10/12 アンケート2号の評価
アンケート2号(総数 41)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や回答内容の質には全く関係ありません.
複数の同一回答は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
仏教が乗り越えていった土台としてのバラモン教,そして反バラモンの自由思想家たちの思想を紹介し,パレスチナ問題なども引き合いに出しながら宗教・宗教対立・形而上学的議論の有り様を説明しました.
- 宗教というものについて考えさせられた。確かに答えがあるというのは楽だ。しかしだからこそ客観的に見る視点を大切にする必要がある。少しひいて議論を見てみた釈尊の諸行無常について知りたいと思った。(3年女子)
(考えてくれてありがとう.この講義では皆さんにも一緒に考えてもらいたいのです.次回の「諸行無常」にも期待して下さい)
- 今までの自分の知識の中で誤った解釈をしていたことが今日の講義の中でいくつかあった。例えば、仏教の開祖は釈迦だとか、宗教の意味だとか。。。自分の心の中で「神様」と唱えてしまう限り見えない存在の神や宗教について、もっと知っていきたい。(3年女子)
(もっと知って下さい (^^) あと,私が字を間違えたときにはこれからも宜しくお願いします)
- 私の仏教に関する知識はとてもあいまいです。それどころか間違った認識や解釈ばかりなのだと思います。私は仏教を特別に信仰しているわけではありませんが、日本文化に大きな影響をあたえた仏教について知ることはとても価値のあることだと思うのでこれからこの授業を通して学んでいきたいです。(2年女子)
(「大きな文化体系」としての仏教を一緒に学んでいきましょう)
- 五木寛之の「大河の一滴」や「生きる目的」を読んで少しは仏教的な考えを知っているつもりでしたが、いろいろな仏教の考え方を知りたいと思いました。感想が少ないかもしれない。(3年男子)
(もっといろいろ書いてくれた方が私としては嬉しいです.それから,たしかに仏教にはいろいろな考え方があるのですが,それを可能にした根本的な「仏教的なものの捉え方」を押さえていきましょう)
- 今まで持っていた曖昧な知識がしっかりと整理されました。「仏教は日本人と関わりの深いもの」だという印象があって、日本人である僕には仏教のことを是非学びたいという気持があります。この気持をしっかりもって授業に出席するつもりでいます。(3年男子)
(その気持ちをしっかり持ち続けて下さい.一コマめということで朝早くて大変でしょうが,お互い励みましょう)
- 仏教だけでなく、宗教そのものに関する知識も得られそうな授業なのでとても関心が持てます。仏教そのものにもとても関心がありますが、宗教全体を見通すという点でとてもためになりそうです。(3年女子)
(期待に沿えるよう努力します)
- 仏教は日本でも信仰されていますが、私はこれまで仏教について詳しく勉強したことがありませんでした。授業で仏教の根本から詳しくゆっくり説明くださるのでとてもわかりやすくてうれしいです。(2年女子)
(これからも分かりやすい授業を心がけていきます.喜んでもらえると私も嬉しくなります)
- 宗教って何?というところで、不満や不安に対する補償作用があるというところにはっとさせられました。いろんな宗教があるけれど補償作用が根底にあると思いました(2年女子)
(そうなんです.だから,地域・時代を問わず様々な宗教が存在するのです.この根底を忘れないでおいて下さい)
- 仏教文化についての歴史的背景などの始まりから、流れに沿った講義なので、仏教についての理解が深まり、身につくと思います。(2年女子)
(是非身につけて下さい)
- 宗教は様々あるために答えも様々でこれと決まった答えがない。だから宗教対立は、議論が噛み合わず解決策がわからない。しかし、答えは一つでなくてもいいと思う。そのことによって様々な考えを学ぶことができるから。(2年女子)
(そういう風に考えられればそもそも宗教対立など起こらないのですが,残念ながら現実の世界ではなかなかそうはなっていないですね.悲しいことです.貧しいです)
- 仏教の諸行無常の考えについて、授業が途中で終わったので続きが気になる。興味深い事が知ることができそうだと思った。(2年女子)
(諸行無常は奧が深いっすよ)
- あまり仏教に対する知識を持っていないことに気がついた。宗教の補償作用の辺りは興味深かった。<絶対に分らないことに対する答えをくれる。>宗教がなぜこれほど人の生活に入り込んでくるのか、この言葉で少し分かったような気がした。(2年女子)
(これから知識を深めていって下さい)
- 今日の授業を通して、今まで知らなかった事、又、間違って覚えていた事等が分かった!釈迦とは人の名前ではなく部族の名前であるということ、バラモンとカースト制度には深い関わりがある事、宗教とは何か?等々…。。 仏教の原点である『釈尊の仏教』を学び、『釈尊以降の様々な仏教』を学び、異文化理解を深めていきたい。(2年女子)
(おお! なんと模範的!! (^o^))
- 形而上学的論争の放棄をした釈尊は、形而上学的なものの見方を放棄したわけではないということでしたが、よく理解できませんでした。極楽浄土など形而上学的なことは信じている。ただ、形而上学的なことでほかの宗教と対立しても意味はない、と思っている。と言うことですか?(4年女子)
(この点は次回以降のテーマになっていまして,ちょっと予告のようなかたちで触れたものです.今回よく理解できなくても安心して下さい.結論から言えば,あなたの理解はだいたい合っています.ただ,「どうしてそうなの?」という部分がないとあなたも納得できないはずです.それに何より,私自身が早く説明したくてウズウズしていますので,次回以降に引き続きご期待下さい.いやー,仏教って面白いなぁ)
- 今日の講義を聞いて印象的だったのは、宗教対立についての話だった。宗教対立は形而上学的なことについて争っているので絶対に結論は出ないという話がとても印象的だった。また、自由思想家たちがバラモンの教えに反対しバラモンと争っている中で,釈尊だけがそれを一歩引いた所から見ていたという話を聞いて、釈尊は優れた人物だと思った。(2年男子)
(だから「釈尊(釈迦族出身の聖者)」なわけですよ)
- あるシステムに対し極端なアンチテーゼが展開されるのは、現代でも変わらないと感じる。形而上学的ものの見方と論点を使い分けるというのは新鮮でした。(4年女子)
(なんかとてもかっこいい!! Cool です)
- 宗教って何?ということで、先生は補償作用だと言われました。宗教の役割は確かに補償作用だと思います。どんな宗教であれ基本的には社会をよくするためにあるのだと思いました。しかし宗教紛争があるといったい何のための宗教なんだろうと思ってしまいます。その点において仏教では宗教の違いが原因で殺し合ったりしたことがないので評価できると思います。
仏教は形而上学的論争を放棄している姿勢をとっているというのは興味深かったです。いかにして諸行無常の考えに繋がっていくのかを勉強するのが楽しみです。(3年女子)
(宗教=補償作用,と言い切ってしまうといろいろと軋轢が生じる可能性がありますので,「宗教の役割の一つに補償作用がある」としておいた方がマイルドかと)
- 宗教は形而上学であり、絶対に分からないことに対する答えをくれるものである。だからこそ宗教によって答えは違うものとなり、よって宗教対立もなくならないということがとても印象深く残った。仏教文化の講義であったが、最近のアメリカとアフガニスタンの情勢が重なった。(2年女子)
(「宗教=形而上学」ではなく,「宗教は形而上学的な問題に対して解答してくれる」が正解です.また,「答えが違う」から「宗教対立がなくならない」というのも正確ではなく,「違う答えを持つもの同士がお互いに譲らないから宗教対立が起こる」と理解するべきでしょう.最近の情勢と重なったのはよいことです)
- 今までにいろいろな授業で仏教について学んできたけれど難しく、なかなか頭に入り込んでこないことがけっこうありました。先生の講義を先週、今週と聞いてみて感じたのは、この講義では、無理なく仏教を学べそうだということです。これからも楽しい講義を期待しています。(3年女子)
(努力します)
- 今まで仏教の開祖は釈迦だとばかり思っていたので、釈迦というのは部族の名前だと知って驚きました。釈尊ではなく釈迦だと思っている人は多いのではないかと思います。
宗教対立は世界で今現在も起きているけれど、お互いが分かりあえる時はくるのだろうかと、今日の講義を受けて不安になりました。(2年女子)
(釈迦はどこまで行っても部族名ですから,今後は釈尊と呼ぶようにして下さい.
宗教対立は,「相手の立場も認めてお互いに譲り合うことをしない限りなくならない」ということに当事者たちが気づき,それを実践しない限りは,残念ながらなくなることはないでしょう.また,宗教対立は多分に民族問題や政治問題とも絡んでおり,一層解決を困難にしています.少なくとも,「宗教対立の解決は困難だ(not 不可能だ)」という認識を持てただけでも,今日の講義を受けた甲斐があったと考えて欲しいと思います)
- 「形而上学的なこと=絶対にわからないこと」という定義が、言い得て妙だと思いました。以前、人に「形而上」という言葉の意味を説明しようとして、「客観的に存在しない」とか「思想上のこと」とか色々言葉を使ってみたけれど、納得のできる言いまわしが見つからなかったことがあったので、すごく印象に残りました。また、宗教はその絶対に答えの分からないものに答えを与えるというのは、全くその通りだと思います。苦しい状況にある人は、その答えにすがるのでしょうが、私には、答えを人に与えてもらって安住しているように見えるので、そういう点から宗教に反発を覚えます。(3年女子)
(宗教全てに反発を覚えるという感情自体が,実はあなたが嫌っている宗教行為と同じ源から発しているのです.この講義で詳しくお話ししますので,自己認識や世界認識を含めた「観察眼」を養っていって下さい)
- 宗教の問題はとても難しい問題だと思います。宗教は、人間の抱えている不安や不満を解消する補償作用という点からできたということですが、時には戦争にまで発展してしまう宗教はとても恐いもののように思います。それに、バラモンと反バラモンの対立があるなか、形而上学的論争の放棄を考えた釈迦はすごい人だと思いました。(2年女子)
(上の方でも書きましたけど,「宗教は補償作用という点からできた」という点は少し認識を修正した方がいいでしょう.それから,釈迦ではなく釈尊と呼ぶようにしましょう)
→追加訂正がありました (^^)
先程、掲示板に釈迦と書いてしまいましたが、釈尊の間違いです。すいません。
(許してあげます(爆))
- 人は「知らないこと」に怯える生き物だと思います。わからないことを分析して、解明していく。知って自分のものにして、初めて安心する。だから科学では究明できない「死」や世の中の「不条理」というものに対して、宗教という形で答えをだそうとする。未知の世界を把握しようとする。
今まで考えもしなかったことです。とても新鮮な講義でした。(2年女子)
(これからも一緒に考えていきましょう)
- 今日の授業で印象に残った事は、釈尊は異教の形而上学的論争は噛み合わず結論が出ないという事に気付き、論争の放棄をしたという事でした。そのような釈尊の考えは、今でも起こっている宗教紛争を解決する事につながるものだと思います。今まで、ほとんど宗教に関心を持っていなかったのですが今日の講義を聞いてもっと仏教について知りたいと思いました。(2年女子)
(よしよし (^^))
- 今まで釈迦の意味を勘違いしていたことに気づいた。仏教の開祖者は釈迦だと思っていたからだ。釈尊が仏教の開祖者で、釈迦というのは部族の名前だったとは・・・しかし、釈迦の方がよく知られていると思うが、なぜだろう?釈迦ではなく、釈尊が仏教の開祖者なのに・・・確かに字は似ているけど・・・きっと私のように勘違いしている人が多いのではないかと思う。(2年女子)
(これからも啓蒙してきます.あなたも協力して下さいね)
- 私はこれまで宗教対立というものは解決できると思っていた。つまり、何らかの解決策がきっとあるはずだ考えていたということである。しかし、今日の授業でそうではないという事を知り、内心ではその事を認めたくなかったのだが、それ以上に納得させられてしまった。確かに、絶対にわからないことに対する答えなのだから正しいかどうかなんてわかるわけはないし、絶対にわからないことなのだから、宗教が違えばその答えも異なるということは考えてみれば当然の事であるのかもしれない。しかし、それならば一体どうすればよいのだろうか?このままどうすることもできない問題として片付けてしまうほかないのだろうか・・・。疑問である。(2年女子)
(これも上のほうで書きましたが,宗教対立の解決が困難であったとしても,決して不可能ではありません.どうも少なからず誤解が生じているようで,次回の講義で補足説明をすることにします)
- 宗教というのはそれぞれの世界観の中で信じるものだと思いました。どれが正しいかという答えには辿り着けないと思います。いい意味での自己満足の世界で留めておくのが良いのではないかと思いました。
仏教を開いたのはブッダだと思っていたのですが、それが固有名詞ではないことに驚きました。ほかにもガウタマ・シッダールタやゴウタマ・シッダッタの違いを不思議に思ったことがあります。(2年女子)
(ガウタマ・シッダールタはサンスクリット語読み,ゴータマ・シッダッタはパーリ語読みです)
- 釈迦が個人名だと思ってました。形而学的という意味を今日初めて正しく理解しました。宗教が生まれた意味が形而学的事実を説明するためと、言われたことになるほどと思いました。(2年女子)
(これも,上の方で書いたことを参考にして少し修正して下さい)
- 今日の講義は前期でとっていたアジア文化論 I の内容に含まれていたものもあって、いい復習になった。特に、「業」の解釈(行うという行為によって起きる、何らかの影響力)が、少年時代、母の「日ごろの行いが良かったせいよ」という口癖を思い起こさせた。
また、講義の最後に説明された、「形而上学的論争の放棄」で、放棄をしても、そのものの見方をするという考え方が、私にとってよくわからなかった。矛盾している気がする。(2年男子)
(この点はきちんと説明するつもりです)
- 形而上学的論争の放棄と諸行無常が、なぜそうなるのか結びつかないので、次回、しっかり学ぼうと思う。(2年女子)
(しっかり学んで下さい)
- 仏陀というのを、人の名前だと勘違いしてました。釈迦や釈尊といったこともよく知らなっかたので、間違えてしまいそうです。宗教によって考え方が違うのは仕方のないことだが、それによって対立が起こらないようになって欲しい。(2年男子)
(仏教は宗教対立を回避する一つのモデルケースになれるはずですが,現実の仏教がそのような姿勢をなかなか発揮してくれていないのが残念です)
- 「宗教は補償作用である」(絶対に分からない事に対する答えをくれる)というのを聞いて、初めて宗教の存在意義が理解できた気がする。また「自由思想家という立場でありながら、宗教的対立を一歩引いて見た」という所に釈尊の仏陀たる由縁があるように思った。次回「諸行無常」についての講義も楽しみだ。(2年女子)
(「釈尊の仏陀たる由縁」ですか.なるほど!!)
- 釈迦とは仏教の開祖者であると思っていたが、今日初めて部族の名前だということに気づいた。これから先、まだまだ自分が知らなかったことが多く出てきそうなので楽しみです。(2年男子)
(毎回仏陀して(目覚めて)いって下さい)
- 仏教だけではなく宗教全般に興味があります。今日は窓際で暑かったので、次は壁際に座ろうと思っています。(3年男子)
(そのうち窓際がいいと思う季節も巡ってくることでしょう)
- 宗教の争いは昔から現在まで今だ行なわれている。しかしこのような行為は人間の性なのではないのかと自分は思う。歴史的に見ても人間はお互いに争う動物であることがわかる。解決しようとする行為は素晴らしいが、古からの原則に反したことをすれば、逆に解決しようと努力する人が害をこうむるのではないのかと思います。(2年男子)
(面白い意見だとは思います.でも,それを「古からの原則」と捉え,その原則を遵守することこそが正しいのだとすれば,人間の文化活動や創造行為などの発展的事業は全て虚しいものになってしまいませんか?)
- buddha=釈尊だと思っていた*だが先生の「buddhaは”真理に目覚めた人”という意味なので=釈尊のみだけとは考えられない。」という言葉に”なるほど”と思った。試験では間違えないように^Saakyamuni (釈迦族出身の聖者)=釈尊とちゃんと覚えておこう*来週の”諸行無常”についての講義は一体どんなものだろう。(2年女子)
(「仏教の基本的なものの考え方」をお教えするつもりです)
- 金曜日に出席を出すのを忘れていました。遅くなってすみません。宗教対立はただのケンカとは違い、特に解決しにくい問題であると思う。信じるものが違うために議論は噛み合わず、結論も出ない。私は特に信仰している宗教もないので、どうして争いを繰り返してまで宗教にすがるのかが理解できなかった。しかし今回の授業で宗教には補償作用があるということを知り、少し理解ができた。私は考えが浅く、大した悩みもなく生きてきたから宗教にすがろうという気持が起こらないのだろう、と思った。(2年女子)
(そのうち宗教が必要な何らかの状況に置かれるかも知れません.そのとき,くれぐれも変な宗教に引っかからないで欲しいと念願します.何が変な宗教なのかはこの講義で詳しく教えます.それから,次回以降は必ず金曜日のうちに出席を出して下さい.)
- 釈尊は、バラモンと反バラモンとの噛み合わない対立を、ちょっと引いた視線で見たという。そのようなものの見方はとても大切だと思う。歴史に残るような人は誰かの真似とかではなくても、きちんとした考え方やものの見方ができているんだなと思った。また、私は今まで「形而上的」という意味がわかっていなかったが、今回の講義で「絶対にわからないこと」という意味だとわかったので勉強になった。金曜日に書き込むのを忘れていました。遅くなってすみません。(2年女子)
(歴史に残る人は実行を伴っていますよね.そこが人の心を動かすのではないかと.出席のことは上と同様です.)
- 私には、特に信仰している宗教がありません。自分に宗教が必要であると思ったこともありません。しかし、宗教は絶対に分からないこと(形而上学的なもの)に対する答えをくれるということを知り、宗教を必要とする人達がいることにも納得できました。しかしその答えが宗教によって異なり、誰にもどの答えが正しいか決められないために、宗教対立が起こってしまうのは悲しいことだと思いました。
(2年男子)
(「誰にもどの答えが正しいか決められない」のではなく,「自分たちの答えが正しく,相手のは間違っている」と思って譲らないため対立が起こるのです.これは別に宗教のみには限りませんね)
- 仏教は形而上学的論争を放棄しているということを知り、比較的おとなしい日本人は、かみ合わない議論をする宗教より受け入れやすかったのかなと思いました。 (2年男子)
(うーん,どうなんでしょう.この辺りは「日本の仏教導入」の項で考えていくことにしましょう)
- 自分はいわゆる新興宗教と呼ばれる宗教法人に関わりを持つ者です。しかしながら、同時に代々信仰してきた仏教も同時に信仰しています。(私のところではこういう複数の信仰を持つ事が当たり前のように許されています)信仰とは本来こういう風に個人に対して緩やかなものであるべきだと思います。神というものは宗教ごとに姿が違いますが、そのそれぞれが同じ高みに存在するものだと考えれば対立は無くせるのではないかと考えたりもします。信心深い人には不謹慎かもしれないが、まっすぐに信仰心を貫き通そうとするから対立が起こってしまうのだと思います。「真の答えは判らない」と講義でおっしゃった事は正にその通りだと思います。そしてそれこそ、信仰を持つもの誰しもが心に留めておかねばならない事だと考えます。(2年女子)
(建設的で大変よろしい.今度お話ししましょう)
【総評】次回は「諸行無常」を説明します.この講義の最初のクライマックスですぞ(鈴木隆泰)
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