10/19 アンケート3号の評価
アンケート3号(総数 37)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や回答内容の質には全く関係ありません.
複数の同一回答は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
今週は「サンスカーラ」を中心にお話ししました.ちょっと難しかったかなとも思いましたが,結構理解してくれた人が多くて安心しました.
- せんせいのおしえかたはとてもわかりやすくて、がいこくじんのわたしにとっても、よくわかりました。(2年男子)
(どうもありがとう)
- 仏教の真理の根幹である諸行無常について知ることができ、嬉しく思います。頭のなかにはその考えは入ってきましたが、精神世界や抽象概念、形而的概念が含まれているので、自分の言葉で表現することが難しいように思います。後にでも自分の中に残っていけばいいなと思います。(3年男子)
(諸行無常はこれからも繰り返し説明するので,あなたの中に残していって下さい)
- 毒矢の喩のお話で物事の視点を変えて考えることも必要だなと感じました。(3年女子)
(言われてみると「そりゃそうだよな」って感じでしょう?)
- 身近にある仏教というものを実は何も知らなかったんだな・・と実感しています。難しい内容もきちんと学生に伝えようとしてくださる授業なので嬉しいです。(3年女子)
(これからもよろしくお願いします)
- 今日の講義の内容はとても難しかったですが、段階を追って少しずつ整理していくと、なんとか理解できました。もう一度頭の中を整理しておきたいとおもいます。毒矢の喩で、全ての答えはわからないのに、そういう問題で争っていては、いつまでたっても安心、心の平安は来ないという所にとても共感しました。(2年女子)
(仏教って結構面白いでしょう?)
- 「人間は形成力を発していないと不安になる」という考え方について、私自身、自分の抱いていたイメージとギャップがあったりする事など思い当たることがよくあります。そのような事は、やはり自分でイメージを抱いていないと不安になるからだと改めて思いました。(2年女子)
(結局,「サンスカーラとの上手なつきあい方」が肝要なのです)
- 仏教を考える中で、諸行無常は大事な真理観であり、その中のサンスカーラの考え方が難しく感じた。しかし、毒矢の喩の話はわかりやすかった。様々な宗教の中には、疑問をもつ教えも多いが今回は、わりと理解しやすいものだった。そして、釈尊の「輪廻は尽きた。解脱した。ということば今回の授業の中で最も印象強かった。(2年女子)
(教義でガチガチに縛らないというのが仏教の特徴です.「least dogmatic」と評されることもあるくらいです)
- “諸行無常”という言葉は今までに何度も聞いたことがあり、私はその言葉の意味を“この世のもので常に移り変わらないものはない。すべてのものは必ず変化する。”というように理解していました。だから今日の講義を聞いていて、驚きと同時に新鮮さも感じました。また来週、“諸行無常”についての講義が聞けるのが楽しみです。(3年女子)
(ただ単に「全ては移り変わる」では,万物流転と同じになってしまいますからね.諸行無常は仏教の根幹をなす考え方です.是非理解していって欲しいと思います)
- 釈尊の毒矢の喩はわかりやすかった。人間の発達した知力のところで、私も釈尊のようにプラス志向でいきたいと思った。(2年女子)
(本来,宗教は人間の能力をプラス方向に持っていく作用を持っているはずなんです.問題は,それが実際に行われているかどうかにかかってきます)
- 諸行無常とは単に移り変わりのことを指すのではなく、認識のレベルの問題であると勉強して少し難しい印象を覚えた。釈尊は形而上学的問題について、一歩引いた立場から眺めているので、冷静な考え方をしていると思う。(2年女子)
(彼は覚めた(not 冷めた)人です)
- 「輪廻は尽きた。解脱した。」という形而上学的議論への不介入を示すこの言葉は、現在の社会においてもあらゆる場面で意味を持つと思った。犠牲ばかり出て答えのでない争いをするより安心を求めよ、と言った釈尊の言葉に重みを感じた。
輪廻を外れるとは具体的にどうなることなのだろうか?(2年女子)
(「輪廻を外れる」=「輪廻の観念を必要としなくなる」ということです.別に輪廻の輪っかから放り出されるわけではありません.その輪っかがあってもなくても私は生きられる,私は輪廻によって自己存在を肯定してもらわなくても結構だ,と彼は宣言したのです)
- 宗教の話というだけあって、抽象的な部分もあり少しわかりにくかった。あと、釈尊は宗教論議が本末転倒だということを説き、頭がいいと思った。(2年女子)
(現在もめているその手の方々にも参考にしてもらいたいと思っています)
- 未来に不安を感じたり、過去に後悔を感じたりすることは私達によくあることだが、そのようなことを考えても、心の平安は得られない、というところに納得した。まだ見ぬ未来を想像したり、過去に心をとらわれることなく、「今」を大切に毎日を過ごしていこうと思った。(2年女子)
(「今」は諸行無常,そして,それを踏まえた釈尊の遺言とも深く関わっています.このお話は次回いたしましょう)
- 虚構としてのサンスカーラの考え方は難しかったですが、毒矢の喩は、それを理解する上でとてもわかりやすかったです。
また日常の人間生活を営むためにはこの考え方がある程度必要ということがその通りだと思いました。(3年女子)
(私たちはサンスカーラを発動しまくって生きているのです)
- 宗教は人々に安心を与えるものである(それが全てではないが、そういう効力をもっている)が、バラモンや反バラモンの人たちが形而上学的問題について争うことで、その安心が侵される。「先に矢を抜け」(人々の心の平安を優先しなさい)という釈尊の教えが、非常に印象深い。(2年女子)
(そこら辺に今日のいろいろの問題を解決する一つのカギがあるように私は感じています)
- バラモンと反バラモンの対立に関して距離を置いて考えた釈尊の考え方はとても利口なやり方だと思いました。しかし、輪廻に関してそれぞれの意見を持つ立場の人々の主張というものは、果たして自己顕示欲から来たものなのか、自らの信仰を守るためなのかというところで、少し考えてみなければならないのではないかと思います。釈尊の考えは多くの中の一つなのだということを心に留めておかなければ、間違った認識をしてしまいそうだとも思います。(2年女子)
(自らの信仰を守るために他者と争う必要は必ずしもないですよね.それから,釈尊の考え方は多くの中の一つであるのは事実ですが,その他多くとは少し違った立場からの考えであることは理解できましたか? 同じ土俵に立っていないということです)
- サンスカーラの説明を文章でされたときは、全く意味を理解することができなかったが、図などで説明されたらよく分かった。また、諸行無常について、今まで自分はただの四字熟語として認識していたので、これほどに深い意味があると知り驚いた。(2年女子)
(これからもますます深い意味があることが分かっていくでありましょう)
- 前期にアジア文化論 I の講義を受けた時に印象深く感じた話を今日も聞きました。毒矢の喩の話です。釈尊が弟子達に話したこの例え話は、現代の私たちが聞いてもなるほどと思う話です。まずすべきことは何か、又自分たちは争っても答えの出ないことについて争って大切なもの(ここでは安心)を壊しているのではないか、いつも考えていなければならないのではないかと思います。(2年女子)
(そうそう.前向き,前向き)
- 今まで諸行無常についてよく知らなかった。ただ単に物事の移り変わりを表した熟語だと思い込んでいた。しかし、人間の認識の問題なのだということがわかった。徒然草でもこのような意味で解釈すべきだったのであろうか。釈尊は「輪廻は尽きた。解脱した」と言って輪廻の観念を捨てた。私も考えてもしかたないことは考えるのをやめようか、と思った。(2年女子)
(徒然草の諸行無常は釈尊のそれとは必ずしも同じではありません.これは日本の仏教を説明するときに扱います)
- 「輪廻は尽きた。解脱した」と言う釈尊の言葉から、彼が今までのバラモン対反バラモンの繰り広げる終わりのない形而上学的議論、世界観から抜け出したことは分かりました。しかし、釈尊は輪廻を否定してはいないですよね。一歩ひいて、冷静な目で見ているのに、輪廻を信じているなんて少し不思議で、複雑です。輪廻がある、絶対譲らない、と議論したバラモンや対立する思想家たちのことは理解できますが・・・(4年女子)
(釈尊にとって輪廻の観念は不必要なものとなりましたが,彼はその存在を否定も肯定もしていないと考えるべきです.輪廻の存在は形而上学の問題ですから.「私は輪廻の観念によって助けられなくても生きていける」というのが彼の解脱宣言です)
- 人間はいつも形而上学的なことにとらわれて生きていると思いました。実際、輪廻が存在しようとしまいと生きていることにかわりはありません。それでも、やはり信じてしまいます。今の生活において、私たちは宗教に以前ほどとらわれてはいません。しかし、完全に宗教から脱却してもいいません。それは、やはり形而上学なものにとらわれ、答えを知りたいと思っているからなのだと思いました。(2年女子)
(完全に宗教から脱却する必要など全くありません.私の個人的意見ですが,人間にとって宗教は不可欠のものだと思っています.宗教を信じる=危ない,無知,などというのは一方的な思い込みに過ぎません.ただし,危なかったりまやかしの「宗教らしきもの」があるのも事実.その手の輩とのつきあい方も授業で教えます)
- サンスカーラがまだつかみきれません。サンスカーラには多くの意味があるのですか?頑張って聞いていたつもりなのですが、だんだん難しくなって整理ができなくなってしまいました。次回もう一度まとめて説明していただけたら嬉しいです。(3年女子)
(大丈夫です.サンスカーラは仏教を貫く根本的な考え方の一つなので,これからもいろいろな場所で繰り返し登場します.次回ももちろん説明します)
- オウムの影響もあって自分はずっと“解脱”ということばは、ちょっと危険なひとの使うものだとおもっていた。仏教用語は自分達のみじかにたくさんあるけど、意外に本来の意味や使いかたは知られていない。これらを知ることによって新たに仏教文化への認識が変わりそうで面白い。(2年男子)
(そういう意味でもやっぱりオウムは罪深いよなぁ... とにかく面白く学んで下さい)
- 宗教を所詮人のつくりしものとすれば、人間の想像、目にみえないものへの追求など無意味なものそのものだと改めて思った。(2年男子)
(「宗教は人が作り出したもの」と捉えることは可能ですし,むしろその方がある意味では学問的・客観的な立場とも言えるかも知れません.ただし,学問的・客観的な立場を貫くのであれば,「なぜ人間はそのような行動を取るのか」について探求していく必要があります.それを行わずに単に「無意味だ」と切り捨てるのは論理・思考の放棄であり,主観そのものであり,最も学問的でない立場です.したがって,あなたの意見は自己矛盾していると言わざるを得ません.また,あなたは全世界のキリスト教徒やムスリムたちに「あなた方は無意味なことをしている」と言っていることにもなります.それは余りに自分勝手な意見ではないでしょうか.これこそ,自分の知っている範囲の知識・感覚で対象を捉えようとするサンスカーラ発動の典型です)
- 諸行無常とは仏教の中心的な考え方であり、また諸行無常の意味は『仏教で万物は流転するものであり永久に変わらないというものは世の中に一つもないこと』であると思っていたが今日の授業を通して深い意味があるのを知り、とても驚いた。サンスカーラの考え方が少し難しいと思ったが、アジア文化論 I でも話された毒矢の喩の話は分かりやすかった。私たちは過去や未来にとらわれ、後悔したり不安を抱いたりするがどうしようもないことで悩んでいても仕方がないし釈尊の考えを見習って前向きに生きようと思った。(2年女子)
(前向きに生きましょう!!)
- 心の安心(平安)を得るための宗教が争いのもととなるのは、宗教のあるべき姿からはずれている気がする。宗教にはもちろん違いがあるのだから、それを認識して、お互いに妥協していくしかないのでは?と思う。(2年女子)
(「自己と違う他者を認める,認め合う」これしかないですよ.人間の叡智の見せどころなんですが)
- 毒矢の喩えの話を聞いていると、形而学的な議論(争い)がいかに無意味なものであるかがよくわかった。また、私達が日頃から形成力(サンスカーラ)によって形而上学的問題を作り出し、その問題を自分の思うように認識しているということには、かなり納得させられた。(2年女子)
(よしよし.折に触れ再確認していって下さい)
- 諸行無常という言葉にこんなにも深い意味、仏教の真理があると知り驚いた。サンスカーラの説明については難しかったのでよく理解できなかった。普段宗教について考える事はほとんどないが、宗教の役割とは何なのか考えさせられた。(2年女子)
(普段考えないことを考えるのもよいものです.いっぱい考えて下さい)
- 私は諸行無常といえば、万物は流転して留まることがない、くらいの意味だと思っていました。しかし釈尊は、人間の世界認識というか解釈というものは、常に変わっていくものだと、つまり、世界はああだこうだという論争を眺めて、もっと根本的に人間の世界認識の問題について論じていて、一枚上手だなと思いました。またサンスカーラの虚構・形成力という考え方に共感しました。私たちは、物事を完全に客観的に捉えることは出来ないと思います。また物事を理解しようとするとき、不安定なありのままではなく、とりあえずいくらか形を歪め安定した型にはめて理解してしまうものだと思います。そしてそれは、経験の積み重ねによって変更されていくものです。(3年女子)
(君,凄い!! 秀逸です.驚きました)
- 諸行無常という言葉を聞いて何日か前の新聞広告に載っていた瀬戸内寂聴の本の宣伝文の「無常とはいいことも悪いことも続かないこと」とあるのを思い出しました。本当にそうかなと思いました。これからも授業で考えてみたいと思いました。これも形而上学の問題かな。(3年男子)
(そういう風に捉えることもできます.でもそれは無常の捉え方の一面に過ぎないことも事実です.個人的に,寂聴師の生き方は割合好きです)
- 釈尊の毒矢の喩は非常に分かりやすかったです。元々、宗教の役割の一つとして、心の平安を手に入れるためにあるのに、その宗教の考えが心の平安を邪魔するのであれば、その考えに執着することを放棄した方が良いということを良く表していると思いました。サンスカーラについての説明は少し難しかったので、何となくしか理解できませんでした。(2年女子)
(授業で繰り返し取り上げていくうちに段々分かってくると思います)
- 今日の講義を聞くまで諸行無常についてほとんど知らず、今回、実に多くの事を学びました。そして、この講義では仏教を通して人間の考えや思想について多く触れているので、自己を見つめ直す良い時間になっています。しかしサンスカーラの説明において理解でき、なるほどと思う部分があった一方で、難しく理解できない部分もありました。もう一度まとめて説明をしていただけたら嬉しいです。(2年女子)
(安心していて下さい)
- 「輪廻」の意味の深さに驚いた。「毒矢の喩」にあった”宗教の役割”これは宗教習慣が薄れてきている今の日本社会ではうまく機能しているのだろうか。(2年女子)
(機能するしない以前の問題かも知れません)
- バラモンと反バラモンが答えのない問題で争い、安心が阻害されていた。それを「毒矢の喩」で示した説明は納得のいくものだったが、サンスカーラは、一部理解できないところがあった。(2年男子)
(どこが理解できなかったか伝えてくれるとありがたいのですが.次回聞いてみますから恥ずかしがらずに教えて下さいね)
- サンスカーラについて、少し分からないところがありました。質問に行くかもしれません。そのときはよろしくお願いします。あと、先生はケーブル入ってないんですか?ポケモンやってますよ、TVQで。もう知ってたらすいません。(3年男子)
(「地上波でやっていないもの」=「放送していないもの」というサンスカーラを発動しておりましたもので (^^; 質問大歓迎です)
- アジア文化論でも習ったサンスカーラですが、やはり、無明の形成力によってできた虚構もサンスカーラというのが、まだ納得できません。そんな虚構を作ってまでも、人は心の平安を求めていくものなんですね。
P.S:FF9,10はクリアしましたか?(2年男子)
(おお,どこが分からないかよく分かっていて大変よろしい.次回説明させていただきます.
FF は 9 も 10 ももちろんクリアしましたよ.今は 10 のブリッツボールで遊んでいます.君もやるの?)
【総評】サンスカーラの意味が少し難しかったようですね.いくつかの回答にコメントさせてもらったように,サンスカーラはこの講義を理解するための最重要概念の一つなので,繰り返し繰り返し説明していきます.ご安心下さい(鈴木隆泰)
suzuki AT ypu.jp