1/25 アンケート11号の評価
アンケート11号(総数 38)の結果をお知らせします.「自分の意見が載っている,載っていない」「教員のコメントの内容」などは成績評価や回答内容の質には全く関係ありません.
複数の同一回答は,原則的に最初に目についたもののみを採用しました.
原文の一部を修正したものがあります.
男子・女子の区別は氏名に基づく判断です.もし間違っていたら遠慮なく申し出て下さい.
今回は最澄と空海について詳しくお話ししました.
- 最澄の起こした天台宗は不完全、未完成であったが、のちに弟子たちによって大きく発展していったというところで、未完成や不完全なことは一見よくないことのように思いがちだが、後に発展する可能性が大きいということに気づきました。不完全な自分もこの先まだまだ発展していく可能性を持っているんだと希望が持てました。(2年女子)
(昔,お酒の CM で「横綱は強いようでもどん詰まり」なんていうコピーがありました.未完成のものは,完成していく可能性もあると同時に,永遠に未完成のままに留まってしまうおそれもあります.お互い完成させていきましょう)
- 宗派の発展という面では天台宗の最澄の方が劇的であったにもかかわらず、現在私達は空海の名の方をむしろ良く聞くのは何だか不思議だと思いました.僧侶(仏教)が支社に対して弔いを行うという行為が最初からあったものではなく、後から付属したものだったのだと聞いて、意外なことだったなと驚きました.ところで何回講義を聴いてもサンスカーラについて未だに自分の中ではっきり掴めなくて困っています. (2年女子)
(サンスカーラはこの講義を貫く最重要の概念であり,期末レポートを書くにも必須のものです.分からなければ聞きにいらっしゃい)
- 空海が当時の唐の密教の唯一の後継者だったというのを知り驚いた。また語学力にも長けていたというのもすごいと思った。最澄と空海のそれぞれの歩んだ道や思想の違いなどもわかった。思想を広めるには政治(権力)というのも重要な要素であると思った。(2年女子)
(権力と仏教思想との間には,敵対関係ではなくとも,少なくともある種の緊張関係がなくてはならないでしょう.そうでなくては容易に腐敗してしまいます)
- 天台宗と真言宗、この二宗教が末法の時代をどう乗り越えていったのか気になりました。(2年女子)
(天台は浄土系をはじめとする思想で末法の時代に向っていきました.真言は加持祈祷が主体だと思います)
- 今まで日本史で最澄=天台宗、空海=真言宗と、暗記ものでしかなかった二人の姿を、人間味あふれる人物として見ることができるようになりました。(3年女子)
(人に歴史あり,です)
- 恵果は後継者を留学生で後からきた空海にゆずったというお話がありましたかそれほど空海は優れた人物だったのでしょうか。そして周りからの反響はなかったのでしょうか。(3年女子)
(それほど空海は傑出した人だったのです.外国人に伝法灌頂を授けることには,他の弟子たちの間から当然のように反発もありましたが,それでも恵果は最も優れた弟子に密教を伝承したのです)
- 大乗戒壇という権限が最澄の死後に国から
離れた与えられたという事実はかなり大きな変化だと感じるのですが、それが与えた影響として、鎌倉の仏教にダイナミズムを生むことの他には、どういうことがあげられるのでしょうか。仏教が広がったという点では理解できるのですが、他の点については、全く考えが及びません。
認識の仕方が間違っているかもしれませんが、密教に対しては、どことなく不安を感じてしまいます。(3年男子)
(それ以外の影響としては「仏教者の主体性の確立」が挙げられるでしょう)
- 密教をきちんと学べたという点では身分が低くとも留学生であった空海の方が得をしたと思うし、先の発展があるという点では未完成であっても最澄の天台宗の方が受け入れられ易いのだろうと思い、最澄と空海を比べて見てみるのがおもしろいと思いました。(2年女子)
(いろいろな意味で対照的な二人ですからね)
- 空海に関して、結構したたかなところがあったと聞き、イメ−ジが変わりました。歴史上の偉大な人物の、その業績などしか知らないと遠い存在に感じてしまうけど、今日の講義で空海も人間だなぁと感じました。(2年女子)
(確かに彼は人間ですが,彼の真似をできる人はほとんどいません.だから凄いんです)
- インドで始まった仏教が大乗仏教として中国、日本へ伝わり更に発展していく様子を知り仏教の凄さ、多様性を改めて感じた。先日本屋で、仏教について書かれている本をざっとではあったが読んだところ‘密教は最澄がもたらし広めた’というようなことが書かれていた。今日の講義では、むしろ空海が最澄に教えたのだということを聞き、深く知ることができてよかった。(2年女子)
(講義で説明したように,最澄が不完全ながら密教を持ち帰ったこと自体は事実ですが,しかし一体どんな本じゃ?? 世の中にはいろいろな本があるので気をつけましょう)
- 最澄と空海が互いに身分の違う学生として中国へ渡ったことを、今日初めて知りました。また、死者にお経を読み始めたきっかけも初めて知りました。
空海は最澄のように、民衆教化を目指してたのですか?(2年男子)
(「大日如来として生きることになった空海」にとって,一切衆生を救済する義務があることは自明でした)
- 「弘法も筆の誤り」の「弘法」が、空海のことであると初めて知りました。
対立することより取り込む事を得意とし、また、語学の才能にも恵まれていた空海を、羨ましく思いました。(もちろん、私とは比べ物にならないほどの努力をしていたと思いますが。)(2年女子)
(空海は空海,あなたはあなた,それでよいのです)
- 最澄の天台宗は未完成であったため、鎌倉時代において
仏教鎌倉新仏教が興隆し得た。しかし、空海の密教教理は完成品であったため、後は衰退していくしかなかったというのは、すごくよく分かります。(3年女子)
(天才の後継者は大変です)
- 最澄と空海では空海の方がよく聞く名前だな、と思っていた。今日それぞれの特徴について触れ、最澄が空海に頭を下げてまで教えを
こった乞うたということを知ってその偉大さが分かった。でも、やはり一人の突出した才能はなかなか後にはつながらないんだなぁと思った。(2年女子)
(空海はやっぱり「御大師様」ですからね.知名度は高いです)
- 最澄にしても空海にしても、その当時の政治的背景があって、ここまで仏教を発展させることが出来たのかなと思いました。どんなに優秀な人材でも、南都仏教に対抗しようとする天皇がいなかったら、天皇と親交を持つことがなかったら、このようなチャンスをつかむことが出来なかったのではないかと思います。運も実力のうちと言いますが、恵まれた条件の中でこの二人が仏教に力を注ぐことができたことを、とても運命的だと思いました。(2年女子)
(歴史に名を残す人は何らかの意味で「強運の持ち主」だという感じがします)
- 最澄と空海という名前は耳にしたことがあったが、何をした人か詳しくは知らなかった。でも、二人の考えが異なっていたからこそ、仏教は発展したのだと思う。世の中には様々な考えの人がいるから、動いていくものなんだと思った。(2年女子)
(そうそう)
- 最澄と空海の関係がたった一冊の
教本経本のために冷えきってしまったことはなんだか少し寂しいというか、残念に感じた。また、もしも二人の間にこのようなことが起こらなかったら、また違った結果を迎えていたのではないかとも思った。最澄の天台宗は不完全・未完成であったためにその後発展し、空海の密教教理は完成品であったためにその後ほとんど発展しなかったということは非常に皮肉なものだ。(2年女子)
(彼らの関係が冷めてしまったのは『理趣経』一冊が原因ではありません.もちろんそれが契機にはなっていますが,二人の性格の違いや仏教に対する考え方の違いが根本的な理由でしょう)
- 空海が最澄に
『理趣教』『理趣経』を貸さなかったのは正しい判断だったと思う。“真実一路”の真面目な最澄のことだから、『理趣教』『理趣経』を読んだらきっと「なんで空海はわしにこんないやらしいもんを貸したんじゃ、ニセモノにきまっとる!!!」と激憤して、それからさらに宗教戦争にまで発展していたかもしれない。やっぱり空海は、処世術に長けていたんですね。(2年男子)
(笑)
- 最澄と空海、教科書に必ず出てくるこの二人がこんなにも凄い人たちだったとはしりませんでした。最澄は総合仏教を作っていこうとしますが密教をきわめることができず、また大乗戒壇も彼の生前には実現しませんでした。けれども最澄の死後、未完成だった彼の偉業を弟子たちが引き継ぎ、それが鎌倉仏教をダイナミックに生み出す原動力になってゆきました。一方 空海はというと密教を極め恵果から伝法灌頂を授けられ帰国後、
三蜜よーが三密ヨーガを大成します。しかし完成された空海の真言宗はその後大きな発展をしませんでした。このふたりの人生と彼らの死後の影響力を見たとき、とてもドラマチックなものを感じました。(3年女子)
(歴史の一ページもその背景を知ることでいろいろと見えてくるものです)
- 最澄と空海の出現で、仏教がダイナミックに、生き生きと展開し、発展していったという事は、2人のイメージを膨らませてくれた。最澄が密教をしっかり学ぶ事ができていたならもっとすごい事ができたのかもしれない。でも、もしそうだったなら、その後の仏教の発展はなかったのだろう。うまくいかないものだ。今日の先生はいつもよりも楽しそうに見えました。この時代の仏教がお好きなんですか?(3年男子)
(いつもより楽しそうでしたか? 結構いつも楽しんで講義しているつもりなのですけど.もしそう見えたのだとしたら,それ以前の「仏教でない仏教」をやっと脱出できたという気持ちが自然と表れていたのかも知れません)
【総評】やっと日本の仏教も「仏教」になってきました.次回は最終回,鎌倉から一気に現代までやってみましょう.(鈴木隆泰)
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