来も全て私達が歩いている今にかかっているのだから・・・。だから、私も二度と繰り返されることのない今をもっと大切にしなければいけないと思った。(2年女子)
(実践してみましょう)
- 毎回の授業で、今を一生懸命生きることや、前向きに考えようという精神を教えられ、まるで導かれているような気がします。仏教に興味がわいてきました。(3年女子)
(興味が出てきたら自発的にどんどん学ぼう.よかったら研究室を訪ねて下さい)
- 神を否定した唯物論・実存主義とも虚無主義とも違うサンスカーラで捉えた実在論は、今でいう現象学の見方に近いかなと思った。また時間論もこれまでの歴史的な水平な時間に対して垂直に捉えるといった、詩人の時間概念に似て、それとサンスクリット語に詩的リズムが顕著なのと関連があるようで興味深い。(4年女子)
(あなたの意見はいつもなかなか面白いですね.でも,もっと授業に出ましょう)
- 釈尊の遺言は、呪文のような文章で仏教の世界にひき込まれそうだった。諸行無常の時間論で、過去や未来にとらわれることなく時間は今だけであると考えることはとても大切だと思った。未来を見据えて生きることも大切だが、明日何が起こるかわからない世の中において、今を精一杯生きることが大事だと思った。(2年女子)
(あれは呪文じゃないって (^o^;)
- 今日は復習のような感じで今までの事をおさらいできました。来たとき先生が幸福に付いての話をしていて、先生がなんだか教祖みたいに見えました。先生はやはり仏教徒なんですか。(2年女子)
(私が教祖ですか (^^;
ところで,私は仏教が好きですが,あなたが「仏教徒」ということばで理解している範囲の仏教徒ではないと思います.この辺りのことは次回の講義でお話しすることにしましょう)
- 『諸法無我』とは、「空」の概念で、こだわりを戒めるものである。既得権益にしがみついている大人たちに教えてあげたい言葉だ。「足りることを知る」ということも大切である。欲は、人間を成長させるが、強欲は、人を破滅させると思う。(2年女子)
(人間を成長させるものは向上心です.欲は欲を呼び強欲となります)
- 毎回新鮮に感じるポイントがいくつかあって、何を書こうか迷ってしまいますが、今日ちょっと感動したのは、スリランカの外務大臣の言葉。あのような言葉で許されたことがあると言う事実を、日本人はもっと知っておくべきだし、自分たちのことなんだから義務があると思った。それから、最近感じたことですが、宗教が怖いと思うのは、自分が宗教のパワー(の強さ)を知っているからだと思いました。イスラームやカトリックやそのほか新興宗教、どれが正しいかで争う必要はないと思うし、みんな共存できれば理想だと思います。「怖いから関わり合わない」と言う手段もあるけど、しかし、たとえば今回のテロのように、宗教的な理由で聖戦を行う人たちを目の当たりにして、「関係ない」ではすまないときもあるでしょう。否応なしにわたしたちが個人レベル・国レベルであれ、異なる宗教の人たちと直面する機会が必ずあると思うのですが、確固たる信仰を持たないわたしたちはそんな時どう対応していいのか分からないと思います(信仰があっても、直にぶつけては無益でしょうし)。仏教は、それを考える鍵になると言う気がしました。(それから私的な質問なんですが、先日某海外ドラマを見ていたのですが、タイトルがVia Negativaというもので、内容はカルト教団風でした。サンスクリット語でしょうか?どういう意味ですか?)(4年女子)
(加害者側は事件を忘れやすいのに対し,被害者側は忘れにくい,ということを聞いたことがあります.一概に絶対にそうだとは言い切れないでしょうが,たしかにそういう面はあると思います.
私的な質問に対する回答:ひょっとして X-ファイルですか? Via Negativa はラテン語でして,英語で言うなら Negative Way,直訳すると「否定道」です.哲学や神学の用語として用いられますが,X-ファイルでは「闇から光へと続く道」の意味で使っているようですね)
- 釈尊の遺言「vayadhamma samkhara appamadena sampadetha」は「存在論的解釈」と「時間的解釈」とがあるが、後者の時間的解釈の“過去を悔いず、未来を憂いず、時間は歩み続ける今のみ”という言葉はとてもいい言葉(教え)だと思った。(2年女子)
(いいでしょう? 「ものごとはうつろいゆく.怠ることなく修行を完成させなさい」というような訳では伝え切れません)
- 恨みは恨みを生むだけでうらむことを止めなければ延々と恨みのサイクルは続くと思う。人類はそれを分かってはいるもののどうしても実行に移せない。そこが人間の弱さなのだろうか?恨みというものは決してなくならないものなのだろうか?(2年男子)
(恨みはなくすことができます.でも,恨み返している限り決してなくなりません)
- 今日は、幸せとは何かを考えました。私は、なんとなく自分は幸せだと思っています。しかし、私の周りには自分を不幸だと思っている人もいます。その人は身近にある幸せが見えていないのでしょうか。今日は時間のとらえかたや、アートマンなどといった、目には見えないものについて考えましたが、理解するのは難しかったです。しかしその中で、手はアートマンではない、ということは納得できました。(2年女子)
(幸せですか.大いに結構!)
- 諸行無常という言葉の解釈として、私は存在論的解釈の方がより理解しやすく思いました。常に形を変え湧き出してくるサンスカーラの中で、迷ったり足止めされたりすることもあるが、そのつどしっかり物事を見定めなければならない。胸にズシンとくる言葉でした。あと、インドの言葉は私もリズムがよくて好きです。(2年女子)
(サンスカーラは常に湧きだしてきます.大事なのは,「それはサンスカーラだ」と認識して,幻惑されずにいくことなんです.あなたはよく理解しています)
- 私は時間について考えることがときどきありますが、いつも時間とは何か、どこから生まれてくるものなのか、その答えはいつも出てきません。今日のバラモン、反バラモンの時間のとらえかたにも納得できませんでした。しかし、釈尊の時間の考え方には少し賛成できるところがありました。釈尊の言葉によって、私は今を精いっぱい生きなければ・・と思いました。(2年女子)
(「あなたが私のことばに賛成しようが賛成しなかろうが構わない.要は,あなたがあなたの人生をきちんと生きられるかどうかなのだ」 釈尊ならきっとこう言うに違いありません)
- 時は常に今だけであり、今この瞬間はもう過去になる。過去を悔いずに、未来を不安に思うことなく歩み続ける事。今を大切に生きようと思う今もまた過去になっていく。
小さな事でも、「幸せなこと」を感じられる毎日にできたらいいなと思った。幸せとは自分の考え方次第、世界の見方次第で変わるものだから。(2年女子)
(外的な世界を変えずに自己を変えることによって,その世界で生きる生き方が変わる.宗教は内なる革命です)
- 釈尊の遺言のところの諸行無常の時間論「過去を悔いず、未来を憂えず、時間は歩み続ける、今のみ」は本当にそうだなと思った。改めて時間の大切さを学び、今を大切に生きていかなければならないなと思う。(2年女子)
(繰り返しになりますが,実践しましょう)
- 私を含めて、人は過去のことを後悔し、未来に不安を覚える。いくら考えてもどうにもならないことなのに、である。釈尊の遺言はそんな私の心をそこから解放してくれる気がした。過去を悔いる事で今を精一杯生きないなんて人生がもったいない。私は今のこの一瞬一瞬を大事にしたい。(2年女子)
(大事にしましょう)
- 釈尊の「恨みは恨み返すことによっては決して鎮まらない」という言葉は、先生も言われたように、昨今の民族紛争を考えると、とても重い言葉だと思う。前にテレビで民族紛争の問題を扱っているものを見たことがある。身近なものが殺され恨みから復讐を是とする。復讐された方はまた同じように復讐に燃える、といったように延々と、始めが何だったのかも分からないほど復讐が繰り返され、恨みの量は増える一方で、より悲惨な状況になっていく。そして、そんな状況を憂えて和平を呼びかけ、解決の糸口を掴んだ者が暗殺されたりする。暗殺された和平功労者の未亡人が「恨むことからは何も生まれない」みたいなことを言って、和平を呼びかけているのを見て私は感動した。今日の授業でインドの首相の話を聞いて、私はこのことを思いだした。でも、恨みというのは簡単に捨て去ることは出来ないし、恨みを抱いている人間は復讐によって恨みが晴れると思ってしまうものだ。だからこそ、恨みを捨てることにした未亡人や、インドの首相の行為に感動するのだろう。(3年女子)
(浄土宗の開祖である法然は幼少期に父を殺されましたが,その父は死に際に「決して復讐してはならない」と息子を諭した上で仏門に帰依させました.時代・地域・宗教の枠を超え,やはり「永遠の真理」なのです)
- 「過去を悔いず、未来を憂えず・・・」
この言葉はどうにもならない事を考えこみがちな私をそこから引き上げてくれるような気がした。日々常にこの言葉を心において過ごしたい、と思った。(2年女子)
(何かあったときは常に想い出すようにするとよいかも知れません.あるいは紙に書いて部屋に張っておくなんてのもいいかも)
- 釈尊の遺言はすごい!!と思った。過去を悔い、未来を憂いてばかりいる自分にハッとした。仏教を理解し自分なりの解釈をするのはもっと時間がかかると思うが、まずは心の持ちようからはじめてみようと思う。(3年女子)
(研究室を訪ねてみましょう)
- 釈尊の時間の捉え方は、仏教徒であった相田みつをさんの作品の中にも出てきます。それは、「いま ここ じぶん その合計が 自分の一生」という言葉です。今という時間の積み重ねが自分の一生をつくっていくのだと思います。過ぎ去っていってしまった時間は取り戻すことは出来ないし、「今」という時間を大切にして過ごしていきたいと思いました。(2年女子)
(東京に美術館があるんですね.こんど時間のあるときに行ってみます)
- 先生の説明はひじょうにわかりやすいので、この講義の終わり頃には自分も悟りが開けるのではないかと期待しています。もしかしたらみんなが仏陀になっているかもしれない。(2年男子)
(もし皆さんが仏陀になったら,是非私に仏の道をご教示下さい.よろしくお願いします)
- 過去を悔やみすぎても、未来に不安を抱きすぎてもいけない、「今」はここにあるという考えは、生きることを充実したものにしていると思いました。また、アートマンがいないのではなく、アートマンではないと見方を変えるというのも大切なことだと思いました。新聞でしゃべりたくなる日本語というのがありましたが、インドの詩はリズム感があっておもしろかったです。(2年女子)
(インドの詩はたくさんたくさんありますよ〜)
- この講義では釈尊の思想が分かりやすく説明されていて、また共感する部分が多くあるので毎回楽しみにしています。今回、最も印象に残ったのは『過去を悔いず、未来を憂えず、時間は歩み続ける今のみ』という言葉でした。過去を後悔し未来ばかりに目を向けるのではなく、今を一生懸命生きることが大切であるという釈尊の考えを聞いて、あらためて私も今という時を大事にし、一生懸命生きたいと思いました。(2年女子)
(講義を楽しんでくれてありがとう)
- 釈迦が言った「過去を悔いず、未来を憂えず、時間は歩み続ける・・」という遺言を聞いて本当にその通りだとおもいました。起こってしまったことをいつまでも悔やんでみたり先のことを考えすぎてしまうけれど、今が大切に出来ていなければいけないと思いました。(2年女子)
(今回が初めての出席ですね.今までどうしていたのですか?)
- 釈迦の遺言が、先を想像して勝手に不安になったり過去を後悔してばかりの今の自分に、ぐさっときました。(3年女子)
(ぐさっときたら実践あるのみ.それも難しければ対処法もあります)
- 先々週は「釈尊の遺言」についての話を聞く前に授業が終わってしまい、それからというもの2週間ずっと気になっていました。今回の講義で釈尊の遺言(特にその時間論)について知ることが出来てとてもよかったです。「過去を悔いず未来を憂えず・・・」というのを聞いて、いつまでもクヨクヨしている自分、「明日から始めよう」と思っては始められない自分を反省しました。これからは「今」を大切にしようと思います。(2年女子)
(ずっと気になっていたんですか.そういうときは遠慮なく研究室を訪ねて下さい)
- スリランカの外務大臣の演説の言葉にも感銘を受けましたが、韻律っていうんですか?リズムの美しさに感動しました。詩に興味を持つことが出来ました。勉強をしている時に、例えば詩を読んでいて歴史の深さに感動したりと、派生的に違う事に目が行くということが好きです。学問の醍醐味の一つだと思います。(3年男子)
(シュローカの韻律を気に入っていただけましたか.何よりです)
- サンスカーラの時間論で少し悩みました。バラモンは、人が時間を完成させてゆく。反バラモンは、時間は人とは無関係に流れる。釈尊は、時間と人とに区別せず、今の自分が時間と言います。ということは、釈尊は時間と人間の同化を説いたのでしょうか?
釈尊の遺言は感動しました。僕もサンスカーラに惑わされずに、なんとか生きていきたいです。(2年男子)
(歩み続けるその人に時間が確認されるということですから,ある意味では同化と言えるかも知れません.でも「同化」と言うと,もともと複数あったものが一つになっていくというイメージを持ちやすいですから,この場合には余り使わない方が適切でしょう)
- 今を生きるという言葉を聞いて同名の映画を思い出しました。これはたしかアメリカかイギリスの映画だったような気がします。時間論や存在論なんて多くの人間は気にしてないような気がする。それでいいと思うけど。今日はしし座流星群が見れるかな。星にしてみれば人間の時間なんてどうでもいい一瞬なんだろうな。(3年男子)
(星がどう思おうと,あなたの時間はあなたが作る掛け替えのないものです)
- 私は釈尊の「時間」の考え方が好きだ。確かに、過去を悔やんでも前に進めないし、未来をあれこれ考えても不安になるだけだ。とにかく今が一番大事なのだから、今を他のどの時間よりも大切に過ごしたい、という気持ちになる。今の時間を大切に過ごすことができたら、どんな結果になろうがいいのではないだろうか。(2年男子)
(そういう風に思うことができ,実際に行動することができれば,その時点であなたの人生は豊かなものになっているはずです.宗教的に言うと,そういう状態を「救いが完成した」と言います)
【総評】次回からは釈尊以降の仏教,そして大乗仏教に入っていきます.ちょっと前振りをしておきますと,巷でよく言われているらしい「大乗仏教=在家仏教」という理解は誤りです.(鈴木隆泰)
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